4話 我々
学校が再開してから数日が経った。
教室内には相変わらずの喧騒が満ちている。テスト前の焦燥感と週末への期待が混ざった空気が漂う中、私はいつも通り窓際の席で読書をしていた。
斜め後ろの席では、詩織がペンを滑らせる音が聞こえる。昼休みは毎日屋上で一緒に食事を取り、放課後も必ず私の家まで送ってくれるのが習慣になっていた。
だが、私はまだ彼女のことを何も知らない。
黒咲詩織とは一体誰なのか。
彼女たちは何者なのか。
何度も聞こうとしては、喉の奥で言葉が詰まってしまっていた。
「望月さん」
突然名前を呼ばれて本から顔を上げると、担任の田辺先生が立っていた。
「あ……はい」
「今日は放課後職員室に来てちょうだい」
「分かりました」
授業が終わり、教室を出る時、詩織が無言でこちらを見つめていた。
「……大丈夫よ。すぐ戻るから」
小声で言い残し、職員室に向かう。
用件は単純だった。家庭環境についての聞き取り調査。形式的な質問に機械的に答えているうちに気が滅入ってきた。嫌なことを思い出すだけだった。
私の家族は五年前、父と母が離婚し、今は母と二人で暮らしている。母は離婚後、水商売をしており、滅多に家に帰ってこない。帰宅しても私と会話することはなく、暴言を吐き捨ててはすぐに出かけてしまう。そんな家に、私は嫌気がさしていた。
やっとのことで調査は終わり、職員室を出るとすでに日は暮れ始めていた。夕焼けのオレンジが校舎を染めている。校門に向かうと詩織が待っていた。
「遅かったわね」
「ごめんね……」
「いいわ。それより」
詩織は夕焼けに背を向け、私の方へ向き直った。
「今日の夜、時間空いてるかしら?」
「夜?特に予定は無いけど」
「そ、なら夜にここに来て」
詩織に渡された紙には集合場所の住所が書かれていた。
私は図書館で時間を潰し、例の場所に向かう。
40分程歩き、私たちの住む住宅街の外れまで来た。街灯もまばらな薄暗い道を進むと、小さな公園に出た。ブランコがひとつだけ寂しげに揺れている。
公園の目の前に詩織が立っていたのを見て、私は彼女の元へ向かった。
「ここなら話しても問題ないわね」
「私の家じゃダメだったの?」
「夜風に当たりながらの方がリラックスできて喋りやすくなるじゃない」
おそらく彼女なりの気遣いだ。私がいつも家に帰ることに苦い思いをしているのを、察してのことだろう。
詩織はブランコに腰掛け、脚を伸ばした。
「聞きたいことがあるんでしょう?」
「うん……」
唾を飲み込む。
「あなたたちは……何者なの?」
今まで溜め込んでいた疑問を、やっと口にすることができた。
詩織はしばらく黙っていた。やがて夕闇が深くなるにつれ、彼女の輪郭が少しずつぼやけていく。
「何者かなんて、自分たちでも分からないわ」
「分からない……?」
「ええ。人間でもない。獣でもない。ただ人の血肉を求めて夜に生きる……醜く哀れな種族。それが私たち」
ブランコが揺れる。鎖がギシギシと鳴る。
「私たちは自分たち自身のことを定義しきれないでいるわ。あやふやなのよ、私たちは」
そう答える彼女の顔に影が覆う。
「あなたは……他の化け物とは違うの?」
「違うわよ。私は"我々"の中でも特殊な個体。もっと言えば……」
詩織が立ち上がる。夕闇の中で彼女の姿が少しずつ膨れ上がっていく。
「"シハイシャ"ダモノ」
彼女の声が低く響く。その瞬間、目の前の大気が歪んだ。
「ワタシハ、クロキオウ。コノチヲスベルモノ」
巨大な黒い体が伸びる。鋭い爪が地面を抉り、赤い瞳が私を射抜く。
目の前の化け物は私に優しく声をかける。
「コワイ?」
「……少しだけ」
正直に答えると、彼女はくつくつと笑った。
「デモ、ウケイレテクレルノネ」
「うん。だって私……」
詩織の大きな手が伸びてきて、私の頬に優しく触れる。
「あなたになら食べられてもいいと思ったから」
指が私の唇に触れる。
「イイ子ネ」
遠くから犬の吠え声が聞こえた。詩織はすぐに人間の姿に戻り、ブランコに座るとキィキィとブランコを揺らした。
頬の感触が残ったまま、私は彼女に尋ねる。
「ねえ詩織」
「何?」
「あなたみたいな人が他にもいるの?」
詩織は空を見上げた。
「いるわ。私たちは人間社会に紛れ、暮らしている。そして、各地域にそれぞれ支配者がいて、私はこの町を守ってるわ。他の場所ではまた別の支配者とルールがあるの」
「守ってる……?」
「ええ。この町では私が定めた場所以外では食事をすることは禁じている。理由は簡単よ。バランスが崩れるから」
「バランス……」
「人間を減らせば私たちも飢える。かといって増やしすぎれば人間に見つかり、絶滅させられる。だから適度に間引いて管理するの」
詩織の声は冷静で、まるで教師が生徒に算数を教えるようだった。
「でも……前の事件は?」
「アレは外部のモノか、最近産まれたモノよ。私のルールを知らない侵入者。だから罰した」
私は理解した。あの時、私を化け物から守ったのは自分の獲物が取られるからだけでなく、この町のバランスを保つために殺したのだ。
少し、複雑な気持ちになった。
「あなたはいつからこんな事をしてるの?」
「...さぁ、覚えていないわ」
そう答える彼女の目は遠くを見つめているような気がした。
そんな彼女を見て、これ以上踏み込むのはいけないと察した。
少しの静寂の後、言葉を発したのは彼女だった。
「この先にコンビニがあるわ。なにか買って帰りましょう」
「うん」
私たちの会話はそこで途切れた。コンビニの明かりを目指して歩き出す。
コンビニに着き、詩織が私に待っててと言い残し、お店に入っていった。
店から出てきた詩織の手にはアイスクリームを持っていた。
「どっちにする?」
詩織はチョコアイスとバニラアイスを選ぶように私に聞く。
「ありがとう。じゃあ、バニラで」
詩織からアイスを受け取る。ほんのりとした甘さが口の中に広がる。
「美味しい……」
「でしょ?私のイチオシよ」
「前から思ってたけど、あなたたちって人間の食べ物も食べるんだね」
詩織はふっと笑って答えた。
「ええ、食べるわ。私たちが人を食べるのは、食欲を満たす他に、この体と力を維持するためよ。だから、定期的に人を捕らえて食べてるの」
「……」
彼女が今も当たり前のように人を食べていることを想像すると、少し畏縮してしまう。
そんな思いを取っ払うように、私はアイスを食べながら、他に疑問に思っていたことを聞いてみた。
「詩織はなんで転校した日に私に声を掛けたの?」
「そんなの決まっているじゃない。ただの興味よ」
「…興味?」
「そう興味。あなたには何か感じるものがあったから気になっていたの。ただそれだけ」
「そっか...」
他人に興味を抱かれた事が無かった私は少し気まずさに言葉が続かなかった。
「さ、帰りましょうか。家まで送っていくわ」
そう言ってアイスを食べ終えた詩織が包み紙をゴミ箱に投げ入れる。
私もそれに続き、包み紙を捨てた。
帰り道、詩織はずっと私の手を握っていた。その手はいつものように冷たかったけれど、今はなぜか温かく感じた。
「沙也加」
沈黙を破るように、詩織が口を開いた。
私は静かに答える。
「なに?」
「あなたは本当に面白いわ」
「どういう意味?」
「普通の人間だったら怖くて逃げ出すところなのにあなたは私に食べて欲しいと懇願した。今までそんなことなんてなかったわ」
「……わたしは普通じゃないから」
「そうね。だからこそ最高の餌になる」
詩織の声にぞくりとする。恐怖ではない。何か別の感情が湧き上がるのを感じた。
「あなたは……本当に私を食べるの?」
「もちろん。でも、あなたが十分に熟したらね」
詩織は冷たい声で答えた。
「熟す……?」
「ええ、あなたが自身の生への欲求が最高潮になったら、人喰いである私を拒絶するようになる」
詩織の目は真剣だった。そこには嘘偽りのない本心が映っているように見えた。
「あなたが恐怖と後悔を持ち、泣きながら抗おうとし、生き物として正常な反応をする完璧な状態になった時にゆっくりとじっくりと味わう事。それが私の最終的な目的。」
彼女の語る計画は恐ろしく、常軌を逸していた。
けど...私にはその言葉が救いのように聞こえた。
「楽しみにしてるね。その時が来るまで」
「えぇ」
詩織は微笑みながら答えた。その笑顔に込められた意味を考えようとする前に、家の玄関前についた。
「おやすみなさい沙也加」
「おやすみ詩織」
互いに挨拶をして別れる。
自室に戻り布団に入った時、いつもとは違う高揚と、嬉しさが心を満たしていた。
不思議に思いつつ目を閉じ、眠りにつこうとするが睡魔は襲って来ない。何故だろうと寝返りをうちながら考えているうちに、段々と瞼が重くなっていった……
翌朝 目を覚ますと、スマートフォンにメールが一件来ていた。送り主は詩織だった。そういえば最近スマホを買った詩織が連絡先を聞いてきていたなと思い出しながら、内容を見る。
『今夜も同じ時間に公園で待ち合わせしましょう。』
その文字列を見た私は、いつも苦に感じていた一日が、楽しみと期待で溢れた。
こんな思いをしたのはいつぶりだろう。
軽やかな足取りで身支度をし、誰もいない廊下に「行ってきます」と言い、家を後にした。
学校に着き、教室を見渡しても詩織の姿が無かった。珍しく遅刻してくるのかな?と思い授業を受け、昼食を食べ、図書室で読書をした後、約束の時間に公園に着いた。
昨晩座ったブランコに腰をかけ、二時間ほど待てど、結局詩織は姿を現さなかった。
また事件が起きたのか?その渦中に詩織がいるのだろうか?
そんなモヤモヤとした不安を抱えながら、私は仕方なく家に帰り、いつものように夕食を作り始めた。
数分が経ち、料理を終えたと同時にインターホンが鳴る。こんな時間に訪ねてくる人は滅多にいないので首を傾げながら玄関に向かう。
ドアを開けると、そこには制服姿の詩織が立っていた。予想外の人物の訪問だったので、柄にもなく大きな声で彼女の名前を叫んだ。
「詩織...!」
「...こんばんは沙也加。上がってもいいかしら?」
「いいけど……」
「ありがと」
靴を脱ぎ廊下を歩く彼女の姿を見つつ、後を追いかける。人を家にあげるなんて初めてだ。
リビングに入り椅子に座るように促すと、大人しく従ってくれたので、私はキッチンに戻り、作り終えたばかりの晩御飯をテーブルに運んだ。詩織の分もある。食べるはずのない母の分まで作ってしまったため、食べてもらおうと思ったのだ。
向かい合うように座る。目の前には彼女がいる。なんだか変な感じだ。誰かと食卓を囲むなんて長らくしてなかったから不思議な感覚だった。でも、悪くない気持ちになった。
「いただきます」
「頂きます」
二人で手を合わせた後、食事を開始する。私が作ったものを黙々と食べる彼女の顔は、少し疲れが見えていた。
私は心配とちょっとした怒りを抑えながら、彼女に聞いた。
「そういえば、今日学校どうしたの?公園にも来なかったし...」
私が聞くと、詩織は少し困ったような表情を見せた後、こう答えた。
「……サボっちゃった」
「珍しいね、詩織が学校休むなんて」
普段学校では真面目で優等生な彼女が、例外があるとはいえ、個人的な事情でズル休みをするというのはかなり意外であった。
「まぁ色々と事情があったのよ」
歯切れの悪い返事だったものの、これ以上追求しても仕方ないので流すことに決めた。
しばらくすると食べ終わったらしく、席を立ち片付けを始めてくれたので手伝うことにした。二人で台所に立ち、作業することで、今日感じた寂しさが少し拭われたような錯覚を覚えつつ、洗い物を終わらせる。
「それじゃあそろそろ行こうかしらね」
「行くってどこに?」
何気なく聞いたつもりだったが、ある程度検討が着いていた。
「どこだと思う?」
「まさか、昨日の公園?」
「正解」
「行くのは構わないけど……」
「だけど、何?」
「今からだと、かなり遅い時間になるわ」
そう言ってみたものの、本当はまた彼女と共にあの場所に行きたいと思っている自分がいる。
しかし、そのことを口にするのはまだ、小っ恥ずかしさがあり、彼女が強引にでも連れ出してくれるよう意地悪な返答をしてしまった。
「大丈夫よ。私が一緒なんだから」
詩織の力強い言葉に、安心感を覚えると共に、胸の中にある迷いが晴れていくようだった。自然と口角が上がっていくのが分かるほど口元が緩んでいることに気付いた時にはもう遅かった。無意識のうちに口を開いてしまっていたからだ。
「わかったよ。行きましょ」
こうして私たちは昨晩と同じように夜の公園へと向かうこととなった。
到着するまでの道中はお互い無言のままだったものの、不思議と嫌ではなかった。むしろ心地よい時間だとさえ感じてしまったほどだ。やはり私は詩織に対して特別な感情を抱いてしまっていることは明白であり、認めざるを得ない状況になっているように感じてしまう程だった。
そして目的地へと辿り着くと、先日と同じ光景が目に入る。満天の星空と微かな虫の鳴き声、そして優しい風。昨日のことなのに、全てが懐かしいような感覚さえ覚えるほどであった。
「昨日と同じ場所にしようかしらね」
「そうだね」
そう言ってブランコへと移動すると腰掛ける。
「ねぇ詩織」
「何?」
「学校を休んだのズル休みって...あれ嘘だよね?何があったの?」
今日一日抱えていた疑念をぶつけると、詩織は少し困ったように苦笑しながら答える。
「実はね……」
「実は?」
「私たちには決まった狩場があるのよ。でも、この前の事で知能が低いヤツが誤解をし、狩場以外で食事をしてしまってね...」
淡々と彼女から語られる彼らの話は、現実味を感じられないものだらけだったが、あんな経験をした事もあり、不思議と受け止めてしまっている私がいることに驚く。
今日一日、いつものように学校に通っている間にも、顔も名前も分からない誰かが化け物に食べられ、消えている。
きっとこの世界ではこんな事はざらなことで、彼女らにとっては日常の一部分でしかないんだなと、私はそんな世界の裏側に片足を突っ込んでしまったんだなと、そう心の底から思った。
それでも私は亡くなった人よりも、疲れきった顔をする目の前の化け物(彼女)の方を心配してしまっている。
「それで...前みたいに殺したの?」
「ええ、殺したわ。私たちの世界ではルールは絶対だからね」
冷たく答える詩織。
「そうなんだ……」
「迷惑かけてごめんなさいね」
「気にしないで。それよりケガとかしなかった?大丈夫だった?」
「全然平気。むしろ逆に暴れたおかげでストレス解消になったくらいだもの」
「それは良かった...のかな?」
安堵する私を見て楽しそうに笑う彼女に釣られて笑みを浮かべてしまう。やはり私はこんな話をする彼女に魅入られてしまうほどに、狂ってしまっていた。
そう思いながら私と詩織はそれぞれ帰路についた。
家に着くなりソファにダイブする。なんだかとても疲れたように感じるからだ。
スマホを取り出しメッセージアプリを確認する。新着通知があったので開いてみるとそれは彼女からであったようで、早速内容をチェックすることにした。
『明日一緒に学校行かない?』
という文面と共にスタンプが添えられていた。即決でOKする旨を返信すると、すぐに既読マークがついた後に『ありがとう!』という文字が表示されたのだった。
スマホを使う彼女を想像すると、どこか可笑しくて、クスッと笑ってしまった。
4話です




