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もふもふ、すやすや、お庭デート(1/1)

「どう、ニキアスさん?」

「ぴったりだよ。それに動きやすいし」


 ウサギのぬいぐるみに憑依したニキアスさんが、床の上でぴょんと跳ねる。


 ここは私のアトリエ。ニキアスさんからもらった新しいぬいぐるみの服が完成したので、試着をしてもらっているところだった。


 細かいところまでこだわる私は、ぬいぐるみの服も今の時期に相応しいものを用意していた。薄手の外套とストールだ。もちろん、どちらもフリルたっぷりである。


 これを着ると分かった時のニキアスさんは愕然とした顔をしていたけど、どうやら腹をくくることにしたようで、今では開き直って堂々と振る舞うようになっていた。


「よかったわ、布が足りて。実家から持ってきた分は、もう少なくなってたから」


 ウサギのぬいぐるみは私のリスのぬいぐるみよりも体が大きいので、服を作るのに大量の布地を使ったのだ。


 こんな大作に挑むのは初めてだからワクワクした反面、完成する前に布がなくなってしまうのではないかとヒヤヒヤしてもいたのである。


「じゃあ、今度城下町に買いにいこうか?」


 鏡を覗き込んできたニキアスさんが、さらりととんでもない提案をしてきた。私は「絶対だめ」と首を振る。


「私は家から出ないわよ。それに、城下の人たちだって灰色令嬢の姿なんて見ても面白くないでしょう」


「そんなことないよ。それに、僕はユリアーネとデートがしたいんだ」


「デートって……」


 当たり前だけど、私は今まで一度もデートなんてしたことがない。だから、ニキアスさんの言葉には戸惑うしかなかった。


「ユリアーネは僕と出かけるのは嫌?」


 ニキアスさんが上目遣いでこちらを見る。ウサギのぬいぐるみのうるうるしたビーズの瞳と目が合い、私の心は揺らいだ。


 正直に言えば、ニキアスさんと出かけること自体は嫌じゃない。


 相変わらず寝所は別々だけど、結婚式の時と比べて、私はニキアスさんに大分心を許していた。


 朝は「おはよう、ユリアーネ」「おはよう、ニキアスさん」の挨拶から始まり、憑依前の彼と食事を取る。


 そして、その他の時間は、今度はぬいぐるみに乗り移ったニキアスさんと過ごす。


 つまり、一日の大半はニキアスさんと一緒にいるわけだ。


 これまで一人でいることの多かった私がこんな生活を送ることになるなんて思ってもみなかった。私の日常にニキアスさんがいることが、いつの間にか当たり前になっている。


 だけど、そのことと人がたくさんいる場所で彼と過ごせるのかは別問題だ。魔力を吸ってしまう体質のせいで、私には諦めなくてはいけないものが色々あるっていうのも事実だから。


 色々考えた末、折衷案を出すことにした。


「デートならお庭でしましょう」


 このツィルマー城は窓から見た限りだと庭園も広そうだし、ちょっとしたピクニック気分が味わえるだろう。


「私、ぬいぐるみを洗濯する時くらいしか城の外に出たことがないから、案内してくれると嬉しいわ」


「それは構わないけど……。いいの? もう布がないんだろう? 別に取り寄せたって構わないけど、ユリアーネは欲しいものは自分の目で見て確かめたい派じゃないのかい?」


 さすがニキアスさん。まだ夫婦になってから二週間くらいしかたっていないのに、もう私の性格を見抜いているなんて。


「別にいいわよ。布は、お城の裁縫室かどこかで余ったものを分けてもらうから。実家にいた時もそうしていたの」


「余りか……。まあ、考えておくよ」


 ニキアスさんはあまり気乗りがしないようだ。でも、次の瞬間にはがらりと口調を変えて、「じゃあ、今から庭でデートしよう!」と言い出した。


「これから行くの!? 随分急な話ね!」


 と言いつつも、私は上着を着て、ベールと手袋を装着し、外に出た。ぬいぐるみのニキアスさんは胸の前に抱えている。


「それじゃあ、案内お願いね」

「もちろんだよ。まずは、向こうの木立から行ってみようか」


 ツィルマー城の庭園は、人の手をあまり入れない自然なままの雰囲気を大事にした造りだった。なだらかな丘や、ゆったりと流れる小川。王都の屋敷の狭い庭しか知らなかった私には、まるで別の世界に来てしまったように感じられる。


 ただ、あまりに自然的すぎるのも困りものだった。


「次は西のほうを見てみよう。今の時期だと、湖で鳥の群れが……ユリアーネ? 大丈夫?」


「あ、あんまり大丈夫じゃないかも……」


 私は肩で息をしながら額の汗を拭う。


 この庭園の広さは引きこもりには酷だった。体力が全然ないのに整備もされていない道をずっと歩いていたせいで、すっかりくたびれてしまったのだ。


「ちょっと休憩する?」

「ええ、ぜひ」


 木陰を見つけ、木の幹に寄りかかる形で背を預けた。足の裏が痛い。もう一生分歩いた気がする。ピクニックってこんなに過酷なのね。明日は筋肉痛でベッドから動けなくなっているかもしれないわ。


「ごめんね、馬車か何か用意するべきだったね」


 ニキアスさんが私の頭をふわふわの手で撫でた。私は「少し休んだらすぐに疲れも取れるわよ」と返す。


「それに、お庭に出たいって言ったのは私だもの。色々見られて楽しかったわ」


 本心だった。今まで解放感とは無縁の暮らしをしてきたからなのか、この庭の散歩中、私はのびのびした気分になっていたのだ。まあ、疲れているのも嘘ではないけれど。


「大きな空の下を歩いて、足元の小石を靴越しに感じて、こうして木陰で涼んで。世界って広いんだなあって思ったの。ツィルマー城のお庭を散歩しただけなのに変な感想かもしれないけど、私の知らないところにはこんな光景が広がってたんだなって感じたのよ」


「それって、僕とデートできてよかったってこと?」


「そのとおりよ」


 私は膝の上のニキアスさんを抱きしめる。


 思ったとおり、ウサギのぬいぐるみは顎置きにぴったりの大きさだった。私はぬいぐるみの頭に顔を埋め、もふもふ天国を存分に堪能する。


「僕も幸せだよ」


 ニキアスさんがうっとりと囁いた。


「こんなにたくさん君に触れてもらえるなんて。人間の時にもこうしてもらえたらもっと嬉し……ユリアーネ? 聞いてる?」


「きいてるわ……」


 返事はしたけど、頭がニキアスさんの言葉を処理できていなかった。ほどよい疲れともふもふが、私を夢の世界に引き込もうとしていたのだ。



 ****



「ユリアーネ! 起きて!」


 肩を揺さぶられてハッとなる。


 辺りはすっかり夕闇に包まれていて、一瞬、自分はどこにいるのだろうとパニックになりかけた。


 だけど、すぐに思い出した。お庭デートの最中に歩き疲れて、うっかり睡魔に身を任せてしまったのだ。


「ごめん。僕も寝てたみたい。すっかり遅くなったね。早く帰ろう」


 ニキアスさんが私の上着をくいくいと引っ張る。私はニキアスさんのふわふわした体を抱いて立ち上がった。


 今日は快晴で、空には月と星が輝いている。そのお陰で、夜だけどまったくの暗闇でないことが救いだった。


 でも、昼間より歩きにくいことには変わりない。ニキアスさんが心配そうな声を出す。


「足元に気をつけてね。人間の体なら魔法で明かりを出せるんだけど……」


「大丈夫よ。お昼寝で体力も回復したし、元気いっぱいだわ。それに……ちょっとドキドキしてるの」


 こんな時間に屋外に出ているなんて、初めての体験だった。夜の世界は、昼の世界とはまた違った魅力を持っている。たとえば、木の葉が風にざわめく音でさえ神秘的に聞こえるんだもの。


「それにニキアスさんも一緒じゃない。だから私、何の心配もしてないわよ」

「僕を頼りにしてくれてるの?」

「もちろんよ。あなたは私の夫でしょう?」

「……そうだね」


 ニキアスさんが私の腕を優しく撫でてさすった。それだけで私は満ち足りた気持ちになってしまう。


 ニキアスさんは本当にいい旦那様だ。温かいし、ふわふわだし、優しいし。夜の庭を安心して一緒に歩ける相手って、結構貴重な存在じゃないかしら?


「……あら?」


 ふと、視界の端で何かが光った気がした。少し離れたところの地面が輝いている。


「え……? 何、あれ? 星が落ちてきたのかしら?」


「星? ふふ……惜しいね。あれは明星花(みょうじょうか)だよ」


「明星花……あっ! 図鑑で見たことがあるわ。確か、星の光を吸収して輝く魔法植物だったっけ。夜にしか咲かない花よね?」


「大正解。……ちょっと摘んでいこうか。あの花の明かりがあれば、帰り道も少しは楽になると思うし」


 寄り道を提案され、心が躍る。やっぱり夜の世界は面白いイベントが盛りだくさんだ。私たちは黄金色に輝く花の元に向かった。


「綺麗……」


 自然を大事にしたツィルマー城の庭園にあるのだから、この明星花の花畑もいつの間にかできていたものなのだろう。自らの力で逞しく煌めく花々に目を奪われずにはいられない。地上に降り立った星の海にいるような気分だ。


 首を上に傾ける。この花の名前の由来となった「明星」という星は、今の時期だと見えるのは明け方になるだろうか。でも、こうして花の姿で一足早くお目見えしてくれたのかと思うと、ちょっと得をした気分になった。


「水精座ってどれ?」


 不意にニキアスさんがそんなことを聞いてきたものだから驚いた。彼は「君が生まれた日に見えていた星座だろう?」と続ける。


 前に一度だけニキアスさんと星座の話をしたことはあったけど、覚えててくれたんだ。私の中で育まれてきたニキアスさんへの信頼が、星が瞬くように輝きを増す。


「あれよ」


 私は南の空を指差す。


「あんまり明るくない星ばかりの星座だから、ちょっと地味で見つけにくいかもね。形はVの字よ」


 水精座を形作る星には一等星がないのだ。夜の奥底でひっそりと輝く七つ星の星座である。


「水精座の神話って、仲のいい二人の水の精が出てくるんだよね」


 ニキアスさんが言った。水精座の神話を知ってるなんて、なかなか博識みたいだ。


「二人はいつも一緒に遊んでいたけど、ある日、そこに怪物が現われた。びっくりした二人は大慌てで逃げ出した。その時の彼らは、はぐれないようにしっかりと手を繋いでいたらしい。それを見た神が二人の友情を讃えて、星にその姿を記したのが水精座だとか……」


「V字のちょうど底辺が、二人が手を繋いでる部分を現わしてるのよ」


 水精座の最も明るい星は、V字の一番下の部分なのだ。そこが二人の友情を端的に現わした箇所だからだろう。


 ニキアスさんが私の手を握った。ふわふわな感触に心が和む。


 ニキアスさんが摘んでくれた花の明かりを頼りに、私たちは城まで手を繋いで帰った。


「おやすみ、ユリアーネ」

「おやすみなさい、ニキアスさん」


 食事を済ませた私は、ニキアスさんと就寝の挨拶を交わす。お昼寝をしたはずなのに、もう軽い眠気が襲ってきていた。帰りもくたくたになるまで歩いたんだから、しょうがないといえばしょうがないんだけど。


 それでも、ベッドに入る前の恒例行事は欠かさない。私はお父様とお母様に話しかけるため、窓辺に近寄った。夜空を見上げる。


 数多くの星の中から私が真っ先に見つけたのは水精座だった。


 手のひらにニキアスさんのもふもふした手の感触が蘇ってきて、自然と表情が和らいでいく。


 ニキアスさんと私がお城まで手を繋いで帰ったところ、神様は見ていてくれたかしら? 


 もし見ていたのなら、水の精の親友コンビのように、私たちの姿も星座にしてくれるかもしれない。名前は「仲良く手を繋ぐ、ぬいぐるみと人間の夫婦座」なんてどう? ちょっと長いかしら? 


 でも、人間のニキアスさんとは手を繋げないんだからしょうがないわよね? 直に触らなければ問題はないのだけれど、それでも誰かに触れるのは抵抗を感じてしまうから。


 というか、そう感じないといけないのだ。普段から気をつけていないと、いざという時にうっかり素手で触ってしまうかもしれないもの。


「……でも、誰かと手を繋ぐっていいものね」


 私は手のひらを撫でて微笑んだ。「おやすみなさい、お父様、お母様」と言ってからベッドに潜り込む。


 両親の元へ連れていってほしいと願わなかったのはこれが始めてかもしれない、と気づいたのは、眠りに落ちる直前のことだった。

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