第4話: 日常の中の非日常
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西部戦線での日々は、過酷さと退屈さが奇妙に交じり合っていた。塹壕に流れる時間は鈍重で、時折訪れる戦闘や砲撃がその流れを一瞬だけ断ち切る。兵士たちは、塹壕という狭い空間で、戦争の恐怖と戦いながら、退屈に耐える術を見つけなければならなかった。
ある朝、霧が薄く晴れる中、ヴィルヘルムたちの小隊は哨戒任務に出た。塹壕から出て、敵の動きを監視するために前線付近まで歩哨を立てるという任務だった。泥で滑りやすい地面を進む彼らの靴は、水を吸い込み重たくなっていた。
「なあ、ヴィリー。」
いつものように軽口を叩くヘルマンが、前を歩きながら振り返った。
「もし敵がこの霧の中から飛び出してきたら、君はどうする?」
「まず君を前に出すだろうな。」
ヴィルヘルムは真顔で答えたが、それを聞いたヘルマンは笑い声を上げた。
「やれやれ、俺が英雄になる夢はこうやって終わるのか。」
その時、遠くから銃声が響いた。全員がその場に伏せ、目と耳を研ぎ澄ませた。
「どこからだ?」
隊長が低い声で尋ねると、前方を見張っていた兵士が手を上げた。
「林の向こう、敵の哨戒部隊かもしれません!」
緊張が走る。全員が銃を構え、指示を待った。しかし、銃声は一発きりで、続きはなかった。
「恐らく威嚇だろう。」
隊長がそう判断すると、小隊は再び静かに前進を開始した。それでも、その一発の銃声はヴィルヘルムの心をざわつかせた。
塹壕に戻ると、日常が再び始まった。兵士たちは銃を手入れし、濡れた服を乾かし、仲間とカードをしたり、家族に手紙を書いたりしていた。
ヴィルヘルムも机代わりの木箱に座り、初めて母親への手紙を書くことにした。
親愛なる母さんへ
ここは思っていたよりも寒く、泥だらけの毎日です。食事は少し粗末ですが、ヘルマンという友人と一緒に励まし合いながら頑張っています。戦争が終わったら、家に帰って鍛冶屋を手伝うつもりです。それまで元気でいてください。
書き終えた手紙を見つめると、ヴィルヘルムはふと手を止めた。本当に「大丈夫」なのか、彼自身も自信がなかった。しかし、母親に心配をかけたくないという思いだけでその言葉を選んだ。
夜になると、塹壕全体が静まり返る。ヴィルヘルムとヘルマンは塹壕の壁にもたれ、遠くで響く砲撃の音を聞いていた。
「なあ、ヘルマン。」
ヴィルヘルムはぽつりと口を開いた。
「戦争が終わったら、何をするつもりだ?」
ヘルマンは一瞬考え込み、それから笑顔を浮かべた。
「俺は家に帰って、父さんの農場を手伝う。それから、村一番の美人と結婚するって決めてる。」
「その話、何度も聞いた。」
「でも、君も同じような夢を持ってるんじゃないか?」
ヴィルヘルムは少し黙り込んだ。家に帰る夢はある。しかし、それは実現できる保証がない夢だと思うと、答えるのが怖かった。
「わからない。ただ、生きて帰れればいい。」
ヘルマンは黙って頷いた。それ以上は何も言わず、彼らは互いに疲れた顔を向け合い、夜の寒さに耐えた。
翌朝、またしても砲撃が始まった。敵軍が仕掛けてきたもので、塹壕全体が混乱に包まれた。
「敵襲だ!位置につけ!」
隊長の叫び声が飛ぶ中、ヴィルヘルムは銃を抱え、塹壕の縁に伏せた。耳をつんざく砲弾の音が間近に聞こえ、泥が雨のように降り注ぐ。
「こいつはひどいな!」
ヘルマンが叫ぶ。だが、その声すら砲声にかき消された。
やがて砲撃が止むと、分隊に新たな命令が下る。
「援護射撃だ!敵の動きを止める!」
ヴィルヘルムは銃口を塹壕の縁に向け、指示通りに射撃を開始した。敵兵の姿は見えず、ただ茫漠とした無人の荒野を撃ち続ける。その行為が何の意味を持つのか、彼にはわからなかった。ただ命令に従い、恐怖に押しつぶされないようにするだけだった。
戦闘が収束すると、彼らは再び日常に戻った。しかし、その「日常」はいつ終わりを迎えるかわからない不安定なものだった。
ヴィルヘルムはその夜、泥まみれの寝床に横たわりながら、胸の奥にわだかまる不安を感じていた。戦争が続く限り、自分たちの日常は常に非日常と隣り合わせだ。
「こんな暮らしが、いつまで続くんだろうな。」
隣のヘルマンに問いかけると、彼は目を閉じたまま答えた。
「続く限りだ。そして、終わる時は終わる。」
その言葉は、不思議と重く、深く響いた。