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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
黒猫ソルの冒険/中條利昭
18/38

三毛3 故郷

 北風が吹き荒れる荒野を、馬車は悲鳴のような軋み音を上げながら疾走していた。

 御者台で手綱を握るアルバートの背中は、張り詰めた弓のように強張っている。

「くそっ、どこだ……」

 彼は焦っていた。血走った目で南西の山を見上げ、何度も舌打ちをしている。

 彼の焦燥が伝染して、私の心臓も早鐘を打っていた。

 荷台の上では、あの世間知らずの黒猫——ソルが、呑気にあくびをしている。どこか沈んだ様子ではあるけど、相変わらずマイペースだ。

「やれやれ。血の気の多いことだ」

 ソルは前脚をペロペロと舐めながら、独り言のように呟いた。

「当たり前でしょ。黒竜が手負いなのよ? 早くしないと復讐の対象が死ぬかもしれないでしょ」

「よく分からぬな。黒竜が勝手に死ねば、手を汚さずして復讐と同じ結果を得られるだろう」

「そういう問題じゃないの! 自分の手でトドメを刺したいと思うのが普通でしょ!」

「ふむ。理解できぬ」

 あー! もう! このバカと話してるとイライラする!

 ソルは呑気に続ける。

「百歩譲って、殺さなければ気が済まないとしよう。しかし、焦ったところで黒竜の死期が遅くなるわけでもない。まずは落ち着き、黒竜の気持ちになった方がいい」

「それは……そうかもだけど」

「その黒竜とやらの故郷に帰った、とは考えられないか?」

「は? 北の山のこと? バカね。あそこはその黒竜の家族が狩られた場所よ。そんな血生臭いところになんて戻りたいと思う?」

「確かに、黒竜は家族の死から目を背けるために巣を離れたのだろう。しかし、黒竜は重傷を負ったのだ。最期は思い出の地に赴き、静かにその一生を閉じたい——と、吾輩なら考える」

「!」

 私にはない発想だった。

「そうよ! それよ! おバカさんのわりに、やるじゃない!」

「三本脚の……故郷とはどこなのだろうか」

 ソルの独り言に構ってる余裕はなかった。私は弾かれたように立ち上がり、御者台へ飛び乗った。

 アルが広げている地図。その一点を、私はバンッ! と前脚で強く叩いた。

「シー? どうした」

 私が踏みつけているのは、北の山脈にある洞窟——黒竜の巣だ。

 アルは眉をひそめた。

「シー、そこは三ヶ月前に散々調査しただろ。もぬけの殻だった。そこにいたのなら、これほど苦労はしていない」

 彼は首を横に振ろうとした。

 分かってないわね! この石頭!

 私は「ニャーッ!」と叫びながら、もう一度、さらに強く地図を叩いた。爪を立て、地図に穴が開くほどの勢いで。

 普段なら古い巣なんて戻らない。でも、今は違う!

 私の必死な形相に、アルの目がハッと見開かれた。

「……そうか。帰巣本能」

 彼は地図を強く握りしめた。

「瀕死になって、故郷が恋しくなった可能性がある、か」

 彼は私の頭を、くしゃくしゃになるほど撫で回した。

「ありがとう、シー。おまえの勘は、いつだって俺を救ってくれる」

 違うわよ、今回ばかりは後ろの黒猫の受け売りよ。

 私は心の中でそう呟いたが、アルの手綱捌きに呼応するように、全身の毛が逆立つのを感じた。

「行くぞ! 北の山の洞窟だ!」


 日が沈み始めた頃。

 私たちは馬車を降り、険しい山道を登っていた。

 そして、巨大な岩山の裂け目、暗い口を開けた洞窟の前で立ち止まる。

 鼻を突く異臭。鉄錆のような血の匂いと、腐敗した獣の臭い。

 間違いない。奴は、ここにいる。

 アルが巨大な薙刀を構え、無言で暗闇へと進んでいく。私もその足元にぴったりと寄り添った。ソルもおずおずとついてくる。

 洞窟の最深部。

 そこはドーム状の広大な空間になっていた。

 そして、その中央に——それはいた。

 岩の隙間から漏れる夕日が、ほのかなスポットライトとなり、影よりも黒い巨大な塊を照らしている。

 ゴツゴツとした硬い鱗。背中には、折れかけた巨大な翼。そして太い首の先にある、凶悪な角を生やした頭部。

 黒竜だ。

 それは横たわり、浅く早い呼吸を繰り返している。脇腹の傷口からは、どす黒い血が流れ出し、地面に広大な血溜まりを作っていた。

 頭の先から尻尾までは、五メートルはあるだろう。しかし、酒場の狩人が言っていたように、噂から想像していた姿よりも、ひとまわり小さい。

 アルの足が止まった。

 彼の背中から、どす黒い殺気が噴き上がるのが見えた。

「……見つけたぞ」

 絞り出される、地獄の底から響くような声。

「俺の家族を奪い、村を焼いた悪魔め……!」

 私の喉からも低い唸り声が漏れた。

 こいつが、アルの人生を狂わせた元凶。彼を復讐の修羅へと変えた憎き敵。

 許せない……!

 アルの怒りは、私の怒り。

 彼の悲しみは、私の悲しみ。

 頭に血が上り、視界が赤く染まっていく。

 殺せ。

 今ここで、その息の根を止めてしまえ。

 そうすれば、アルは解放される。

 私の殺意とリンクするように、アルが咆哮を上げた。

「うおおおおおッ!!」

 彼は地面を蹴り、疾風のように駆け出した。

 巨大な薙刀が振り上げられる。銀色の刃が、洞窟の薄明かりを反射して冷たく煌めく。

 黒竜は身動きひとつしない。ただ、諦めたように目を閉じているだけだ。

 刃が振り下ろされる。

 首が飛び、すべてが終わる——その瞬間だった。

「待てェェェイ!!」

 黒い影が、アルと黒竜の間に飛び込んだ。

 ソルだ。

 あの世間知らずの黒猫が、あろうことか黒竜の鼻先に立ちはだかり、前脚を広げている。

「なっ!?」

 アルが驚愕し、無理やり刃を止める。切っ先が黒竜の鼻先数センチでピタリと静止した。

 何してるの!?

 全身の血が凍りつく思いだった。

「バカ! 死にたいの!? そこをどきなさい!」

 私は悲鳴のような声で叫んだ。

「相手は竜よ! 今は弱っているかもしれないけど、一振りで猫なんてミンチにされるわよ! それにアルだって、勢いを殺しきれなかったらあんたごと斬っていたかもしれないのよ!」

 だが、ソルは一歩も引かなかった。

 彼はガタガタと震えながらも、必死の形相で叫んだ。

「彼女を殺さないでくれ!」

 は?

 彼女?

 ソルはアルの刃を見据え、涙目で続けた。

「頼む! 彼女を……三本脚を殺さないでくれ!」


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