Ⅲ(最終話)
【九】
「揚貨装置で吊れるのか、こんなもん」
「主任先生の話じゃ、意外と軽いらしいぜ」
「いくら軽くても、暴れられたらかなわんぞ」
作業は未明に始まった。
日の出よりも早く、現場は薄く白んでいた。霧が互いを照らしあい、大気をほのかに明らめている。
「だからあの嬢ちゃんがいるんだろ」
「あてになるんですか」
「お守りだよ、お守り」
竜は執拗に縛られたうえ、天幕の帆布に包まれている。
興国丸の揚貨装置が、厭な音を立てて軋む。兵たちが息を呑んで見守るなかで、傾いた船体が復元し、積載が完了した。ただでさえ低い乾舷が、測れるほどしか残っていない。
「さあ、ぼくたちも」
「ええ」
作業を眺めていた主任は、隣の少女を促した。
彼女の「移送」は砲艦で行われることになった。少女を「客」とするのではない。彼女の身柄は主任にあるほうが「安全」だし、万一の際も、竜と少女を同時に失う危険が減る、という判断だ。
そして二人は、竜に背を向けた。
その背後で、爆発が起きる。
◇ ◇ ◇
【十】
「なんだ!」
「興国丸で爆発です!」
走り回る兵の一人が、そう叫んだ。
それは主任への返答ではなかったかもしれない。
「密航者だ!」
「敵工作員を排除せよ!」
隔離島に鐘の音が乱れ飛ぶ。
兵たちは、銃を手にして興国丸に集まってゆく。
「消火、どうなっているか!」
「無理です! 船体の炎上が激しい!!」
万に一つを最初に引いたか。
主任の視界で、興国丸が松明と化している。
「あのこは死にません。目覚めます」
「わかるのか」
「ええ。あなたが言ったとおり」
「それはそれでまずいぞ」
朝の冷気を呑み込んで、火の手はますます強くなる。
それは突風を伴って、螺旋を描き、尖塔を成して天を衝く。
灼熱の竜巻の奥で、暴虐の影が頸を擡げた。
◇ ◇ ◇
【十一】
鋭い警笛が聞こえた。黒煙の匂いがした。
振り返ると、河面を白く蹴立てる砲艦がある。
この乗員六十名ばかりの下駄船が、どんな大戦艦よりも頼もしい。
だが、律儀に係留する暇はない。だから操舵手は、その腕前でもって、微速で水流を相殺する。その一瞬の停泊時間に、主任と少女は掬われた。
砲艦はすぐさま離岸して、隔離島へと舳先を向ける。
「ようこそ、本艦へ」
甲板で指揮を執る艦長が、笑顔で言う。
「一番砲、準備良し!」「二番砲、いつでも撃てます!」
「警備の避退がまだだ、我慢しろ!!」
あるいは、ここで警備を巻き込んでも、砲撃すべきだったかもしれない。
竜は炎を割って、隔離島へと上陸した。あらゆるものを薙ぎ倒し、蹂躙する。ある兵は、戦友を助けるため竜に立ち向かい、その腹部に轢かれて擦り潰された。逃げ遅れた兵は、左右する尾に撫でられて、全身を砕かれた。
すると、竜が天を仰いだ。なにかが頸を上がってくる。それが口から溢れ出す。すさまじい臭気に、兵たちは呼吸と視界を奪われる。
竜の歯が触れあう。小さな火花が飛ぶ。隔離島は、炎の海に吞み込まれた。
「艦長……」
だれの呼ぶ声かと思ったら、主任の口から漏れていた。
砲艦と乗員は、明々とした火に焙られている。隔離島では、すべてのものが燃えている。炎が空へと舞い上がり、粗末な陣地が焼け落ちる。
死んでから燃えた者は、苦しまなかったろう。燃えながら死んだ者は、苦しんだろう。燃えながら生死の境を往復し、河へ飛び込み溺れた者は、どうだったろう。
少女の白い服と肌に、燃えるような赤が映える。
艦長は顎を引いて、軍帽の陰を目もとに落としている。
「彼女は使わない。定量化できる資料はない、そうだろう」
「……ええ」
「彼女は不死の存在ではない。踏まれれば死ぬ。焼かれれば死ぬ。死なせては、ならない」
「それは、そうです」
「それになにより」
言葉を切って、艦長は胸を張った。
口角が上がる。紳士然とした、丁寧な闘志だ。
「われわれに、少女を盾にする趣味はない」
◇ ◇ ◇
【十二】
「撃ち続けろ! 隔離島から出すな!!」
警備より避退完了の報告を受け、艦長は長い瞬きをする。それから、砲とともに吠えた。
どうやら竜が吐くのは、ガスだけではないらしい。なにかしらの分泌液と混合した、粘性の可燃物を作ることもできるようだ。その火球が、対岸の研究島に降り注ぎ、地獄の領土を拡張している。
「機関銃分隊は!」
「連絡が途絶しています」
機関銃分隊は、数少ない有効な火力だった。状況は悪い。
「うちの砲撃はどうなってる?!」
「艦の動揺が大きくて有効弾は……」
吹き荒れる熱風で、河面は波浪と呼ぶべき有様だ。風も波も水流も、すべてが刻一刻と変化して、しかも遠慮も容赦もない。操舵手の腕で、どうにかなるような次元ではない。
それに対して、艦長は即断した。
「投錨しろ!」
「は?!」
「投錨して艦を固定しろ!!」
主任が疎いのを差し引いても、戦闘行動中に錨を下ろすのは稀なことだろう。文字通り、自らの足を止めることになるのだから。
「警備より報告、直撃の効果を認む!」
「竜の足が止まります!!」
歓声が起こるではない。だが、やった、やれるという実感が艦に満ちる。
おりしも、竜は天幕のあった位置に差し掛かる。そこには兵たちの骸が折り重なっている。それを竜が踏み抜いたとき、彼らの遺志が発動した。落とし穴である。
砲弾は然るべき威力をもって、竜に降り注いだ。角を折り、目を潰し、腕を捥いだ。瘡蓋のような表皮が弾けて、露出した肉を抉り取る。
竜が咆哮する。その音圧で、周囲の炎が吹き消される。絶叫のように、慟哭のように、大河と渓谷が鳴動する。
だからその轟きの中心で、ばきばきと、骨を砕くような音を聞いた者はいなかったかもしれない。だが、そのさまを見た者は何人もいた。そしてその全員が、自らの目を疑った。大きく開いた傷口が、歪な傷跡と癒合する。捩れたままに繋がって、繋がるたびに捩れていく。
その結果は、彼らの前で翼を広げた。
◇ ◇ ◇
【十三】
「警備より報告、目標が飛翔!」
報告されるまでもない。望遠鏡の中で、よたよたと、だが確実に離陸している。
あの巨体を飛翔させるには、翼が小さすぎるように見えた。高温によって体内のガスの比重が下がり、浮力を得ているものだろう。
「――対空戦闘!」
艦長の反応が一瞬だけ遅れたのは、対空戦闘への懐疑だったろう。飛行機が戦場に現れて、まだ日が浅い。軍人でさえ、飛行機を見たことがない者もいる。対空戦闘の教範はある。号令もある。だが実効性には、だれもが疑問符を持っていた。
それでも軍隊は、軍艦は、よくも悪くも疑問符を脇にやれる組織である。教範と号令に従って、艦載の機関銃が空を撃つ。当たらない。
「目標、接近します!」
「うちが狙いか。全速後進、面舵一杯――捨錨しろ」
艦長は、やはり判断が早かった。
錨を捨てた砲艦は、その力強い駆動で後ろへ跳んだ。先まで艦のいたところへ、竜が違わず落着する。それの起こす波は、覚悟するよりも小さかった。そこに艦の舵が効きはじめる。
「こんな機会は滅多にないぞ! 直接照準!!」
右舷、三時方向、前後の砲が竜と睨みあう。
「――撃て!!」
砲弾と竜の火球は、ほとんど同時に放たれた。だが、全くの同時ではなかった。
直接照準の砲撃は、竜の胸郭を撃ち抜いた。竜が体内ガスの浮力を得ていたことが、このときばかりは幸いした。水中の不安定さも手伝って、仰け反るように、背から河面へ倒れこむ。その波飛沫が、艦を叩いた。
竜が放った火球は、砲撃によって軌道を逸らし、艦の頭上を飛び越えた。可燃性の粘液は左舷側に着弾し、広がって、水面を燃やしている。
艦載の放水銃が消火を試みるが、揺れる水面で炎が踊り、ついにその舌が舷側を舐めた。
「消火できません!」
「火の回りが早い!」
その炎は艦に絡みつくように、船体の金属部分を熔かしはじめた。甲板の張り板は高温に耐えかねて、反り返りながら炭化している。このままでは上部構造物や機関部までやられかねない。
「やむを得ん、研究島へ座礁させる!」
艦長の指示に、操舵手は即座に従った。舵の効くまでの一拍が、艦が躊躇っているようにも感じられた。
それでも艦は、人の意志によって座礁する。船腹を擦る厭な響きも、今だけは乗員を救う希望の音色だ。もとより喫水の浅い河船ゆえに、うまいこと陸へ乗り上げる。
わらわらと乗員が離艦する――その眼前に、竜が上陸した。
「くそ、まだやるのか」
甲板に残っていた主任が、呆れるように――称えるように、こぼす。
もはや竜は、生物の体裁すら保っていない。へたな粘土細工のように自重を支えられず、その芯を剥き出しにしながら、なお這い寄ってくる。その隻眼が、ぎらつく影を湛えている。それは生の渇望か、死の哀願か。
どちらでもいい。どうでもいい。
やらねば、やられる。
「――砲術、やれるか」
「やります!」
「いい返事だ」
誘爆を防ぐため、すでに弾薬庫には注水している。一番砲に残った砲弾が、最後の一手である。
動力系統は遮断されており、砲も人力で動かすしかない。それでも砲術員は脱出ではなく、務めを全うすることを選んだ。
「てぇ!!」
その昏い口腔に、砲弾が吸い込まれる。
炸裂したそれは、竜の臓器を攪拌し、身体は内側から四散した。
朝日が昇る。
月が、薄く残っている。
◇ ◇ ◇
【十四】
竜との「戦闘」は終結した。戦隊の僚艦二隻が急派され、全ての生存者が分乗して、河口へと脱出した。救助活動は円滑だった。それほど生存者が少なかった。
砲艦は大破し、施設や資料は焼失した。
これらは全て、興国丸の爆発事故と、それに伴う火災によるものとして処理された。〈祖国〉号の乗組員だった者が、荷物に紛れて船内に潜伏、工作活動を行ったものらしい。
責任者として艦長の名前が挙げられたが、特にお咎めはなかったようだ。ただ彼は、閑職をたらい回しにされたのち、次の大戦にも奉公することになる。
遺されたのは、いくらかの標本だけだった。保存措置にもかかわらず、それらはすぐに腐敗した。本土に送った標本も、輸送船が触雷して沈没、全て喪失した。個人的な覚え書きも、移動を重ねるうちに行方がわからなくなった。
採算の見込みなしとして、研究所と鉱山は一時閉鎖とされた。のちに閉鎖は無期限とされ、人々の記憶からも喪われた。
それでも緊迫する国際情勢から、黒陽石のことを思い出す者もいた。
少ない記録を浚い、関係者の重い口を割って、大河を遡上した者もいたらしい。だが、そこにはなにもなかった。鉱山は見つからず、研究施設の痕跡もなく、焼け跡すら残っていなかった。
ただ、地形図と合わない岩肌が、月明かりに濡れていた。
月日は巡る。
主任は、今も主任だった。昇級も昇職もなく、後輩たちに追い抜かれていく。
「お遊び」の学問は、ますます肩身が狭かった。価値があるとされる研究を求められ、それに応じていた。
戦況は、良くないらしい。空襲警報が日常となり、都市部では裏庭に防空壕が掘られていた。主任も例外ではない。金属は供出したため、木製の鍬を振るっている。効率は悪い。それでも少しずつ穴は広く、深くなっていく。思考を要しない作業は、嫌いではなかった。
ある晩、妙に作業の手もとがよく見えた。
灯火管制により、街は闇に沈んでいる。壕の底に、月が湛えられていた。
その中に、影のような石が転がっている。
触れてみると、熱くて冷たい。
そのとき、夜空を切り裂いて、空襲警報が鳴り響く。
はっとして視線を上げる。
満ちても欠けてもいない月が、ただ、そこにあった。
月日は巡る。
そう、月も日も巡るのだ。
「だいじょうぶ」
月が笑う。少女のように。




