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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
月の明るいところと昏いところ/173
12/38

Ⅲ(最終話)

【九】


揚貨装置(デリック)で吊れるのか、こんなもん」

「主任先生の話じゃ、意外と軽いらしいぜ」

「いくら軽くても、暴れられたらかなわんぞ」


 作業は未明に始まった。

 日の出よりも早く、現場は薄く白んでいた。霧が互いを照らしあい、大気をほのかに明らめている。


「だからあの嬢ちゃんがいるんだろ」

「あてになるんですか」

「お守りだよ、お守り」


 竜は執拗に縛られたうえ、天幕の帆布に包まれている。

 興国丸の揚貨装置が、厭な音を立てて軋む。兵たちが息を呑んで見守るなかで、傾いた船体が復元し、積載が完了した。ただでさえ低い乾舷が、測れるほどしか残っていない。


「さあ、ぼくたちも」

「ええ」


 作業を眺めていた主任は、隣の少女を促した。

 彼女の「移送」は砲艦で行われることになった。少女を「客」とするのではない。彼女の身柄は主任にあるほうが「安全」だし、()()の際も、竜と少女を同時に失う危険が減る、という判断だ。

 そして二人は、竜に背を向けた。


 その背後で、爆発が起きる。


  ◇ ◇ ◇


【十】


「なんだ!」

「興国丸で爆発です!」


 走り回る兵の一人が、そう叫んだ。

 それは主任への返答ではなかったかもしれない。


「密航者だ!」

「敵工作員を排除せよ!」


 隔離島に鐘の音が乱れ飛ぶ。

 兵たちは、銃を手にして興国丸に集まってゆく。


「消火、どうなっているか!」

「無理です! 船体の炎上が激しい!!」


 ()()()()()()()()()()()()

 主任の視界で、興国丸が松明と化している。


「あのこは死にません。目覚めます」

「わかるのか」

「ええ。()()()()()()()()()()

「それはそれでまずいぞ」


 朝の冷気を呑み込んで、火の手はますます強くなる。

 それは突風を伴って、螺旋を描き、尖塔を成して天を衝く。


 灼熱の()()の奥で、暴虐の影が頸を(もた)げた。 


  ◇ ◇ ◇


【十一】


 鋭い警笛が聞こえた。黒煙の匂いがした。

 振り返ると、河面を白く蹴立てる砲艦がある。

 この乗員六十名ばかりの下駄船が、どんな大戦艦よりも頼もしい。


 だが、律儀に係留する暇はない。だから操舵手は、その腕前でもって、微速で水流を相殺する。その一瞬の停泊時間に、主任と少女は掬われた。

 砲艦はすぐさま離岸して、隔離島へと舳先を向ける。


「ようこそ、本艦へ」


 甲板で指揮を執る艦長が、笑顔で言う。


「一番砲、準備良し!」「二番砲、いつでも撃てます!」

「警備の避退がまだだ、我慢しろ!!」


 あるいは、ここで警備を巻き込んでも、砲撃すべきだったかもしれない。

 竜は炎を割って、隔離島へと上陸した。あらゆるものを薙ぎ倒し、蹂躙する。ある兵は、戦友を助けるため竜に立ち向かい、その腹部に轢かれて擦り潰された。逃げ遅れた兵は、左右する尾に撫でられて、全身を砕かれた。

 すると、竜が天を仰いだ。なにかが頸を上がってくる。それが口から溢れ出す。すさまじい臭気に、兵たちは呼吸と視界を奪われる。

 竜の歯が触れあう。小さな火花が飛ぶ。隔離島は、炎の海に吞み込まれた。


「艦長……」


 だれの呼ぶ声かと思ったら、主任の口から漏れていた。

 砲艦と乗員は、明々とした火に(あぶ)られている。隔離島では、すべてのものが燃えている。炎が空へと舞い上がり、粗末な陣地が焼け落ちる。

 死んでから燃えた者は、苦しまなかったろう。燃えながら死んだ者は、苦しんだろう。燃えながら生死の境を往復し、河へ飛び込み溺れた者は、どうだったろう。

 少女の白い服と肌に、()()()()()()赤が()える。


 艦長は顎を引いて、軍帽の陰を目もとに落としている。


「彼女は使わない。定量化できる資料はない、そうだろう」

「……ええ」

「彼女は不死の存在ではない。踏まれれば死ぬ。焼かれれば死ぬ。死なせては、ならない」

「それは、そうです」

「それになにより」


 言葉を切って、艦長は胸を張った。

 口角が上がる。紳士然とした、丁寧な闘志だ。


「われわれに、少女を盾にする趣味はない」


  ◇ ◇ ◇


【十二】


「撃ち続けろ! 隔離島から出すな!!」


 警備より()退()()()の報告を受け、艦長は長い瞬きをする。それから、砲とともに吠えた。

 どうやら竜が吐くのは、ガスだけではないらしい。なにかしらの分泌液と混合した、粘性の可燃物を作ることもできるようだ。その火球が、対岸の研究島に降り注ぎ、地獄の領土を拡張している。


「機関銃分隊は!」

「連絡が途絶しています」


 機関銃分隊は、数少ない有効な火力だった。状況は悪い。 


「うちの砲撃はどうなってる?!」

「艦の動揺が大きくて有効弾は……」


 吹き荒れる熱風で、河面は()()と呼ぶべき有様だ。風も波も水流も、すべてが刻一刻と変化して、しかも遠慮も容赦もない。操舵手の腕で、どうにかなるような次元ではない。

 それに対して、艦長は即断した。


()()しろ!」

「は?!」

「投錨して艦を固定しろ!!」


 主任が疎いのを差し引いても、戦闘行動中に錨を下ろすのは稀なことだろう。文字通り、自らの足を止めることになるのだから。


「警備より報告、直撃の効果を認む!」

「竜の足が止まります!!」


 歓声が起こるではない。だが、()()()()()()という実感が艦に満ちる。

 おりしも、竜は天幕のあった位置に差し掛かる。そこには兵たちの骸が折り重なっている。それを竜が踏み抜いたとき、彼らの遺志が発動した。()()()()である。

 砲弾は然るべき威力をもって、竜に降り注いだ。角を折り、目を潰し、腕を()いだ。瘡蓋のような表皮が弾けて、露出した肉を抉り取る。

 竜が咆哮する。その音圧で、周囲の炎が吹き消される。絶叫のように、慟哭のように、大河と渓谷が鳴動する。

 だからその轟きの中心で、ばきばきと、骨を砕くような音を聞いた者はいなかったかもしれない。だが、そのさまを見た者は何人もいた。そしてその全員が、自らの目を疑った。大きく開いた傷口が、歪な傷跡と癒合する。捩れたままに繋がって、繋がるたびに捩れていく。

 その結果は、彼らの前で()()()()()


  ◇ ◇ ◇


【十三】


「警備より報告、目標が飛翔!」


 報告されるまでもない。望遠鏡の中で、よたよたと、だが確実に離陸している。

 あの巨体を飛翔させるには、翼が小さすぎるように見えた。高温によって体内のガスの比重が下がり、浮力を得ているものだろう。


「――対空戦闘!」


 艦長の反応が一瞬だけ遅れたのは、対空戦闘への懐疑だったろう。飛行機が戦場に現れて、まだ日が浅い。軍人でさえ、飛行機を見たことがない者もいる。対空戦闘の教範はある。号令もある。だが実効性には、だれもが疑問符を持っていた。

 それでも軍隊は、軍艦は、よくも悪くも疑問符を脇にやれる組織である。教範と号令に従って、艦載の機関銃が空を撃つ。当たらない。


「目標、接近します!」

「うちが狙いか。全速後進、面舵一杯――捨錨しろ」


 艦長は、やはり判断が早かった。

 錨を捨てた砲艦は、その力強い駆動で後ろへ跳んだ。先まで艦のいたところへ、竜が違わず落着する。それの起こす波は、覚悟するよりも小さかった。そこに艦の舵が効きはじめる。


「こんな機会は滅多にないぞ! 直接照準!!」


 右舷、三時方向、前後の砲が竜と睨みあう。


「――撃て!!」


 砲弾と竜の火球は、ほとんど同時に放たれた。だが、全くの同時ではなかった。

 直接照準の砲撃は、竜の胸郭を撃ち抜いた。竜が体内ガスの浮力を得ていたことが、このときばかりは幸いした。水中の不安定さも手伝って、仰け反るように、背から河面へ倒れこむ。その波飛沫が、艦を叩いた。

 竜が放った火球は、砲撃によって軌道を逸らし、艦の頭上を飛び越えた。可燃性の粘液は左舷側に着弾し、広がって、水面を燃やしている。

 艦載の放水銃が消火を試みるが、揺れる水面で炎が踊り、ついにその舌が舷側を舐めた。


「消火できません!」

「火の回りが早い!」


 その炎は艦に絡みつくように、船体の金属部分を熔かしはじめた。甲板の張り板は高温に耐えかねて、反り返りながら炭化している。このままでは上部構造物や機関部までやられかねない。


「やむを得ん、研究島へ座礁させる!」


 艦長の指示に、操舵手は即座に従った。舵の効くまでの一拍が、艦が躊躇っているようにも感じられた。

 それでも艦は、人の意志によって座礁する。船腹を擦る厭な響きも、今だけは乗員を救う希望の音色だ。もとより喫水の浅い河船ゆえに、うまいこと陸へ乗り上げる。

 わらわらと乗員が離艦する――その眼前に、竜が上陸した。


「くそ、まだやるのか」


 甲板に残っていた主任が、呆れるように――称えるように、こぼす。

 もはや竜は、生物の体裁すら保っていない。へたな粘土細工のように自重を支えられず、その芯を剥き出しにしながら、なお這い寄ってくる。その隻眼が、ぎらつく影を湛えている。それは生の渇望か、死の哀願か。

 どちらでもいい。どうでもいい。

 やらねば、やられる。


「――砲術、やれるか」

「やります!」

「いい返事だ」


 誘爆を防ぐため、すでに弾薬庫には注水している。一番砲に残った砲弾が、最後の一手である。

 動力系統は遮断されており、砲も人力で動かすしかない。それでも砲術員は脱出ではなく、務めを全うすることを選んだ。


「てぇ!!」


 その昏い口腔に、砲弾が吸い込まれる。

 炸裂したそれは、竜の臓器を攪拌し、身体は内側から四散した。


 朝日が昇る。

 月が、薄く残っている。


  ◇ ◇ ◇


【十四】


 竜との「戦闘」は終結した。戦隊の僚艦二隻が急派され、全ての生存者が分乗して、河口へと脱出した。救助活動は円滑だった。それほど生存者が少なかった。

 砲艦は大破し、施設や資料は焼失した。

 これらは全て、興国丸の爆発事故と、それに伴う火災によるものとして処理された。〈祖国〉号の乗組員だった者が、荷物に紛れて船内に潜伏、工作活動を行ったものらしい。

 責任者として艦長の名前が挙げられたが、特にお咎めはなかったようだ。ただ彼は、閑職をたらい回しにされたのち、次の大戦にも奉公することになる。


 遺されたのは、いくらかの標本だけだった。保存措置にもかかわらず、それらはすぐに腐敗した。本土に送った標本も、輸送船が触雷して沈没、全て喪失した。個人的な覚え書きも、移動を重ねるうちに行方がわからなくなった。

 採算の見込みなしとして、研究所と鉱山は一時閉鎖とされた。のちに閉鎖は無期限とされ、人々の記憶からも喪われた。


 それでも緊迫する国際情勢から、黒陽石のことを思い出す者もいた。

 少ない記録を(さら)い、関係者の重い口を割って、大河を遡上した者もいたらしい。だが、そこにはなにもなかった。鉱山は見つからず、研究施設の痕跡もなく、焼け跡すら残っていなかった。

 ただ、地形図と合わない岩肌が、月明かりに濡れていた。


 月日は巡る。


 主任は、今も主任だった。昇級も昇職もなく、後輩たちに追い抜かれていく。

「お遊び」の学問は、ますます肩身が狭かった。価値があるとされる研究を求められ、それに応じていた。

 戦況は、良くないらしい。空襲警報が日常となり、都市部では裏庭に防空壕が掘られていた。主任も例外ではない。金属は供出したため、木製の鍬を振るっている。効率は悪い。それでも少しずつ穴は広く、深くなっていく。思考を要しない作業は、嫌いではなかった。


 ある晩、妙に作業の手もとがよく見えた。

 灯火管制により、街は闇に沈んでいる。壕の底に、月が湛えられていた。

 その中に、影のような石が転がっている。

 触れてみると、熱くて冷たい。

 そのとき、夜空を切り裂いて、空襲警報が鳴り響く。

 はっとして視線を上げる。

 満ちても欠けてもいない月が、ただ、そこにあった。


 月日は巡る。

 そう、月も日も巡るのだ。


「だいじょうぶ」


 月が笑う。少女のように。


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― 新着の感想 ―
相変わらずの何と申しますか超重量級のがきましたねという感じでした。竜との対戦、それを鎮める少女と研究者の主任との出会いにワクワクしたのもつかの間、あっという間にきな臭く……。 艦長の「秩序のない武力…
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