灰色令嬢の白いもふもふ結婚(2/2)
「え……ええ!?」
あまりに予想外の事態すぎて奇声が出てしまう。私はリスのぬいぐるみを掴んで、ひっくり返したり尻尾を引っ張ったりしてみた。
「な、何で!? 何で動いてるの!? 私、そんな仕掛けはしてないわよ!?」
「こらこら、そんなところをつまんじゃだめだろ」
私がリスの足をもにもにと触っていると、ぬいぐるみがたしなめるように言った。……あれ? さっきは気づかなかったけど、これ、ニキアスさんの声じゃない?
「ちょっと! ニキアスさん!」
私は床に倒れたままの夫に向かって頬を膨らませる。
「驚かさないでよ! 私、てっきりニキアスさんに何かあったんじゃないかと……」
「心配かけてごめんね。僕は平気だよ。事前に一言言っておくべきだったね」
リスのぬいぐるみは反省したようにしゅんと下を向く。私は首を傾げた。
「これ、どうやって動かしてるの? 魔法?」
「そのとおり。命のないものに意識を憑依させる術だよ」
リスのぬいぐるみが説明してくれる。
「こうすれば、君に触っても問題ないかと思ったんだ。現に、今だって、ほら」
ニキアスさんの言うとおり、私はぬいぐるみにべたべた触っていた。
私が魔力を奪ってしまう対象は生き物……正確に言えば、魔法が使える生き物だけだ。それはつまり、魔力を持たないぬいぐるみなら、いくら触っても問題はないということだけど……。
「ニキアスさん、こんなふわふわの体になってまで私と触れ合いたかったの?」
「もちろんだよ。君は僕の妻なんだから」
ニキアスさんが腕を伝って肩まで駆け上がってきた。ベール越しに頬にキスをされる。
「ほらね? 今ならこんなこともできる」
ニキアスさんがキラキラした目でこちらを見た。
何、これ……。
「かわいい……!」
思わず胸がキュンとしてしまった。私はニキアスさんの頭を撫でまくる。
「実は私、ぬいぐるみとお喋りするのがずっと夢だったの! ああ! どうしましょう! やってみたいことがたくさんだわ!」
私はドールハウスの中に置いてあるクローゼットの中身を漁る。ニキアスさんが「喜んでくれてよかった」と満足そうに言った。
「心配しなくても、ずっとこの体でいるわけじゃないよ。術を解けば憑依も終わる。だから、安心して……って、ユリアーネ?」
私がクローゼットから出した服をぬいぐるみの体に次々に宛がい始めると、ニキアスさんが怪訝そうな顔になった。
「ええと……これは何をしてるんだい?」
「着せ替えよ!」
私は声を弾ませる。
「ドレスにミニスカートにメイド服、セクシーな踊り子の衣装もあるわよ! どれにしようかしら?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ニキアスさんは両腕を上下に大きく動かした。
「何でそんなのしかないんだ!? 僕はスカートなんてはいたこと……」
「細かいことは気にしない! それにこのぬいぐるみ、レディーなのよ?」
「オスのぬいぐるみは……」
「持ってないわ」
ばっさりと言い捨てて、私はニキアスさんに女性用の下着を着せた。ニキアスさんは「何でこんなものまで!?」と愕然としていたけど、私はこだわる時はとことんまでやる派なのだ。
「ほら、完成!」
数分後。リスのぬいぐるみは、フリフリでレースたっぷりの、ショッキングピンクのドレスでおめかしした姿に早変わりしていた。ちゃんと尻尾を出す穴も作っておいたので、後ろ姿も完璧である。頭にはティアラも載せていた。
ドールハウスの中にある姿見の前にニキアスさんを立たせてあげる。心なしか、彼はぐったりした様子だった。
「女装するの、生まれて初めてだよ……」
「すごく似合ってるわ! 人間の姿でいる時もそういう格好すれば? 私の服、貸すわよ」
「……遠慮しておくよ」
「……あ、そうね。サイズ、合わないものね」
これはうっかりしていた。今度、ニキアスさんの体に合うように作ったドレスでも持っていってあげよう。
「それにしても……やっぱりすごくかわいいわ!」
私はベールをめくって手袋も外し、ぬいぐるみに頬ずりした。服の素材も肌に優しいものを使用しているので、触ってもチクチクしない。やっぱりこだわって正解だった。
「今度、ドールハウスに衣裳部屋も作らないと! 素敵な服で部屋中を埋め尽くすの!」
「……できれば、パンツスタイルのものも用意してほしいな」
ニキアスさんが私にぴったりくっつきながら言う。尻尾のふわふわがたまらないくらい気持ちよかった。
「お着替えも終わったし、今度はお茶会をしましょうね。……あ! その前に朝食!」
ニキアスさんが朝ご飯を持ってきてくれたこと、すっかり忘れていた。ぬいぐるみを手のひらに載せて続きの間に入ると、テーブルに湯気が立っているお皿がいくつか並んでいるのが目に入る。
私はニキアスさんを向かいの席に座らせた。ぬいぐるみと朝ご飯が食べられるなんて! 食事の時間がこんなに楽しいと思ったことはないわ!
「いただきます」
ニキアスさんは短い足をちょこちょこ動かしてテーブルに飛び移った。なるほど。あのサイズじゃ、座ったままだと食事ができないものね。ドールハウスからぬいぐるみ用の椅子と机を持ってきてあげればよかったわ。
ニキアスさんが塩入れを足場にして、牛乳が入ったグラスによじ登る。まさに「リス」って感じ! まあ、本物は木に登るんだろうけど……。
なんて考えていたら、グラスの縁でニキアスさんが足を滑らせた。
ドボン!
ニキアスさんは頭から牛乳に突っ込んだ。
「ニキアスさん!」
私は急いでグラスの中に手を突っ込んでニキアスさんを救出した。牛乳まみれになったニキアスさんは、犬みたいに頭をふるふると振る。
「ユリアーネ……残念だけど、ぬいぐるみの体では飲食は無理みたいだ」
「呑気なこと言ってる場合じゃないでしょう!」
私はニキアスさんを持って部屋の外に出る。風呂場から石けんとたらいを、台所からは水をそれぞれ拝借した。庭に出てニキアスさんを水の張ったたらいの中に沈める。
「綺麗にしましょうね~」
私は石けんを使ってぬいぐるみのもみ洗いを始めた。ニキアスさんが「ユリアーネ!」と抗議の声を上げる。
「体くらい自分で洗えるよ!」
「だめよ。洗い残しがあったら嫌だもの。私のぬいぐるみが牛乳くさいなんて耐えられないわ! それに、どうせそろそろ洗濯の日だったからちょうどいいし」
「ユ、ユリアーネ……! そんなところ触ったら……! ……っ! うっ……! ひゃっ……!」
泡まみれのニキアスさんが身もだえする。私は構わずに、耳も尻尾も足の裏もくまなく洗ってあげた。
「……よし、終わったわ」
体の泡を落として、洗濯は終了した。ぬいぐるみの茶色の毛はぐっしょり濡れて、ちょっと縮んでしまったように錯覚する。ニキアスさんは小さな手で顔を覆った。
「初夜もまだなのに、あんなことやそんなことを体験してしまうなんて……。これから僕は一体どうしたらいいんだろう……」
「よかったわね、さっぱりして。乾いたらブラッシングもしてあげるわ」
洗濯場からネットを持ってきて、中にニキアスさんを入れる。近くの物干しにそれをぶら下げた。
「……もしかして僕、干されてる? 何というか……密林の中で罠にかかった気分だよ……」
「仕掛けを踏んだら上から網が降ってくる、っていうあれ? ふふ……隊長! リスを捕まえたであります! 美味しそうであります! 今日の晩ご飯にしましょう!」
「い、命だけはお助けを!」
私がぬいぐるみのお腹を突くと、ニキアスさんも寸劇に参加してきた。二人で顔を見合わせて笑い転げる。
「……ふう」
私は芝生の上に座り込み、足を投げ出しただらけた格好で空を見上げる。気持ちのよい秋風が吹いてきた。めくり上げたままのベールが、頭の後ろでさらさらと揺れるのを感じる。
疲れた。すごく疲れた。少し前に起きたばかりなのに、今からもう一眠りしたいくらい。
だけど、それは心地のよい疲労だった。
結婚前の私は、ぬいぐるみ遊びをしたり、ドールハウスに手を加えたりといったことの繰り返しで一日を過ごしていた。
バスルームは部屋の中にあったし、食事も決まった時刻にドアの外に使用人が置いていくものを自室で食べていたのだ。
つまり、特別な用がない限り、部屋から一歩も出ない生活を送っていたということである。
それなのに、今日は人とたくさん会話して、あちこち駆けずり回って……。まさか、こんな日が自分に訪れるなんて思わなかった。
だって、こういう暮らしをするなんて、普通の人みたいじゃない? 私、灰色令嬢なのに。
「ニキアスさんって楽しい人ね」
私は流れる雲を見つめながら言った。
私が結婚なんてありえない! と思っていたけど、誰かの妻になるのも意外と悪くないのかもしれない。叔父たちに勧められるままに結婚したけど、この人と夫婦になれてよかったと思い始めている自分がいた。