大胆不敵な帰省デート(1/2)
何日もの間馬車に揺られ、私とニキアスさんはついに目的地である私の実家に到着した。
その際、私たちを出迎えてくれた叔母の顔は一生忘れないだろう。
「ユリアーネ! どうしたの、いきなり家に帰ってきたりして! まさか離縁されたの!?」
「叔母様、違うわ。私……」
「ああ! なんてこと! やっとユリアーネにも人並みに幸せになる機会が巡ってきたと思ったのに……。あなた! 早く来て! ユリアーネが婚家を追い出されたのよぉ!」
甲高い声で叫ぶと、叔母は失神してしまった。ニキアスさんが私の後ろで「まいったね」と頭を掻く。
「僕がここにいること、気づかなかったのかな?」
「多分ね。叔母は思い込みが激しいから」
その後、叔母の世話を使用人に任せ、私たちは駆けつけてきた叔父に事情を説明する。今回の訪問の目的を聞くと、叔父は目を丸くした。
「ユリアーネ……。分かっているはずだろう? 残念だけど、君のその体質は治らないんだよ。私たちはすでに色々試したんだ。でも、どうにもできなかったんだよ」
「知ってるわ。でも、諦めたくないのよ。私、ニキアスさんと普通の夫婦みたいなことをしてみたいの。叔父様と叔母様がしているみたいなことをね」
「……何だか変わったね、ユリアーネ」
叔父は感心したように微笑んだ。
「分かったよ。何日でも好きなだけ泊まっていけばいい。ユリアーネの両親が使っていた部屋や研究室はそのままにしてある。気の済むまで探しなさい」
「ありがとう、叔父様」
「お心遣い、感謝します」
ニキアスさんも頭を下げる。叔父は「君に姪を任せて正解だったな」と優しく言った。
使用人に荷物を運ばせたあと、私とニキアスさんは早速研究室に向かう。叔父たちは研究室を残していただけじゃなくて使用人にきちんと掃除も言いつけていたのか、部屋はホコリ一つ落ちていなかった。
その代わり、ものすごく散らかっている。机には本が山積みだし、棚からは丸めた紙の束がいくつも飛び出していた。椅子なんて、半分くらいひっくり返っている。
「……私が片付けが下手なの、両親譲りだったのね」
ツィルマー城のアトリエの惨状を思い出して苦笑いした。叔父様たち、気なんか使わないで掃除のついでに部屋の整理整頓もしてくれたらよかったのに。
私とニキアスさんは手分けして部屋を漁る。引き出しの中身をひっくり返し、数式の書かれたノートを一ページずつチェックして、奇妙な魔法具をデタラメに操作してみた。
けれど、大した成果は得られなかった。夕刻、私とニキアスさんはすっかり疲れ切って研究室を出る。
「ずっと昔の話だけどね。私もユリアーネの体質を何とかしたくて、あの研究室へ行ったことがあったんだ」
夕食の席で叔父がそう教えてくれた。その隣には、誤解が解けてすっかり元気になった叔母もいる。
「でも、無駄足だったよ。君の母上がどんな魔法を使ったのか何も分からなかった。ちっとも資料が残っていなかったんだ。まあ、探し物よりも、家捜しを終えたあとに部屋を元の状態に復元することのほうが大変だったけどね」
わざわざ散らかった状態をキープしておいたの? 叔父様って変なところにこだわるのね!
「きっと資料をなくしちゃったのよ」
叔母が思案顔で言った。ワインをがぶりと飲んで眉をひそめる。
「あの研究室がどんなことになってたか見たでしょう? あれじゃあ、なくし物をしてもおかしくないわ!」
「どうでしょうね……」
ニキアスさんがローストビーフを切り分けながら唸る。
「確かに、僕の義理の両親は少々ずぼらな性格をしていたようです。けれど、研究室に置いてあったノートには実験に使った材料が丁寧に書かれていたり、いつ何の研究をしたか几帳面に記した日誌も保管されていたりしました。二人は研究に関しては、ちょっとしたことでも書き留めておくようなタイプだったのではないでしょうか。僕の妻と同じで、好きなことに取り組む際は妥協を許さなかったんですよ」
ニキアスさんがこちらを見て口元に笑みを浮かべた。私は顔が熱くなるのを感じ、慌ててパンが載った皿に視線を落とす。ニキアスさんが他人に私のことを「僕の妻」って紹介しているのを聞くなんて、何だかこそばゆい気分だ。
「研究日誌なら私も読んだわ」
私はパンをかじりながら言った。
「でも、あの日誌、何だか変じゃなかった? 黒塗りされていたところがあったと思うけど」
「そういえばそうだったね。確か、最後のほうのページはほとんど読めなくなっていたと思う」
叔母は「インクでもこぼしたんでしょう」と言った。
「あの夫婦、ちょっとそそっかしかったもの。私、ユリアーネが生まれる少し前にこう言ったことがあったのよ。『そろそろ私のような冷静沈着さを身につけたほうがいいわよ。もうすぐ子どもも生まれるんだから』って。言わんこっちゃない! 義姉さんが慌てて変な魔法を使ったせいで、残されたユリアーネがどれだけ苦労したか……」
叔母は溢れそうになる涙を拭こうとナプキンを取り上げる。その拍子にスープのお皿をひっくり返してしまった。中身が指にかかった叔母は「熱い!」と飛び跳ね、テーブルに膝を強打する。
……本当、びっくりするくらい冷静沈着な人だわ。これは皆のお手本になるわね。
「とにかく、探すなら研究室以外がいいかもしれないね」
こういうことには慣れているのか、叔父は膝を押さえてもだえる妻を完全無視して言った。
「だからといって、どこを見ればいいのかアドバイスできないのは心苦しいんだけど……」
「あなたぁ! 私、当分歩けない体になっちゃったかもしれないわ! お医者様を呼んできてぇ!」
「分かった分かった」
叔父は妻の膝に手を当て、治療の魔法で怪我を治してあげた。
きっとこの二人、こんな感じのやり取りをもう何千回もしているんだろうな。自分の身内のことなのに、私は新鮮な気持ちで二人を見る。実家では部屋に引きこもっていたから、こういう愉快な場面に出くわした経験があまりなかったのだ。
それに、二人とも想像以上に私に対してよくしてくれていた。
結婚して新しい環境に身を置くことになった姪に気を使ってるのかしら? それとも、今までもこんなふうだったっけ?
正直に言って何も覚えていなかった。どうやら今までの私は、自分の身内に対してですらあまり興味を持っていなかったのかもしれない。
食事を終えた私たちはそれぞれ別室へ引き上げていく。私が向かったのは、実家にいた頃に使っていた私室だ。滞在中はここに泊まることになっていた。
ああ、懐かしの私の部屋!
……と言いたいところだったけど、変な気持ちになる。
ここって、こんなに狭かったかしら?
輿入れの時に必要なものは持ちだしたはずだから、むしろ部屋が広くなったように思えるのが自然なのに。実際には真逆の感想を抱くなんて、一体どういうこと?
もしかして、私が外の世界を知ってしまったから?
それまでの私の世界といえば、この居室だけ。作業机もベッドもお風呂も何でもある、この空間だけだった。部屋の外に行くのは、特別な用事があって誰かに呼ばれた時くらいだ。
でも、今の私は違う。今の私は、夫のもとに自分から出向いたり、ツィルマー城の広大な庭園を散歩したり、何日もかけて実家に帰ってきたりと広い世界で生きている。
他人から見れば今の状況でも充分に「狭い世界」なのかもしれないけど、婚前の私が置かれていた状況と比べれば、井戸の中しか知らなかったカメが大海に放たれたようなものだ。
広い海を泳ぎ回った経験を持つカメが古巣の井戸に戻ったらどう思うだろう? きっと、今の私と同じように感じるんじゃないだろうか?
「……私、もうこの部屋の中だけでは暮らせないかもしれないわね」
でも、残念には思わない。外の世界も案外いいところだって、今の私はちゃんと知っていたから。




