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出張サービス、お買いものデート(1/1)

「ユリアーネ、少しいいかい?」


 お庭デートから数日後。私の居室にニキアスさんがやってきた。


「ちょっと一緒に来てほしいんだ」

「どうしたの?」


 私は首を傾げながらニキアスさんに着いていく。今日の彼は、まだ憑依の術を使っていない。いつもぬいぐるみと過ごしてばかりだから、その背中がやけに広く感じられた。


 ニキアスさんが足を止めたのは、お城にいくつかあるホールの一つだった。


 中に入った私は目を見張る。


「わあ……! どうしたの、これ!」


 ホールには机が並べられ、そこに色とりどりの布地が置かれていたのだ。私は行ったことがないけど、展覧会の会場ってこういう雰囲気なんじゃないかしら?


「本日限定、織物屋の出張サービスだよ」


 ニキアスさんがホールの奥を手のひらで示す。そこには愛想のよさそうな女性がたたずんでいた。私と目が合うと、彼女はにこやかに微笑む。


「彼女は城下で店を開いているんだ。もうぬいぐるみの服の材料が足りなくなっていたんだろう? でも、ユリアーネは外に出かけるのは嫌なんだよね? だったら、ツィルマー城の中で買い物ができるようにすればいいと思ったんだよ」


「私のためにわざわざ? そこまでしてくれなくてもよかったのに……」


「そんなことないよ。かわいい妻の望みを叶えるためなら、一肌脱ぐなんて訳もないんだから」


「もう、またそんなこと言って」


 私はちょっと照れながら近くの布地を指先でいじる。


「本当に好きなものを選んでいいの?」

「もちろん。何なら店ごと買ったって構わないよ」

「それはさすがにやり過ぎだわ」


 私はクスクス笑った。


 ニキアスさんって相変わらず大胆なことをする。それが私への愛情ゆえなんだと思うと、胸の奥に甘い疼きが走った。


「どんな布がいいか、ニキアスさんも選んでくれる?」


 ニキアスさんの優しさやひたむきな愛に触れる度に、もっと彼と一緒にいたくなってしまう。人間のニキアスさんと食事以外の行動を共にしようと誘うのは、これが初めてだった。


「任せてくれ。とびきりの品を見繕ってみせるよ」


 ニキアスさんは淡い紫の布を手に取り、真剣な面持ちで検分を始める。お客さんというより鑑定士みたいだ。


「その色、ニキアスさんに似合うわね」


 私も布をあれこれと見ながら言った。


「落ち着いた雰囲気だけど渋すぎないし、どこか華やかさもあるもの。こっちの藍色の布もいいんじゃない? 今着てる服によく合いそうだわ」


「ユリアーネ、僕のための買い物じゃなくて、ぬいぐるみの服を作るんだろう?」


「……あ、そうだったわね」


 私は藍色の布を元の場所に戻した。


「でも、ぬいぐるみに憑依するのはニキアスさんでしょう? だから、ついニキアスさんに似合うものを考えちゃって。それに今のニキアスさんは人間だし……」


「ぬいぐるみの姿で出直そうか?」


「ううん。このままで平気」


 ぬいぐるみとお買い物という楽しい提案に飛びつかなかったのは、我ながら不思議だった。でも、人間の彼といるのもそこまで悪くないと思えたのだ。


 ニキアスさんの五本の指が布地の上を滑る。机に置かれた商品を覗き込む度、長い黒髪が優雅に垂れて綺麗な横顔を隠す。こういう光景はぬいぐるみ相手じゃ見られないもの。


「ありがとう、ユリアーネ」


 ニキアスさんの黒い瞳が熱っぽく輝く。


 どうしてお礼なんか言うの? と聞きたかったけど、彼のうっとりした顔を見ている内に、そんな疑問は引っ込んでしまった。


「人間の僕でも好きになってくれるなんて、すごく嬉しいよ」


 ニキアスさんが私の手を取ってキスをした。慌てて腕を引っ込めると、からかうような笑みが返ってくる。


「手袋は外したほうがいいんじゃないかい? 布の手触りが分からないだろう?」

「……またキスしないって約束してくれるなら、そうするわ」


 私はぷいと後ろを向く。黒手袋の上から手の甲をさすった。


 顔、赤くなっていないといいんだけど。


 結婚式でニキアスさんに口づけられそうになった時、私は彼を突き飛ばした。でも、今の私にそれと同じことができるだろうか。


 こんなにもニキアスさんを身近な存在だと感じるようになってしまっては、彼の愛情をとげとげしく拒絶するなんて無理かもしれない。


 ……まったく、しっかりしなさいよ、私。


 このままじゃ、冗談抜きで未亡人になっちゃうわよ?



 ****



 何十枚もの布地を購入して、私の人生初のお買い物は終了した。


 帰り際、店長さんはホクホク顔で、「今後ともどうぞごひいきに」と挨拶してくれる。灰色令嬢が怖くないとは商魂たくましい人だ。


 店長さん、私が買った布地や手に取ったものを熱心にメモしていたし、次回の商品のラインナップは私の好みで統一されているかもしれない。


 まあ、「次回」があればの話だけど。


 でも、私としては今回のお買い物はなかなか楽しかったから、またこういうことをしてみたいという気持ちもあった。


 今度布が足りなくなったら、「また出張サービスができるように取り計らってくれると嬉しいわ」とニキアスさんに頼んでみよう。


 ものが増え、私のアトリエはさらに散らかってしまった。だけど、いつものことなので特に気にはならない。好きなものに囲まれた空間って落ち着くもの。


 購入した布で早速服を作らないと! ウサギのぬいぐるみを見ながら、どんなデザインにするか考える。


 やっぱりかわいいのがいいわよね。ビタミンカラーで鮮やかな雰囲気にして……。でも、こういう色はニキアスさんには似合わないかも……。


 ニキアスさんにぴったりなのは、もっと落ち着いた色だ。それでいて地味すぎないもの。素材は上質で、光沢も適度にあって……。


 そこまで考えてハッとなった。どうして布地を選んでた時と同じ失敗をしてるの? 私はぬいぐるみの服を作ってるの! ニキアスさんの服じゃないわ!


 気を取り直してぬいぐるみの衣装の案を練る。でも、思考はいつの間にかニキアスさんのところに飛んでいた。


 思わず「もう!」と口を尖らせる。


「どうかしてるわ、私」


 そうぼやきながら、私はニキアスさんに似合う若紫色の布を手に取った。

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