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光の雫、影の帳  作者: 『光の雫、影の帳』制作委員会
月の明るいところと昏いところ/173
11/38

【四】


 鉱山から出ると、空が眩しい。

 だが解放感の裏で、肺に重さが溜まっている。それを振り払いたくて、目についた船舶に顔を向け、声を出した。


「おや、あれは」

「ああ、戦隊所属の輸送船です。ここを制圧した際に、鹵獲した砲艦を改装しました」

「なるほど」


 輸送船は、小ぶりながら揚貨装置(デリック)を備えている。港湾施設がない当研究所と戦隊支部にとっては、生命線と言ってもいいだろう。

 それはそうと、そんな生命線を、鹵獲艦の改装で済ませてしまうものなのか。拙速を尊ぶというやつなのか。


「彼らの言葉で〈祖国〉を意味する艦でした。われわれは、興国丸と呼んでいます」


 流域を制圧したときの話は、ここまでに何度も聞かされた。

 なんでも、二隻の砲艦に対し、わが巡洋艦が河口を封鎖したらしい。突破せんとする一隻は、巡洋艦の砲撃により直ちに轟沈、残る一隻は自沈を試みるも浮揚、接収されたとのことだ。

 主任が生きてきた世界とは、まるで違う。これが国際秩序の最前線なのだ。


「ここも戦地なのですね」

「今は違います」


 艦長は即座に、そして強く否定した。

 主任は労いのつもりだった。だが艦長に――軍人にとって、ここは彼らが平定し、獲得した土地だ。だから、ここは戦地ではない。


「そう。ああやって、われわれの飯を持ってきてくれます」

「……では、あの積み込んでいるのは」


 言葉が出なくなった主任に対し、艦長は柔和な雰囲気を取り戻した。非礼を詫びる機会を逃し、主任は会話を続けるしかなかった。

 揚貨装置が、木箱をその船腹に納めていく。相当な重量のようで、喫水が下がっていくのがわかる。


「黒陽石の標本ですよ。内地へ送るぶんです」


 艦長は、口髭を触りながら、そう言った。

 あれを、内地へ送る。

 坑道での質感を思い出し、主任は気分が悪くなる。


「……軍は、黒陽石を、どうしたいのですか」

「わたしには、なんとも。ただ、新型爆弾を作ると言う者もいます」

「そうですか」


 まあ、そうなるだろう。主任は諦念のままに相槌を打った。

 黒陽石は、膨大な熱量を秘めている。それを活用できれば、石油の数倍もの熱量を得るという。あるいは爆薬に転じれば、既存のそれを凌駕すると、報告書にはあった。


「わたしはむしろ、燃料としての価値に期待しています。そのほうが、よほど帝国の自存自衛に役立つでしょう」

「それは――ええ、同感ですね」


 詰まりながら、なんとか同意の言葉を絞り出す。

 だが、あれを活用――制御できるのか。

 そんな主任の胸中に構わず、艦長は話を続けた。 


「軍としても、潤沢な燃料というのは安心できます。なにせ」


 艦長の口角が上がる。紳士然とした、丁寧な笑顔だ。


「われわれは、()()()()()()()ということですからな」


  ◇ ◇ ◇


【五】


 それからは、主任自身も忙しい時間を過ごすことになった。

 なにせ研究所がなにを調べて、どこまでわかっているのか、それらを自分で確認せねばならなかった。海軍の前任者はすでにおらず、よって引き継ぎもなかったのだ。報告書と研究日録を漁っていると、知らない間に日が暮れていた。

 そこへ砲艦の乗組員が、分隊単位で押しかけてきた。だが、押しかけたとは言葉が悪い。主任が荷物を降ろさないので、艦長が気を利かせたらしい。


 そのときに、少女の世話係も拝命した。理由はおそらく、鍵と同じだろう。仕事が増えるのは望まないが、観察機会は増えるはずだ。

 握り飯と沢庵の、質素な食事を持っていく。これは冷遇とかではなくて、なにせ少女は()()()だ。艦長と主計の機転を称えるべきだろう。

 独房は、(かび)と角材、土と水の匂いが入り混じる。裸電球に、羽虫が踊る。その下で、少女は貧弱な照明を浴びている。こちらに気づいた彼女が微笑む。


「あら」

「やあ。食事を持ってきたよ」

「ええ、ありがとう」


 彼女は皿を受け取って、自らの膝に置く。いただきます、と小さいが、通る声がした。両手で握り飯を持ち上げて、はむ、と齧る。淡い口が、もくもくと動き、か細い喉が上下する。

 それを見て、主任の喉も我知らず鳴る。

 摂食は、あまりに普通だった。粗末な椅子を引いて、腰掛ける。


「そんなに見られたら、すこし恥ずかしいわ」

「あ、ああ、ごめんよ」


 思いのほか見入っていたらしい。

 恥ずかしさと後ろめたさに、声が淀んだ。


「……あなたは?」

「うん?」

「どうして、ここへ?」


 主任がここへ来たのは、「ご奉公」のためだった。

 同じ地学でも、天測や地中資源の研究は()()があるとされている。いっぽう古生物学は「お遊び」と見られがちだ。

 それでも今回は、名指しで声を掛けられた。迷わず応じた。

 こんな機会でもなければ、自分の研究が()()()()()()ことはないだろうから。


「……仕事だよ」

「そう」


 少女の相槌は、透明だった。


「目的は、果たせるかしら」

「どうだろう。――どうだろうね」


 食事を終えた少女は、湯呑の水を飲み干した。口の端から、つうと滴が垂れて、少女の洋服に落ちる。なんだか見てはいけない気がして、つい目を逸らす。


「ごちそうさま」

「あとで、水と手拭いも持ってくるよ」

「ありがとう」


 構わないよ。そう言って席を立つ。

 退室して、施錠する。


「ここは落ち着くところ。でも、かなしんでる」


 あまりに普通だった。


  ◇ ◇ ◇


【六】


 竜との対面は、それから二日後だった。

 拘束と収容に時間が掛かっていたらしい。あれほどの暴威を見せたのだ、無理もないだろう。

 艦長の案内で、隔離島へと渡る。河川自体を(ほり)として、竜を閉じ込めているのだ。それでも遊泳能力は未知数だし、事実、先日は島際まで迫ったのだ。結局のところ、火力こそが最大の檻ということになる。


 隔離島の歩哨は、手拭いを顔に巻いている。なにごとかと思ったが、上陸して理解した。ひどい腐臭がする。無数の羽音が空を埋め、油断すると耳や鼻にも入ってくる。

 ちら、と艦長を見るが、相変わらず薄く微笑んでいる。

 その視線の先には、巨大な天幕がある。壊れた防護柵を杭にして、帆布を被せてあるようだ。周囲では、兵たちが土を掘り返し、今も作業を続けている。


「あまり刺激なさらないように、お願いします」

「もちろんです」


 歩哨の敬礼と艦長の答礼は、どこでも同じだ。天幕の端が捲られる。

 濃密な臭気の塊は、もはや触感を伴って眼球を刺す。視界が滲む。目を擦る。視界が開く。

 そして、そこに、竜がいた。


 主任は息を吞んでいた――いや、息ができなかった。

 砲艦から見ていたときは、どこか現実味がなかった。それが今や、竜の頭部が、視界をいっぱいに埋めている。ごつごつとした巨大な爬虫類の風貌に、天を衝く角が猛々しい。

 あまりに非現実的な生き物を前にして、耳もとで騒ぐ蠅の羽音が、これは現実だと教えてくれる。


「どう見ますか」


 さすがに艦長も、ハンカチを鼻と口に当てている。くぐもった声が聞こえる。

 主任は逆に、目と鼻が少しずつ慣れてきた。脳が飽和しているのかもしれない。

 竜。竜だ。異形の影が、目の前で伏せている。係留索や錨鎖など、ありあわせのもので、とにかく雁字搦めにしてあるさまは、人の怯えの鏡といえた。


「そうですね。太古の動物が、姿を変えて生き残ったもの……と言ったところでしょうか」

「太古の動物というと、恐竜とか、そういうやつですか」

「そういうやつです。ただ、種を特定するのは難しいかもしれません。――あの歯牙を見てください」


 こうして手の届く距離で見ると、竜の肌は不定形だ。ひどく歪んでいる。まるで瘡蓋(かさぶた)が折り重なっているようだ。

 その口もとに、茶色に汚れた琺瑯(ほうろう)質が見え隠れする。鋭さと厚みを兼ね備えた、断頭台の刃だ。


「肉食のたぐいということですか」

「一見、そうです。しかし、この立派な角が厄介ですね」

「厄介とは?」

「角というのは基本的に防御兵器なので、()()()()()側の装備です」

「闘争や装飾目的で発達したとは考えられませんか」

「そういう例がないとは言いませんが、角を生やすのと食性を変えるのでは、後者のほうが楽です。二足歩行の肉食竜では、頭部の軽量化は重要な課題になっています。あれほど大きな角を発達させるのは、四足歩行の動物由来としか考えられません。大熊猫などそうですが、もともと肉食だったものが、植物食へと変化しています。恐竜でも肉食だったものから植物食が分かれたという説もあります」


 自らの舌が回るのを、主任自身も止められなかった。

 艦長は、口を挟まずに聞いている。理解しているのか、いないのか。少なくとも、その態度は紳士的だといえた。


「頭部を見るに、いわゆる角竜(ケラトプス)類に見えますね」

「なんとも凶悪な面構えをしておりますな」

「外国の知人に聞いたことがありますが、拒馬竜(スチラコサウルス)というやつに似ています。最近あちらで論文になったようです」


 古代象の頭骨が一ツ目巨人(サイクロプス)と信じられたように、拒馬竜の発見も驚きを以って迎えられたに違いない。鼻先の一本とは別に、後頭部に左右四本、計八本もの角を有しているからだ。

 目の前にいる竜は、鼻先に一本、後頭部に二本の角を持つ。この本数は、属や種で数が違うと察せられるため、おおむね、類の階級では同一だろう。


「この大陸に、角竜の仲間は存在しておったのですか」

「そもそも大陸の古生物学は未知の部分が多いのです。いた証拠も、いない証拠もありません」


 大陸でも、北方の砂漠では角のない角竜が見つかっている。ゆえに角竜類は、()()()()()()()()

 だが、竜は()()()()()()()。それでも、目の前に実在している。その呼吸が、天幕の帆布を揺らしている。


 竜に誘われるまま、主任は胴体側へ回り込む。艦長が、それに追随する。

 頑丈な四肢を折り畳んで、竜は眠っている。どんな夢を見ているのだろうか。


「前肢が発達しているのは、やはり四足歩行の植物食恐竜が起源といえるでしょう。巨大な体躯は肉食への移行に伴う熱量の過剰摂取、長頸化は同種間での食物争いの結果かもしれません」

「黒陽石との関連性は、どうですか」

「なんとも言えません。ただ、影響がないと考えるのは、むしろ不自然でしょう」

「ほう」


 艦長が、少し驚いた声を出す。今まで主任は、わからないことはわからないと言ってきたし、それが科学と信じてきた。

 だが今は、石と竜、説明できない二つのものが、時と場所を同じくして存在している。これを切り離すのは、逆に()()だといえた。


 それよりも目の前の竜だ。先の戦闘のせいだろう、胴に大きな外傷がある。肋骨や神経棘らしき部位が、折れて、(ねじ)れて、そこに肉と皮が付きつつあった。この異常再生が、竜の輪郭を描いているのだ。


「この腹部を見るに、反芻胃を備えているかもしれませんね」

「牛のようなものですか」

「ええ。植物食の動物には、しばしば見られる器官です。ただ、肉食動物の例は――」


 そこまで言って、主任は駆け出した。竜の表皮に触れる。蠢く蛆を潰す感触がした。冷たい。まるで地下水に濡れる岩肌だ。

 艦長が諫めるより早く、主任が話す。


「冷血動物です。活動するには、外的要因で体温を上げる必要があります」

「それが――反芻胃と関係が?」

「肉食動物に反芻胃は不要です。しかし、そこに腐敗ガス――可燃性ガスを蓄積できる。そして、冷血動物は()()()()ことで、劇的な活発さを得る」

「いや、そんな、まさか」


 艦長は否定する。だが、おそらく彼にもわかっているはずだ。

 先の戦闘で、口もとに赤いものが揺らいでいた。確信する。あれは舌などではない。そうだ。


「この竜は、火を吐くことができる」


  ◇ ◇ ◇


【七】


 ひと月が経った。

 前任者の成果を調査し、その合間に少女と、石と、竜に向きあう時間だった。まさに寝る暇もないほどだったが、昂揚が疲労を忘れさせた。

 そして今は、艦長をはじめとした将校と、内地から来た監察官を前に、そうした内容を報告していた。


「……結論として、竜が黒陽石の影響下にあるのは確実です。生物としての情報を、書き換えている可能性があります」

「あの少女のほうは、どうか」

「彼女は……」


 監察官は、石の影響など興味ないという態度を隠さない。

 主任が言い淀むのを見て、監察官は顎の肉を揺らして(わら)う。


「主任先生はどうやら少女に入れ込んでいるようだ。本命は竜のほうだというのに、玉でも握られましたかね」

「やめないか。彼とて陛下の官吏である、めったなことを言うもんじゃない」


 さすがに聞き咎めた艦長が、監察官を制した。監察官の立場は強くとも、()()()()は艦長のほうが多い。

 失礼しました、と平板な声で監察官が言う。取り持つように、艦長が一つ咳払いをして、発言する。


「あれを飼い慣らすことはできないか?」

「無理でしょう。自然の摂理に反したものです」


 主任が答えると、監察官が無遠慮に割り込んできた。


「まあ、飼い慣らす必要もないだろう」

「どういうことです」

「あれを敵地へ放てばいいではないか。ことが済んだら鎮めればいい。違うか」


 あまりに乱暴な物言いに、主任は反論しようとして、なんの言葉も出てこなかった。

 艦長は深く呼吸をしてから、口を開いた。


「帝国は国際秩序に基づく国家である。秩序のない武力は、武力ではない」


 監察官は聞いているのかいないのか、頬杖を顔に埋めている。

 だが、続く艦長の言葉は、主任の期待に沿うものではなかった。


「竜の存在は、人類にとっても科学にとっても、きわめて貴重なものだ。つまり帝国の財産である」

「……はい」

「あの少女も同様である。あらゆる方法で研究する」


 あらゆる方法で研究する。

 今のやりかたでは()()()、というのを、艦長なりに言い換えたものだ。主任には、返す言葉がない。

 わが意を得たり、と監察官が頬に笑窪をつくる。そして朗々と宣告した。


「よって、竜と少女は、本土への移送が決定された」

「それは……危険なのでは……」

「だから本土で調べるのだ。いいな」


 結論は決まっていた。

 これは会議ではなく、報告会なのだ。


  ◇ ◇ ◇


【八】


 その夜、主任は独房へと足を運んだ。

 食事でも清拭の時間でもない。ただ、彼女に会いに行った。

 歩哨には煙草を何本か握らせてやる。それだけで、彼女は自由になった。

 月光を浴びて、少女の髪が金色に舞う。


「すてきな夜ね」

「……そうだね」


 少女とともに河を渡る。小舟の借賃は羊羹だった。

 いくらか()()になったとはいえ、今も腐臭は強烈だ。主任は慣れた。少女は気にする振りもない。

 帆布を捲り、天幕へ入る。歪で質量のある影が、呼吸音を鳴らしている。竜は眠り続けていた。それでも拘束は相変わらずだ。


「こんな風に縛られて。まあ、あんなに暴れちゃ仕方ないわね」

「きみと竜は、どんな――関係なんだ?」

「このこは、わたしのきょうだい。双子みたいなもの」


 きょうだい。双子。

 親は。訊くまでもない。


「きみたちは、石から生まれたのか」

「わたしは、生まれなおした。このこは、生かされている」

「ちがいは、なんだ」

「なにも。あるいは、なにもかも」


 二人の間を、冷たい夜風が吹き抜ける。


「わからない」

「だいじょうぶ」

「なにが」

「なにもかも」


 少女が笑う。月のように。


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