3話 黒き王
黒咲詩織との異常な関係が始まって、既に一週間が過ぎようとしていた。
そんな中、学校は騒然としていた。昼休み、担任の口から昨晩、他のクラスの一人が夜間に惨殺されたという知らせが告げられたのだ。警察の見解では、遺体は無残にもバラバラで、野生動物によるものという信じられないほど猟奇的な現場だったらしい。被害者は誰にも恨まれるような人物ではなかったそうな。その現場を直接見た訳ではないのに、それなのに、なぜかその光景が脳裏に鮮明に浮かび、胃の底が重くなる。
ふと、詩織のことが頭を過る。しかし、理知的な彼女が、安易に身近な人間を殺すはずがないと根拠の無い事を思った。それに...彼女の食べ方は骨も残さないほど、綺麗な食事だったはず。そんな否定が私の中で巡るが、肝心の彼女は二日ほど欠席していた。
私は詩織に対する疑念が晴れないでいた。
学校側の判断により、全生徒が早退することとなった。
私は図書館にでも寄って帰ろうと支度をし、学校を出た。
図書館に着き、読書スペースにて本を読み始めた。
今日は珍しく人が多かった。周りを見渡すと、他校の制服姿や私服姿の同年代も多く目につく。どうやら同じ地区の学校の生徒も早退扱いとなったらしい。
やはり、ここでもあの事件の話題でもちきりだった。図書館とは思えないほど、話し声がこだましていた。
時間が経ち、本を読み終えた私は帰ろうと席を立った。そこから五十メートルほど歩いた先で声がかかった。
「沙也加」
振り向くと詩織が立っていた。彼女は微笑みながらこちらに歩いてくる。
久しぶりだね。元気してた? そんな当たり前の声かけが出来なかった。ただ今は彼女に会えてよかったと心底思ったのだ。だからこそ余計に、彼女に対する疑いが強くなってしまった。そのことを察したのか、詩織は口を開いた。
「疑っているんでしょう。私が殺したんじゃないかって」
核心をつかれて心臓が跳ね上がる。だがすぐに平静を取り戻し、否定する。
「別に……そんなことは考えていないよ」
嘘だった。本当は考えていた。
でもそれを認める訳にはいかない。ここで認めてしまえば彼女を拒絶することになる。それだけは絶対に嫌だった。
すると彼女はくすりと笑った。
「正直でよろしい。でも安心して。私が殺したわけではないわ」
「じゃあどうして……」
そこで言葉が詰まる。仮に彼女のせいじゃなかったとしても、他の原因がわからない以上、不安は拭えない。
「まあいいわ。それより早く帰りましょう」
そう言って先導する詩織を追って外に出た。
外はもう夕日に染まりかけ、街灯もつき始めている。いつもならまだ賑わっているはずなのに、妙に閑散としていた。
帰り道も私たちの間には沈黙があった。何を話したら良いのかわからなかったからだ。しばらくして、人気の無い廃墟が並ぶ所に入った辺りで、突然彼女が立ち止まる。
「ここまで来たら大丈夫かしらね」
その言葉と同時に背筋が凍った。振り返るとそこには知らない男が立っていた。背丈は高く痩せ型で眼鏡をかけており髪はぼさぼさだ。服装は薄汚れたパーカー姿で、一見浮浪者風だが、表情だけは異様だった。人間性を感じない無表情な顔でこちらを見ているのだ。その目は完全に焦点があっていない。明らかに普通ではない存在だった。
その男を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
同じだ...詩織と同じ、人をただの餌としか見ていない、冷たくも狂気じみた目。そして、その男が放つオーラからは異様な雰囲気が漂っているのがわかった。おそらく化け物だ。そう直感した時、体が硬直してしまった。声を出そうと思っても喉がカラカラで音にならない。
『おい』
男が喋った。しかしその声には抑揚が一切なく機械的な印象を与えた。
『お前、同族だな。そのニンゲンは俺が最初に目をつけた。大人しく去れ』
同じ言葉なのに言っている意味が分からなかった。
しかし一つだけわかることがある。こいつは危険だ。一刻も早く逃げなくてはならないと思った矢先、体が動かないことに気づいた。金縛りにあったみたいに指一本動かすことができなかったのである。男はゆっくりと近づいてくる。
「大丈夫よ、沙也加。怖がらなくていい」
詩織が囁いた瞬間、男の姿が歪み初め、獣のような気味の悪い姿へと変わった。
あの日見た詩織と似た化け物の姿。
化け物が視界から消えた途端、その化け物は詩織の頭を鷲掴み、壁へと強く吹き飛ばした。
私は目の前の光景に脳が追い付かず、そのまま地面に崩れ落ちてしまった。恐怖で悶える暇もなく、次に化け物は私の元へ寄り、大きな口を開けた。
嫌だ。こんな死に方は。
私は...詩織に...
「ふふ、あなた新参者ね」
壁に埋もれていたはずの詩織の声が聞こえた。
化け物はピタリと動きを止め、彼女に目をやる。
「私を誰かも知らずに、沙也加に手を出そうだなんて...」
「教育が必要ね」
冷たく、普段とは違うドスの効いた低い声。
あの日聴いた声そのままだ。
次の瞬間、詩織は黒く、赤い目をした化け物の姿へと変化していた。
その姿を見た化け物は動揺していた。
「オマエマサカ!クロキオウ!?」
黒き王...?化け物の言ったこの呼び名が詩織を指しているということを、私は自然に理解した。
「スコシハチノウガアルヨウネ。ホメテアゲル」
そう言うと詩織は化け物を殴り飛ばした。化け物の体は勢いよく吹っ飛び、塀を破壊する音が響く。
間髪入れずに、詩織は化け物の元へ駆け寄り、鋭いかぎ爪で、その肉体をぐちゃぐちゃに引き裂いた。赤い血が飛び散り、臓物が掻き出される。
「サイショニコノコヲミツケタノハ、コノワタシダ」そう言い放った詩織は、化け物になんの躊躇もなく、トドメを刺した。
そして、動かなくなった化け物をむしゃむしゃと喰らい尽くした。
「さてと……これで邪魔者はいなくなったわね」
そう言うと彼女は元の姿へと戻っていく。傷一つ負っていないようだった。一体何が起こったんだろうと考えているうちに、彼女はこちらへ歩み寄ってくると、しゃがみ込み目線を合わせてきた。
「怪我はない?」
「うん……大丈夫だよ。ありがとう……」
正直まだ混乱していてうまく思考できない状態だったが、とりあえず返事をすることができた。
「それは良かった」
彼女は安心したような表情を見せると、優しく微笑んでくれた。その笑顔を見た瞬間、安堵感が溢れてきて泣きそうになってしまった。でも必死に堪えて平然を装ってみせる。
「あーあ、私の沙也加が埃まみれになってしまったわ」
詩織は先程と違い、軽く、明るい声でそう言い、私の体から埃を払ってくれた。
そんな詩織を見ながら私は、先程の化け物が口にしていた言葉を思い出し、詩織に聞いた。
「さっきの化け物...詩織のことを黒き王って...」
「あぁ」
少し考え込むように詩織は私の目を見ながら言った。
「そうね……あれは我々の頂点に立つ存在……という意味よ」
「我々……?」
「私達の種族の事よ。そして私は彼らの王なの」
「どういうこと?」
「つまりこういうことよ」
詩織は立ち上がり、スカートについた埃を払い落とす動作をし、私を見下ろしながら言う。
「人喰いの化け物の王。それが私。あなたの運命を変えたものの正体よ」
詩織はさも当然かのように答えた。
我々?王?私は彼女の言う言葉に理解ができずにいた。
「私が沙也加を見つけて以来、沙也加は私の物であり、私の餌でもあるわ。だからこそ誰にも渡さないし奪わせない。例えそれが同胞であっても容赦しないわ」
そう言って妖艶に微笑む彼女からは、先程までとは異なる威圧感を感じた。それはまるで女王蜂のような恐ろしさを含んでいた。しかし不思議なことに、全く恐怖は感じなかった。むしろ心地良いくらいだった。彼女の言葉が私の魂に直接刻まれていくようだった。
「さあ帰りましょう?こんな所で長居しても何も得るものはないし時間の無駄だから」
そう言って踵を返す彼女に続いて私も歩き出した。
辺りが暗くなった家路の途中、私はずっと考えていた。私はこれからどうすればいいのかと。
詩織に食べられるために生きるのは決意したことだ。
それでも詩織と関わるごとに彼女に対して分からないことが多くなってきている。
私は恐る恐る詩織に尋ねてみた。
「ねぇ……」
「なぁに?」
「詩織は本当に私を食べるの?それとも玩具にして遊ぶつもりなの?教えてほしい」
私の問いに対して詩織は何も答えようとしなかった。ただ黙々と前を見て歩き続けた。その横顔からはどんな感情を抱いているのか読み取ることができなかった。ただ一つ言えることは、今まで見てきた彼女とは明らかに異なる雰囲気を纏っていたということだ。
沈黙が続いた。聞きたいことが沢山あったのに、私は声に出来なかった。
気づけば私たちは分かれ道までやって来た。去り際に、詩織は口を開き、私にこう言った。
「あの事件の主犯はさっきのヤツで間違いないから、明日からは安心して外を歩けるわ。おやすみ、沙也加」
そう言って詩織は夜の町中へ消えていった。私はしばらく呆然として立ち尽くしていた。頭の中で様々な感情が渦巻いていた。嬉しいような悲しいような怒っているような悔しいような……そんな複雑な心境だった。ただ確実に言えることは、今まで感じたことのない感情が芽生え始めていたということだ。
「また明日」
既に見えない詩織の背中に、自然とそう呟くと足取り軽く家路についた。
数日が経ち、学校閉鎖が解かれた知らせを聞いた。学校が休みの間に、詩織とは会っていなかった。
私は慌ただしく支度を済ませて学校に向かう準備をする。玄関に向かう前に洗面台の鏡を見ると自分の姿があった。相変わらず可愛くない顔をしているなと思いながら、重たい体を引きずり、家を後にした。
登校中に横目で見た新聞には、まだあの惨殺事件についての記事でもちきりだった。
あの日、去り際に言った詩織の言葉。もしそれが本当なら、この事件の真相は世間には明るみになる事はないだろう。と、私は思った。
学校へ着くと、すでに教室には多くの生徒たちが集まっていて、楽しそうに談笑している姿が見受けられた。その中に詩織の姿があった。久しぶりに見た彼女はいつものように綺麗で冷たい目をしながら、窓を静かに見ていた。そんな彼女を見て私は心の底からほっとしていた。
私は自分の席に着いて机の中から教科書などを出した。授業が始まるまでの短い時間の中で、詩織のことが気になって仕方ない自分がいることに気づく。彼女は一体何を考えているんだろうという疑問が浮かんで離れないのだ。詩織の事をもっと知りたい。彼女を理解したい。そう思っていたが、今はとりあえず彼女がまた、学校に来てくれたことに私は安堵した。
3話です




