失言と迫真の演技(2)
ラウルが家を出たのは日の暮れかけた夕刻だった。
「さて、そろそろお暇させていただきます」
「…なんのお構いもしませんで…」
げっそりとした顔で、扉の前まで見送りに出た。
長い時間、テーブルを挟んで二人きり。会話という会話もなく、重苦しい空気の中時間だけが過ぎていく…地獄のような一時…
あまりの居た堪れなさに、それとなく帰宅を促してみたが「私の事はお気になさらず」なんて言われたら、口を噤むしかない。
「分かっているとは思いますが、敷地外への無許可での外出は禁止です。念の為に、敷地の周りに陣を張ってありますが、くれぐれも言いつけを守るように」
私が敷地を出ると報せが行くようになっているらしい。何とも便利な世界だ。
「はいはい」と頷きながら、ラウルを送り出した。パタンッと扉を閉め、一人になったところで改めて部屋の中を見渡した。
(これからここが私の家…)
この世界に来て早々散々な目に遭ってきたが、ようやく見つけた安息の地。行動の制限など多少の問題はあるものの、土地感のない私にとっては何の苦もない。
むしろ、衣食住を提供された上で引き篭れるなんて…
「最高か?」
ピンッと気づいてしまった。
ここには、パワハラ上司もセクハラ気質な取引先もいない。無理なノルマを課されることもなければ、残業と言う名の拘束もない。
「ここは桃源郷…」
目を輝かかせ、両手を組みながら呟いた。
「一時は神様なんていないものだと思ったけど、誤解してわ。神様はちゃんと見ててくれたのね」
嬉しさと安心感一杯になりながら、ふかふかのベッドに埋もれながら眠りについた。
***
翌朝、まだ朝霧も晴れない時刻に激しく扉をノックする音で目が覚めた。
「はい?」
寝ぼけ眼で扉を開けると、そこには険しい顔をしたラウルが立っていた。
「何です?こんな朝早く…」
目を擦りながら問いかけると、手に持っていた籠を差し出してきた。
「朝食です」
開いた口が塞がらないとはこの事。まさか本当に届けに来るとは思いもしなかった。
(というか、時間帯…)
いくらなんでも早すぎやしないか?わざわざ持って来てくれた手前、文句は言えないが…
籠の中を覗くとパンと卵が入っていて、簡素な朝食といった感じ。
きっと、元のセレーナだったら『これは何ですの!?こんなものをわたくしに食べろと言うの!?』なぁんて言うんだろうな。と、苦笑いを浮かべた。
「あ、食事ありがとございます。美味しく頂きますね」
扉の前にずっと立ったままのラウルに声を掛けたが、帰る気配がない。
「あのぉ?」
首を傾げて見せると「私も食事がまだなんです」なんて事を言い出した。
(……なんと?)
籠の中をもう一度よく見れば、一人前にしてはパンと卵の量が多い。最初から一緒に食べる気で来た事が丸分かり。
「…ご一緒、します?」
仕方なく、家の中に通した。
「少し待っていて下さい。今お茶を用意します」
髪を括りながら、キッチンへと向かった。
「さて」
目の前にはパンと卵。このまま出してもいいが…折角なら美味しく食べたい。
(目玉焼き?それともオムレツ?)
忘れかけていたが、ここは乙女ゲームの世界。世界観的にマヨネーズやケチャップなんて調味料があるはずない。
だが、このゲームを作った制作陣は食材まで手が回らなかったとみえて、慣れ親しんだ物が多くある。これは、嬉しい誤算。
セレーナはしばらく考えたあと、卵を茹で始めた。
キッチンから聞こえてくる鼻歌を、ラウルは目を閉じながら聞いていると「お待たせ致しました」と言う声が聞こえた。
目を開けるとテーブルにはたっぷりの玉子が挟まったサンドイッチが…
「これを貴女が?」
「別に嫌なら食べなくていいですよ?」
警戒されて当然だしな。と思って声を掛けたつもりだったが、ラウルは一つ手にすると躊躇なく口に運んだ。
(は?)
あまりの勢いの良さに、こちらが心配になる。
「…驚いた。美味しいです」
勢いよく食っておいて、なんとも失礼な奴。
「料理が出来ると言うのは、嘘ではなかったようですね」
「やっぱり疑っていたんですね」
「当たり前です。アイリーン様を酷い目に合わせた当人をそう簡単には信用できませんよ」
「…」
冷たく憎しみが篭った眼で睨みつけてくる。
そうだろうな…とは思っていたが、やはりこの人もヒロインに好意を持つ一人。即ち、悪役令嬢である私に敵意があると言う事。
「私は貴女の事を知る義務があります。簡単に逃げられると思わないように」
完全に捕食者の様な眼で言ってくる。蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちなんだと、蛙の気持ちを思いながら冷や汗を流した。