エピローグ:フリーになった俺に、学園中の女子(と親友)が色めき立っている件。……え、次期彼女オーディション開催中って何?
璃々夢との別れから数ヶ月が経ち、季節は梅雨を越えて本格的な夏を迎えようとしていた。
セミの鳴き声が降り注ぐ通学路。俺、天道善治は、額の汗を拭いながらいつもの道を歩いていた。
「あ、天道くん! おはよう!」
「おはよう、天道先輩! 今日のタオル、よかったら使ってください!」
「善治くん、これ新作のクッキー! 味見してみて!」
校門をくぐるまでの数十メートルで、俺はすでに五人の女子生徒から声をかけられ、手には冷えたタオルとクッキーの包みが握らされていた。
「あ、ありがとう……? みんな、朝から親切だなぁ」
俺が首を傾げていると、隣を歩いていた親友の皇 帝雅が、呆れたようにため息をついた。
「……善治。君は本当に、学習しない男だな」
「え? 何が?」
「彼女たちの行動が『親切』ではなく『求愛行動』だということに、いつになったら気づくんだ?」
「求愛って……大袈裟だなあ。ただ単に余り物をくれただけだよ」
俺が笑って否定すると、帝雅は「はぁ」とさらに深い溜息をつき、どこからともなく取り出した手帳に何かを書き込み始めた。
「……1年B組、佐藤。クッキーの糖分過多。健康管理の観点から減点2」
「……2年C組、田中。タオルの柔軟剤の香りが強すぎる。善治の嗅覚への配慮不足。減点5」
「何書いてんの、帝雅?」
「害虫駆除の次は、厳正なる『入国審査』が必要だという話だ」
「入国審査?」
帝雅の言うことは相変わらず難解だ。俺は深く考えるのをやめて、教室へと向かった。
◇ ◇ ◇
璃々夢がいなくなってから、俺の日常は劇的に変化したわけではない。相変わらず困っている人を助け、感謝され、時々遅刻しそうになる。
ただ一つ変わったことといえば、周囲の――特に女子生徒たちの、俺に対する距離感が妙に近いことだ。
昼休み。俺が弁当箱を開けようとすると、
「善治くん! 私の唐揚げ、一つ食べて!」
「天道先輩、卵焼き交換しませんか? ハート型なんです!」
「あの、私、煮物作ってきたので……!」
俺の机の周りには、いつの間にか女子たちの人だかりができていた。みんなキラキラした目で俺を見つめ、それぞれのおかずを差し出してくる。
「え、ええと……みんな、そんなに俺の白飯が欲しいの?」
「「ちがーう!!」」
女子たちの声がハモる。
困惑する俺の後ろで、帝雅が冷徹な裁判官のように腕を組んで立っていた。
「並べ。味見は僕が先に行う。善治の胃袋に入れるに値するかどうか、まずは僕の舌を通過してからだ」
「えーっ! 皇くん邪魔ー!」
「なんで皇くんが食べるのよ!」
「文句があるなら退場だ。善治に毒(質の悪い脂質や添加物)を盛ろうとする輩は排除する」
帝雅の絶対的な威圧感に、女子たちはブーブー言いながらも従っている。
俺はその光景を見ながら、苦笑いすることしかできない。
「帝雅、そんなに厳しくしなくても……みんな好意でやってくれてるんだし」
「甘いぞ、善治。君はフリーになった瞬間、この学園における『最も価値ある希少物件』になったんだ。有象無象が群がってくるのは自然の摂理だが、その中から君に相応しい『本物』を選別するのは僕の義務だ」
「物件て……」
俺は人間なんだけどな。
でもまあ、帝雅が楽しそう(?)ならいいか。彼は璃々夢の一件以来、過保護さに拍車がかかっている気がするけれど、それも友情の証だろう。
◇ ◇ ◇
放課後。
俺は図書室で調べ物をしていた。静かな空間に、ページをめくる音だけが響く。
「あの……天道先輩」
不意に声をかけられ、顔を上げると、そこには小柄な女子生徒が立っていた。
確か、一年の図書委員の子だ。黒髪のボブカットで、大きな眼鏡をかけている。
「はい、何か?」
「こ、これ……落としましたよ」
彼女が差し出したのは、俺の消しゴムだった。
「あ、ありがとう! 探してたんだ」
「いえ……あの、私、ずっと見てました」
「え?」
彼女は顔を真っ赤にして、俯きながら言った。
「先輩が、いつも誰かを助けてるところ……見てました。朝のゴミ拾いも、重い荷物持ってる先生を助けるのも……す、素敵だなって」
蚊の鳴くような声だったが、その言葉は真っ直ぐに俺の胸に届いた。
お弁当やプレゼント攻勢とは違う、静かで純粋な言葉。
「……そっか。見ててくれたんだ。ありがとう」
俺が微笑むと、彼女は眼鏡の奥の瞳を潤ませて、コクンと頷いた。
そして、逃げるように走り去ってしまった。
「あ、名前聞くの忘れた……」
呆然とする俺の背後から、ぬっと帝雅が現れた。
「……1年図書委員、如月メイ。成績優秀、素行問題なし。控えめだが観察眼あり。……ふむ。とりあえず『一次審査』通過といったところか」
「うわっ、帝雅! いつからいたの!?」
「最初からだ。……善治、ああいうタイプはどうだ?」
「どうって……いい子だなぁとは思うけど」
「そうか。まあ、焦ることはない。君の隣に立つ資格があるかどうか、じっくり見極めさせてもらう」
帝雅は満足げに頷き、図書室の窓から夕焼けを見つめた。
「君を傷つける者はもういない。これからは、君を愛し、慈しむ者だけが君の世界を彩るべきだ」
その言葉は少し大袈裟で、やっぱりちょっと過保護すぎるけど。
でも、そんな親友がいてくれることが、今の俺には何よりも心強かった。
「……さて、帰ろうか善治。今日はお母上の新作コロッケの試食会があるんだろう?」
「ああ! 忘れてた! 急ごう帝雅!」
俺たちは図書室を飛び出し、廊下を走った。
窓の外には、夏の始まりを告げる入道雲がモクモクと立ち上っている。
裏切りも、悲しみも、もう過去のもの。
俺の周りには、こんなにも騒がしくて、温かくて、優しい世界が広がっている。
「やっぱり、俺は幸せ者だな」
走りながら呟いた俺の言葉に、帝雅はフッと笑い、「知らなかったのか? 世界で一番、君だけが気づいていない事実だよ」と返した。
これからも俺は、お人好しで、鈍感で、トラブルに巻き込まれながら生きていくんだろう。
でも大丈夫。
最強の親友と、一万人の味方がついているんだから。
ただの善人の物語は、ここからまた新しく始まっていく。
次はきっと、とびきり明るいラブコメディになる予感がしていた。




