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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
黒猫ソルの冒険/中條利昭
14/38

三毛1 勇者との旅路

 馬車の車輪が砂利を噛むリズミカルな音と、固い木の板から伝わる振動が、私の子守唄。

 あくびを噛み殺し、前脚の肉球で顔を丁寧に洗った。右の耳、左の耳、そして鼻先。旅の途中とはいえ、身だしなみを整えるのはレディの嗜みというもの。

 私の名前はシー。艶やかな白、黒、茶の三色が織りなす美しい毛並みを持つ、しがない三毛猫よ。

 もっとも、ただの野良猫じゃない。

 隣で手綱を握る、この無骨な大男——勇者アルバートの相棒なの。

「よう、シー。起きたか」

 低い声が降ってくる。アルは御者台にどかっと座り、大きな背中を丸めながら前方を見据えていた。

 彼は人間の中でも特に大きく、筋肉質だ。背中には彼の身長ほどもある巨大な薙刀なぎなたくくり付けられている。あれを風車のように振り回して魔物をなぎ倒す姿は、少し野蛮だけれど、頼りにはなるわ。

「ええ、おかげさまでね。あんたの運転が荒いから目が覚めたわ」

 私はそう言ったけれど、アルには「にゃー」としか聞こえていないことでしょう。でも、アルは「へへっ、悪かったな」と白い歯を見せて笑ってくれる。

 彼は猫語を理解できるわけじゃない。けれど、長年の付き合いがある。私の声のトーンや尻尾の動き、ちょっとした目線で、言いたいことの六割は察してくれる。

 街道は緩やかな上り坂に差し掛かり、周囲の景色が平原から鬱蒼とした森へと変わり始めていく。

 退屈凌ぎのつもりか、アルがふと思い出したように口を開いた。

「そういや、この前の宿で聞いた話なんだがな」

 彼は手綱を緩め、チラリと私を見た。

「猫ってのは、自分と人間を区別できないらしいな。人間のことを『妙にでっかい猫』くらいにしか認識してないってさ」

 私は洗顔していた手をピタリと止め、ゆっくりと彼を見上げた。

 は? なんですって?

 あまりにも心外で、全身の毛が逆立ちそうになる。

 失礼ね! 今どき猫と人間の違いも分からないバカな猫なんていないわよ!

 私は抗議の声を上げ、彼の太い腕をペシペシと前脚で叩いた。

 冗談じゃない。私たち猫は四本の脚で優雅に歩き、音もなく獲物を狩り、高い所から下界を見下ろす高貴な生き物よ。

 対して人間はどう! 二本の脚でドスドスと無様に歩き、無駄に布を身に纏い、夜目が効かないからと火を焚き、複雑怪奇な言葉で嘘をつく!

 種族としての出来が違うよ、出来が。あんな不器用な生き物にバカにされるなんて、いくらアルでもたまらないわ!

「おっと、怒るなよ。悪かった、悪かったって」

 アルは私の剣幕にタジタジになりながら、空いている手で私の顎の下を掻いた。

「おまえは賢いもんな」

「……フン、分かればいいのよ」

 顎の下の急所を的確に攻められ、私は不本意ながら喉をゴロゴロと鳴らしてしまった。

 まったく、この男はこういうときだけ手際がいいのだから。

 彼は私のために寝床と食事を用意し、外敵から守る。私はその対価として、彼の孤独を癒やし、時には危険を察知して知らせてやる。これは契約であり、友情。

 人間からすると、猫はわがままに見えるらしいけど、それは彼らが私たちに奉仕することに喜びを感じているから、甘んじて受けてあげているだけ。

 ふと、アルの視線が鋭くなった。

 彼は北、つまり東の町へ向かう私たちにとって左を見据える。その先には、黒々とした雲がかかる険しい山脈がそびえ立っていた。

「……黒竜は、まだ生きている」

 彼の声から、先ほどまでの陽気さが消えた。

 その瞳の奥には、けっして消えることのない暗い炎が揺らめいている。

 黒竜。

 かつて彼の故郷を焼き払い、両親を奪ったという伝説の魔物。

 アルはその復讐のためだけに、血の滲むような修行を重ね、勇者と呼ばれるまでになった。

 私も、かつての黒竜の巣であったという山へ目を向ける。

 アルの故郷を焼いて以来、黒竜は巣を去ったらしいの。そもそも黒竜が村を焼いたのは、狩人が竜の巣へ潜り込み、黒竜たちを一掃しようとしたから。でも、一匹の黒竜だけを逃してしまい、逆恨みでやられたってわけ。人間が黒竜を狩ろうとしたのは、村に危険が及ばないためだけれど、その結果村が焼かれてしまったのだから、可哀想な話ね。でも、アルにとっては、そんな理屈なんて関係ないのよね。

 三ヶ月前、私たちは念の為にあそこを捜索したけれど、やはり黒竜はいなかった。そもそも復讐相手がまだ生きているのかも分からない——そうやって諦めかけてたところ、最近東の町の近くで黒竜を目撃した狩人がいると耳にして、はりきって東の町へ向かってるの。

 私は黒竜に対して、個人的な恨みはない。

 けれど、アルがそれを「悪」と断じ、殺さねば気が済まないというのなら、私はそれに付き合うだけ。

「あんまり気負いすぎないでよ」

 私は彼の膝の上に飛び乗ると、その分厚い胸板に頭を押し付けた。

 冷たい鎧の感触。その下にある心臓が、ドクンドクンと強く脈打っているのが伝わってくる。

「……ああ、分かってる。ありがとうな、シー」

 アルの大きく温かい手が、私の背中を包み込んだ。

 彼のこの手が、誰かの血で汚れるのはあまり好きじゃない。けれど、彼が選んだ道なら、私は最後まで見届ける義務がある。

 森の空気は次第に冷たくなり、獣の気配が濃くなっていく。

 この先に待ち受けているのが、どんな結末であろうとも。私はこの不器用な勇者の隣で、誇り高く髭を張っていようと決めていた。

「シー。おまえのことは、必ず俺が守る。いざというときは、俺の身を犠牲にしてでも、おまえを」

 ……バカね。私が危険な目に遭うわけないでしょ。ご自慢の回復呪文は、自分に使いなさい。

 彼は魔法が苦手なの。黒竜を討伐するにあたって、必死に勉強して強力な回復呪文を覚えることはできたけど、一度使うだけでヘトヘトになってしまう有様。「この回復呪文を使う相手は、おまえだけだ」なんてのたまってるけど、私にはその気はないの。

 そのときだった。

 ヒヒィィィン!!

 馬のいななきと共に、凄まじい衝撃が走った。

「うおっ!?」

 アルが手綱を力任せに引く。

 車輪が悲鳴を上げ、馬車は前のめりになりながら急停車した。

 私はその反動で、危うく御者台から転がり落ちそうになった。爪を木の板に食い込ませ、なんとか踏みとどまる。

「な、何よ!」

 敵襲? それとも落石?

 アルは肩で息をしながら、前方を見下ろしていた。

「……急に猫が飛び出してきて」

 猫?

 私は瞬きをして、アルの視線の先を追った。

 舞い上がった土煙が晴れていく。その道の真ん中に、小さな黒い影がひとつ、鎮座していた。

 それは一匹の黒猫だった。

 薄汚れてはいるが、逃げる様子もなく、それどころか堂々と私たちの馬を見上げている。

 轢かれそうになったというのに、なんて肝の据わった猫なの。

 いや、もしかして恐怖で動けなくなっているのかしら?

 私がそう思った瞬間、その黒猫は馬を見上げながら鼻を鳴らした。

「ほう、なかなかの大きな四本脚だな。我が下僕よりも顔が長い」

 ……は?

「なに、あいつ」


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