涙は女の武器
セレーナは人生の分岐点に立たされていた。
隣には、天女かと見紛うほどの御仁が上半身裸で寝息を立てて寝ている。セレーナに至っては下着姿という、あられもない姿…
この光景を見た時の私の心境が分かるだろうか……顔面蒼白を通り過ぎて、もはや灰になりかけた。
(むしろ灰になりたい…)
顔を手で覆い、項垂れた。
薬のせいにすればいいんだが、果たしてそれが全て薬のせいだったのか。そう言われたら答えられない気がする。
(とりあえず、何事もなかったように…)
ベッドの下に落ちている服に手を伸ばした。
「おはようございます」
背後から掛けられた言葉に、伸ばした手が止まる。壊れた操り人形の様に振り返れば、髪を掻きあげた色気ダダ漏れのラウルがいた。
寝起きに、この人の眩しさは眼に悪い。視線を逸らしながら顔を俯かせた。
「おやおや、昨日はあんなに情熱的に私を求めてくれたのに」
「違っ!!」
「違いませんよ。その証拠に、ほら」
目を細めて、自分の首筋を見せつけてくる。そこには、私が付けたであろう痕が…
(何してんだ!)
自分で自分が信じられないと、顔を覆い天を仰いだ。
痕を付けるなんて、動物のマーキングと一緒。独占欲丸出しで、お前は私のものだと言っているようなもの。
(…薬、怖っ)
自分の意思なんてある様で無いようなもの。本能のままに動かされる。
「ちなみに、貴方は自分の姿を鏡で見ました?」
「は?」
手渡された手鏡で自分を映してみる。
「なんじゃこりぁぁぁぁ!!」
首元から胸元にかけて、花が散ったように無数の赤い痕があった。
「あまりにも可愛くて、自制が効きませんでした」
詫び入れるでもなく、平然と言ってのける。
自制が効かない?貴方、騎士団長ですよね?勢いに任せるのは、新人の所業では?
「お互い、虫除けには丁度いいですね」
もう、言い返す気力も失ってしまった…
***
ラウルが家を出て、わずか数分。コンコンと扉を叩く音がした。
「ごめんくださァい」
返事を待たずに扉を開けたのは、隣国の魔術師であるルーファス。今日は腰巾着のリオルの姿が見えない。
「たまには羽も伸ばさんとな」
この感じは、また黙って出てきたに違いない。
リオルの探し回っている姿が目に浮かぶ。
「……なあ、君って可愛い顔して、結構好き者なん?」
「なに言って──」
「ここ」とルーファスの指は首元を指している。何を示しているのか察したセレーナは、真っ赤に染まりながら慌てて首元を手で覆った。
「あはははっ!相手は相当、独占欲が強いお方のようやね。愛されとるなぁ」
「……」
愛なんて綺麗なものじゃない。あの人のは愛憎と呼ばれるものだ。憎しみと愛情が入り交じった狂気じみた感情。
一歩間違えたら即死亡。生き延びたとしても、常に付き纏われる生活が待っている。
(どうにかしてよ…)
私は悪役令嬢であって、ヒロインじゃない。付き纏われる理由がわからない。
せめて、この乙女ゲームを知っていれば、対策のしようもあったかもしれない。
(……ん?待てよ)
この乙女ゲームの事を知っている者がいるじゃないか。
ヒロインであるアイリーンは転生者でプレイヤーだった。彼女に聞けば、なにか打開策が得られるかもしれない。問題は大人しく話を聞いてくれるかだが…
ちらっとルーファスに視線を向けた。
「え?なに?なんやろ、嫌な予感しかしない」
おあつらえ向きに彼女の推しであるルーファスがいる。これは、運が味方をしたをしたとしか思えない。
「ねぇ、お願いがあるの」
上目遣いと瞳を潤ませて、ルーファスの手を取った。
「えっと、そりゃぁ、願いを聞くのはええんやけど…なんやろうなぁ、聞いちゃあかんような気がするねん」
腐っても師団長。勘の良さは常人とは違うようだ。
「これは貴方にしか頼めない事なの!私を助けると思ってお願い!」
間違ったことは一言も言っていない。ただ、ルーファスを生贄にするってだけの事。
ここぞとばかりに女の武器である涙を一杯に溜めて縋った。その結果
「分かった。そこまで言うんなら、その願い聞き入れましょ」
──勝った。
ルーファスに見られない角度でニヤッと口角を吊り上げた。