黒2 未知との遭遇
目の前には巨大な四本脚の巨獣が鼻息を荒らげていた。
実に立派な体躯だ。筋肉の躍動、艶やかな毛並み。しかし、いささか顔が長すぎる。吾が下僕の三本脚も大概だが、これは美的感覚を疑うレベルだ。
だが、吾輩は寛大な心を持つ四本脚。外見で差別などはしない。
吾輩はピンと尻尾を立て、親愛の情を込めて話しかけた。
「やあ、同胞よ。吾が下僕を見なかったか? 三本脚の老婆だ。少々頭は弱いが、干し肉を出す手際はいい奴なのだが」
巨獣は大きな瞳で吾輩を見下ろし、ヒヒン、と鼻を鳴らしただけだった。
「む? 聞こえなかったか?」
もう一度尋ねてみるが、返ってくるのは意味のない嘶きだけ。
吾輩はため息をついた。
「なんだ、四本脚のくせに言葉が話せぬのか。図体ばかりデカくて、その割に脳みそが入っている頭が小さいのだな。哀れな奴め」
「ちょっとあんた! 馬相手に何ブツブツ言ってんのよ!」
頭上から鈴を転がしたような声が降ってきた。
見上げると、巨獣の後の大きな箱に乗っていた小さな四本脚が、軽やかに地面へと降り立ったところだった。
陽光を浴びて輝く白、黒、茶の毛並み。しなやかな肢体。そして、意志の強そうな翡翠色の瞳。
ドクン。
吾輩の心臓が、早鐘を打った。
なんだ、この感覚は。全身の血が沸き立つような、それでいて喉が渇くような。
鼻先からフェロモンを感じる。甘く、危険な香りだ。
本能が叫ぶ。『乗っかれ』と。
いや、待て待て。落ち着け、吾輩。
吾輩は高貴なる四本脚、ソルである。下僕探しという崇高な使命を帯びた身だ。道端で出会ったメスに鼻の下を伸ばすなど、紳士のすることではない。
「……ふぅ」
吾輩は深く息を吸い、沸き上がる情熱を理性の檻へと押し込んだ。
吾輩はキリッとした顔を作り、麗しき三毛の四本脚に向き直った。
「やあ、お嬢さん。どうやらそちらの巨獣よりは話が通じそうだ。単刀直入に聞くが、三本脚を見なかったかね?」
麗しき四本脚は、怪訝そうに眉をひそめた。
「は? 三本脚? ……杖のこと?」
「ツエ?」
聞き慣れない単語だ。
「杖をついたお婆さんのこと? それとも、三本脚の椅子とか?」
「いや、椅子ではない。生き物だ。よく椅子に座ってはいたが」
彼女は呆れたようにため息をついた。
「よく分からないけど、とにかくこのあたりでは誰も見てないわよ。私たちも初めてここを通ったばかりだし」
「そうか……」
手がかりなしか。この広大な世界で、たったひとりの下僕を探すのは、干し草の山から一本の髭を探すようなものかもしれん。
小屋を出た当初は、三本脚は小屋の周囲にいると思っていた。しかし、まるで気配がない。仕方なく生まれて初めて山を降りてきて、今に至る。
途方に暮れていると、箱の上から巨漢の二本脚が降りてきた。
「なんだなんだ、猫の集会か? 俺はアルバート。こっちはシー。よろしくな」
彼は屈み込むと、太い指を吾輩の頭へと伸ばしてきた。
「よーしよし、迷子か? かわいそうに」
その指先が触れようとした瞬間。
バシッ!
吾輩は鋭い猫パンチを繰り出し、その手を弾いた。
「気安く触るな! 吾輩の毛並みに触れていいのは、吾が下僕だけだ! 無礼者!」
シャーッ! と威嚇すると、アルバートという名の二本脚は「おっと」と手を引っ込めた。
「こいつ、気が強いな……」
さて、どうしたものか。
旅を始めてしばらく経ったが、三本脚の手がかりはまったくない。あてもない。来た道を戻るか、それともこのまま進むか……。
すると、屈み込んだままのアルバートが、苦笑いを浮かべて言った。
「君はひとりぼっちなのか? こんな山奥でひとりきりだと、夜は寂しいだろう。……俺たちについてくるかい?」
その言葉に、吾輩はピクリと耳を動かした。
寂しい? この吾輩が?
冗談ではない。吾輩は高貴にして孤高の存在だ。寂しさなどという軟弱な感情とは無縁である。
ただ、少しばかり腹が減ったのと、夜風が身に染みる予感がしていただけだ。
「フン、まあいいだろう。他に手がかりもないし、この四本脚の巨体の脚を借りてやるのも悪くない。おまえたちの旅に、この吾輩が同行してやろう。感謝するがいい」
吾輩はポンと馬車の荷台へと飛び乗った。
柔らかそうな布袋が積まれており、寝心地が良さそうだ。吾輩は早速、一番座り心地の良さそうな場所を陣取り、丸くなった。
「あーあ、乗っちゃった」
シーが呆れた声を上げながら、軽やかに荷台へと飛び乗ってくる。
アルバートは「やれやれ」と肩をすくめながらも、どこか嬉しそうに御者台へと戻っていった。
「ところで、食事はあるか? 朝から何も食べてないのだ」
「はあ……。そこの袋に干し肉が入ってるから、適当に食べてて」
「恩に着る」
こうして、吾輩と、生意気だが美しいシー、そしてお人好しの二本脚アルバートと四本脚の巨獣の奇妙な旅が始まったのである。




