推しという名の生贄
その後、不安顔のルーファスに王子の婚約者であるアイリーンの所に行きたいから付いてきてくれとお願いした。
「あ~ぁ…なるほど。まあ、理由は分かった。けど、それ僕必要?送り届けるだけでいいんちゃう?」
「駄目!絶対にダメ!一緒にいて!」
縋り付きながら引き止めた。
貴方は大切な交渉材料なの。なんて口が裂けても言えないし、あまりに必死だと不信に思われる訳で…
「なぁんか嫌な予感しかしんなぁ」
完全に怪しみながら顔を覗き込んでくる。そんなルーファスの目を見れるはずもなく、スっと目を逸らした。
「ふ~ん?…まあ、しゃぁない。乗り掛かった船や」
ルーファスも承諾してしまった手前、今更嫌とは言えなかったのだろう。どちらにせよ、セレーナ的には助かった。
「んじゃあ、まあ、行きますか」
善は急げと言うことでと、ルーファスはセレーナの肩を抱くと呪文を唱え始めた。唱え始めてすぐに足元が光だし、陣が浮かび上がった。
「しっかり掴んどってよ?」
その言葉に、セレーナはルーファスの服をギュッと掴み目を瞑った。
「もうええよ」
時間にして数秒。目を開けると、そこは城の中庭だった。
なんと言うか、流石だな。その一言に尽きる体験だった。
「ん~、婚約者殿の部屋は二階かな?」
指を望遠鏡のようにしながら見つめる先には、広めのバルコニーがある一室。
「そんな事まで分かるの!?」
「まあ、伊達に師団長やっとらんからね」
ここに来て初めて、この人の凄さを知った気がする。
(アイリーンが推すのも頷ける)
仕事が出来るイケメンで、愛想があって話しやすい。何を考えてるか分からないけど、ミステリアスな一面だと言えば聞こえもいい。
「惚れた?」
「…その一言がなければ、印象は良かったわね」
「それは残念」
「くくくっ」と笑いながら揶揄ってきた。
***
その頃、アイリーンは部屋で侍女に当たり散らしていた。
「何度言ったら分かるの!一人にしてって言ってるじゃない!」
目を吊り上げ、怒鳴りつけながら手当り次第に物を投げつける。怯えた侍女達は足早に部屋を出ていくが、物が割れる音はしばらく続いた。
肩で息を吐きながら、ギリっと唇を噛み締めた。
カタン…
バルコニーの方から物音がし、勢いよく振り返った。
「荒れているところ失礼、お邪魔しますよ?」
「貴女…」
そこには、悪役令嬢であるセレーナがニヤッと口角を上げて立っていた。
「なんで、あんたがここにいるのよ!」
「そんなの、貴女に話があるからに決まっているでしょう?」
「私にはないわよ!」
アイリーンは崩れるようにその場に項垂れた。
「もう、なんなの…!こんなのゲームになかった!ルーファス様だってそう!彼の恋人は私のはずなのよ!」
頭を掻きむしり、壊れた玩具のようにブツブツと文句を呟いている。
そんな姿のアイリーンを見たところで、なんの感情も湧いてこない。薄情だと言われたらそれまでだが、私は悪役令嬢だし。他人を気遣っている場合じゃない。
「…ねぇ、貴女、この世界がゲームの中って言ってたわよね?」
ポンッとアイリーンの肩に手を置き問いかけた。
「それがなに?」
「その話が聞きたくて来たの」
「は?悪役令嬢であるあんたが?今更どうしようっての?断罪されたらあんたの出番は終わり。私の世界に入ってくんじゃないわよ!」
ヒロインだと思えぬ形相で怒鳴り散らされた。
「私だって関わりたくないわよ!あんたが、あいつを繋ぎ止めてないからこんな事になってんじゃない!」
怒鳴り返すと、アイリーンは唖然とした顔で見つめ返してきた。
「単刀直入に聞くけど、騎士団長であるラウルも攻略対象者で間違いないわよね?」
「は?なんで攻略対象なんて…ちょ、もしかして、あんたも転せ──」
「そんな事はどうでもいいから」
『転生者』と言いかけたアイリーンの口を手で塞いで止めた。「モゴモゴ」と何やら言いたげだったが、睨みつけてやれば大人しくなった。
「ねぇ、お取り込み中のとこ申し訳無いんやけど、そろそろ出てもええ?」
バルコニーの手すりに腰掛けたルーファスが声を掛けきた。ルーファスの姿を見た瞬間、アイリーンの目の色が変わった。
「る、ルーファス様!?な、なぜ、貴方が!?」
驚いてはいたが、その表情は嬉々として完全に恋する女の顔。
「私が付いてきてって頼んだの」
「は?なんであんたが!?」
「あぁ、勘違いしないで。彼に対してなんの感情もないから」
アイリーンは下手に拗らせると面倒なタイプだから、こういう事は早めに言った方がいい。
それじゃなくとも、悪役令嬢とヒロインという立場だ。これ以上の厄介事は御免だ。
「うわぁ傷付くなぁ」なんて声が背後から聞こえたが、今アイリーンから目を逸らせば刺される気がして、振り返れなかった。
「私はこのゲームのことを聞きたいの。勿論、タダとは言わない。ルーファスを差し出すわ」
「え?」
「は?」
驚きながらも、嬉しそうに頬を染めたアイリーン。対称的にそんな事聞いてないと不快そうに顔を顰めるルーファス。
「どういう事か説明してもらえるかなぁ?」
ルーファスはアイリーンに聞こえないよう、小声で問いかけてきた。笑顔を作ろうとしているが、引き攣っているのがよく分かる。
「ごめん。謝罪は後でいくらでもするから、今だけは話を合わせてちょうだい」
「はぁ?」
「お願い!私の命がかかってんの!もうこれしか方法が思い浮かばなかったの!」
悲痛な思いをぶつけた。
ルーファスはしばらくジッとセレーナの瞳を見ていたが、降参とばかりに大きな溜息を吐いた。
「貸し」
「え?」
「貸しにしといたる」
「ありがとう!」
この際、貸しだろうかツケだろうがどうだっていい。
「ほんなら、お姫様?僕の一日を貴女に預けましょ?」
「!!!!!!」
アイリーンの手を取り軽くキスをすれば、顔を真っ赤にして卒倒してしまった。
そりゃそうだ。手とはいえ、推しからのキス。堪らんだろうなぁ…というか、誰がそこまでやれと言った?やり過ぎだ。