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灰色令嬢でなくなる日を夢見て(1/1)

「はい、完成!」


 ある日の昼下がり。私はアトリエの作業机に向かっていた。膝の上には、ウサギのぬいぐるみに憑依したニキアスさんが載っている。


「つけてあげるわね」


 たった今縫い終わったばかりのリボンをウサギの耳に巻いてやる。


 淡い紫色の布の両端に銀糸の刺繍が施されているその作品は、人間のニキアスさんに贈ったのと同じものだった。


「こっちのあなたにもよく似合ってるわよ。このぬいぐるみ、ちょっとニキアスさんに似てるわよね」


 私はぬいぐるみのふわふわのほっぺたを突く。ニキアスさんは「それ、褒めてるの?」と首を傾げた。


「当然よ。さて、次はお着替えね」


 リボンと同じ紫の布で作ったミニドレスを取り出す。ニキアスさんはすぐに「肖像画の姉が着ていた服とそっくりだね」と気づいた。


「前から思ってたんだけど、人間のニキアスさんにも服を作ってあげたいわ」


 ニキアスさんが着替えるのを手伝う。ぬいぐるみの姿だと手が短くて、上手く服が着られないらしいのだ。


「フリフリのドレスなら上手くできる自信があるわよ。といっても、人間用のは今まで作ったことがないんだけどね」


「……遠慮しておくよ」


 ニキアスさんはぷるぷると首を振った。そして、「作るなら自分の服にしたらどう?」と聞いてくる。


「私の服?」


 そんなことは考えたこともなかった。うーんと唸る。


 私は自分の容姿が好きじゃない。だから、これまで一度も自主的に着飾ろうとしたことなんかなかった。家に引きこもっているんだから、それでも問題はなかったのだ。


「ユリアーネはすごくかわいいんだから、どんな格好でも似合うよ。ほら、このリボン、つけてみる?」


 ニキアスさんに自分の耳に巻かれているリボンを解こうとした。私は「そんなのいいわよ」と苦笑する。


「この長さじゃ、リボンなんてつけられないもの」


 短く切った灰色の髪を指先で撫でる。私がショートカットにしているのは、髪がほかの人に触れてしまわないようにするためだった。私の体で触って無事でいられる箇所はない。もちろん、髪も例外ではなかった。


「灰色令嬢はオシャレとは無縁よ。その代わり、ぬいぐるみを着せ替えて楽しむの」


 ぬいぐるみに着せたミニドレスの花飾りの位置を直してやる。ニキアスさんは不満そうだ。私は「仕方ないでしょ」と肩を竦める。


「私たちは普通の夫婦じゃないもの。だけど、それでもいいって決めたじゃない」


 この話題が出たのは、私が実家に帰ろうとした日以来、実に十日ぶりだった。


「こうして一緒にいられるだけでも奇跡みたいなものよ。だから、私の代わりに着せ替え人形になるくらいは許容範囲ってことにしておいてよ」


「ねえ、ユリアーネ。ずっと考えていたんだけどさ……」


 ふと、ニキアスさんが真剣な声を出した。


「君のその体質って、治せないの?」


「……え?」


「つまり、他人に触れても魔力を吸い取らないようにできないのか、って聞いてるんだよ」


 ニキアスさんは私の膝から机の上に移動すると、裁縫道具や布の切れ端の間をうろうろと歩き回った。


「その厄介な体質が治れば、君が抱えてるあらゆる問題は解決するじゃないか。僕は人間の姿で君と手を繋げるし、キスもできるし、それに……」


「ちょっと待って、ニキアスさん。それは無理よ」


 私はニキアスさんの肩に手を置いた。


「私は叔父夫婦に育てられたことは知ってるわよね? 二人がこの体質を治そうとしなかったと思う? 色んな手を使ってどうにか私をまともにしようとしたわよ。でも、無駄だった。どんな魔法の専門家もこう言うの。『お気の毒ですが、姪御さんは一生このままでしょうね』って」


「……」


「そういうわけだから諦めて。……さあ、もうこんな不毛な話は終わり。そろそろお茶にしましょう?」


 ニキアスさんは机の上から降りようとしなかった。私は「ほら、行くわよ!」と言って、彼を小脇に抱える。夫がぬいぐるみだとこういう時に便利だ。


「ニキアスさん、憑依は終わり!」

「……僕は諦めないからね」


 それだけ言い残して、ぬいぐるみは動かなくなる。ニキアスさんが術を解いたらしい。


「……頑固なんだから」


 私はぬいぐるみを椅子の上に置くと、人間のニキアスさんを出迎えるべく、アトリエをあとにした。



 ****



「君の実家へ行こうと思うんだ」


 それから数日後。リスのぬいぐるみにブラッシングをしていると、憑依中のニキアスさんが意を決したようにそう言った。


「この間、君と交わした会話、覚えてる? 僕は君のその体質をどうにかしたい。人間の姿でも君と触れ合いたいんだよ」


 ニキアスさんは小さなふわふわの手で私の指先にちょこんと触れる。……かわいい。


「そのために君の実家に行きたいんだ。君がそうなったのは魔法の副作用みたいなものなんだろう? そしてその魔法は君のご両親が開発したものだ。二人はすでに故人で研究資料なんかが今も残っているかは分からないけど、あるとしたら二人が住んでいた家……ユリアーネの実家だと思う。だから僕はそこに行って魔法の詳細を調べて、君の体質を治したいんだよ」


 私はブラシを置いて続きの間へ行く。クローゼットからトランクを持ってアトリエに戻った。


「ニキアスさんの諦めの悪さは承知してるつもりよ。一度決めたらよっぽどのことがないかぎり撤回しようとしないんだもの」


 私は夫に向かって微笑みかける。


「いずれこうなるんじゃないかと思って、荷造りしておいたの。私はいつでも発てるわよ」


 実のところ、私だってこの体質をどうにかしたいと思っているのだ。何か手が残っているのなら試してみたい。今回の旅で解決方法が見つけられる可能性は高くないということは分かっていたけれど、やれるだけはやってみたかったのである。


 どうやらニキアスさんの諦めの悪さが私にも伝染したらしい。こうして夫婦は似たもの同士になっていくんだろうか。


「ユリアーネ!」


 ニキアスさんが私の足首の辺りに抱きついた。尻尾が猛烈な勢いで左右に揺れている。やっぱりかわいい。


「ありがとう、ユリアーネ! 大丈夫! 僕が絶対に何とかしてみせるよ!」


「ニキアスさんも荷造りしていらっしゃいよ。私、ほかにもドールハウスの戸締まりとか色々やっておきたいことがあるし」


「分かった! 明日出発しよう!」


 ニキアスさんはぬいぐるみの体でアトリエを出ていく。あまりに興奮していたためか、憑依の術を解くことも忘れているらしい。


 でも、その気持ちも分からなくはない。私だって同じくらい気持ちが高ぶっていたから。


 こうして私たちは慌ただしくツィルマー城を飛び出し、王都にある私の実家へと向かうことになったのだった。

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