第6話: 春季攻勢の始まり
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1918年3月21日。夜明け前の冷たい空気が塹壕の中に漂う中、ヴィルヘルムたちは全員起床し、銃を握りしめて出発準備を進めていた。この日は「カイザー・シュラハト(皇帝の戦い)」として知られる春季攻勢が始まる日だった。
「さあ、起きろ。大仕事だ。」
ヘルマンが隣のヴィルヘルムを軽く叩いて起こした。
「もう起きてる。」
ヴィルヘルムは眠れぬまま夜を過ごし、明け方には身支度を整えていた。彼の顔は疲れと緊張で青白くなっていたが、ヘルマンの顔もまた同じように強張っていた。
遠くから砲撃の音が響き、空気を震わせる。その音は徐々に激しさを増し、地面が微かに揺れるほどだった。
「準備しろ、行くぞ!」
隊長の声が響き渡る。ヴィルヘルムは銃と弾薬を確認し、ヘルメットをしっかりと被った。
「覚悟はできてるか?」
ヘルマンが問いかける。
「覚悟なんて、あるのか?」
ヴィルヘルムは苦笑いを浮かべた。
やがて、砲撃が止んだ。その瞬間、隊長が指を振り下ろし、合図を送る。
「行け!」
ヴィルヘルムたちは塹壕を飛び出し、泥まみれの地面を駆け出した。頭上では煙が立ち込め、視界がほとんど遮られていたが、それが逆に敵からの隠れ蓑になる。
「ついて来い!」
ヘルマンが叫びながら先頭を切る。ヴィルヘルムも必死でその背中を追った。
銃弾が頭上を飛び交い、近くの地面に砲弾が落ちるたびに泥と血が跳ね上がる。倒れる仲間の姿が視界に入るが、立ち止まる余裕はない。ただ前に進むだけだった。
やがて、彼らは敵の塹壕に到達した。ヴィルヘルムは銃を構えたまま飛び込み、至近距離で敵兵と目が合った。
「撃て!」
本能が叫び、引き金を引いた。敵兵はその場に崩れ落ち、ヴィルヘルムの耳には自分の鼓動しか聞こえなくなった。
「まだだ、進め!」
ヘルマンの声が遠くから聞こえ、ヴィルヘルムは再び体を動かした。
塹壕の中は混乱の極みだった。敵兵たちが抵抗を試みるが、ヴィルヘルムたちの突撃の勢いに押されて次々と倒れていく。
戦闘が一段落すると、部隊は次の地点に向かうため再び地上に這い出た。ヴィルヘルムの顔には泥と血がこびりつき、息が上がっていた。
「無事か?」
ヘルマンが振り返り、ヴィルヘルムを見た。
「なんとか。」
ヴィルヘルムは息を整えながら答えたが、その声は震えていた。
「これがまだ始まりだぞ。」
ヘルマンはそう言うと、再び前を向いて走り出した。
その日の夜、彼らは一時的な陣地に集まり、焚き火の周りに座っていた。戦闘の疲れと、仲間を失った悲しみが全員の表情に刻まれていた。
「今日だけで何人死んだんだろうな。」
誰かがぽつりと呟く。その言葉に答える者はいなかった。
ヴィルヘルムはヘルマンの隣に座り、黙ったまま空を見上げていた。星はほとんど見えず、夜空は暗く重たい。
「これが終われば、戦争は変わるのか?」
ヴィルヘルムは低い声で尋ねた。
「さあな。」
ヘルマンは煙草に火をつけながら答えた。
「でも、俺たちにとって変わるかどうかなんて関係ないだろう。生き残ることだけが大事なんだ。」
その言葉にヴィルヘルムは何も言えなかった。ただ、焚き火の炎をじっと見つめ続けた。