灰色令嬢の白い結婚
「ユリアーネ様、そろそろお時間です」
私が豪奢なウエディングドレスを悪戦苦闘しながら着終えたタイミングで、使用人が控え室にやってきた。
「今行くわ」
部屋を出る前に、もう一度だけ鏡に自分の姿を映す。
童顔気味の輪郭と、潤んだ大きな灰色の瞳に太めの眉。
結婚式の日でも、私は数週間前に二十歳になったとは思えないくらい幼げな外見をしていた。まるで、小さい子がお姉さんぶって花嫁ごっこをしているようである。
肌は白く、身につけている詰め襟の衣装といい勝負だ。なんとなく不健康そうでもある。
髪を一房つまみ上げた。色は目と同じ灰色。肩よりもずっと高い位置でショートカットにしてあるからあまりアレンジもできず、悩んだ末に造花をいくつか飾るに留めておいた。
……この格好、似合ってるのかしら。
「ほら、もっと笑いなさい」
どうやら魔法の鏡だったらしく、鏡面から一言アドバイスが返ってくる。
私は無理に口角を動かしたものの、すぐにやめた。これでは花嫁というより、クローゼットの角にぶつけた小指の痛みを我慢している人のようだ。
今さらのように不安が押し寄せてくるけれど、もう後戻りはできない。私はベールで顔を覆うと控え室を出た。
バージンロードを一人で歩く。
参列者たちのほうには努めて視線をやらないようにしていた。だって、見なくてもどんな反応をしているのか分かっていたから。きっと皆、「あのユリアーネが結婚する日が来たなんて信じられない」って顔をしているはずだ。
でも、それはこちらも同じ。私だって、未だに自分が花嫁になったことが現実とは思えないんだもの。
けれど、困惑を心の内に押し込めて進む。祭壇の前には、私の夫となる男性がたたずんでいた。
名前は、確かニキアスさん。
同い年と聞いていたけれど、彼は私よりもずっと大人びて見えた。結婚式なんてこれで百回目ですと言わんばかりに礼服も似合っているし、表情にも落ち着きがある。
それに容姿も美しい。華やかさと上品さが絶妙に混ざった面差しで、長めの黒髪を片方だけ耳にかけている。体は細身で、全体的にしなやかな印象だ。
私が見ているのに気づくと、ニキアスさんは黒い目を細めて笑いかけてきた。
普通ならときめくところかもしれないけれど、私は困惑して下を向く。夫の顔を初めて知った動揺のためか、何だかそわそわしてきた。
私が祭壇まで辿り着くと、立会人が厳かに挙式の始まりの言葉を述べてから「指輪の交換を」と指示した。
着飾った少年がクッションに乗った二つの指輪を運んでくる。その内の小さいほうをニキアスさんが手に取った。
私はおずおずと手を差し出す。緊張で体が震えるのが分かった。
けれど、ニキアスさんはなかなか指輪をはめようとしない。私は操り人形のように腕を宙ぶらりんにしたまま、しばらく待った。
「手袋を外してくれないかな?」
囁き声が聞こえてきてハッとなる。ニキアスさんが困ったような顔を私に向けていた。
手袋を外してくれですって?
この人、正気?
私が呆然としていると、立会人が控えめに咳払いした。早く次の段階に進みたいのだろう。
焦りつつも、私は「無理よ」と小さな声で返した。
「知ってるでしょう? だって私……」
「新郎、早く新婦に指輪を」
立会人が焦れたように促す。でも、ニキアスさんは動かない。もしかして、私が手袋を取るまでこうしているつもり?
このままでは式が進行しないと思い、私は思い切った行動に出る。ニキアスさんの手から指輪をもぎ取るように奪うと、さっさと自分の指にはめてしまったのだ。
ニキアスさんはポカンとしている。私は顔から火が出そうになりながら、台座からもう一つの指輪を取って夫の指にねじ込んだ。
「では、最後に誓いのキスを……」
私は自分の両手をもじもじと握りしめた。今、ニキアスさんに触ってしまった。自分から誰かに触れるなんていつぶりだろう。手袋越しとはいえ、ニキアスさん、嫌な思いをしていないといいけど。
そんなことを考えていたせいで、私は立会人の言葉も話半分でしか聞いていなかった。ニキアスさんがこちらに近づいてきてドキリとする。
ニキアスさんがベールに手をかけてきたから、私は思わず後ずさった。立会人がまたしてもゴホンと咳をする。
「新婦、新郎からの口づけを受けなさい」
「だ、だめよ!」
気が動転していた私は、結婚式に似つかわしくない大声を出してしまった。
「その工程、省けないの!?」
「省けない」
ニキアスさんが断言して、私のベールを剥ぎ取ってしまった。彼の唇が近づいてくる。
頭が真っ白になった私は金切り声を上げた。
「触らないで!」
ニキアスさんの胸を強く押す。まさか私がそんな行動に出るとは思わなかったのか、油断していたニキアスさんは床に倒れた。
参列者たちがざわめく。
涙が出そうだった。
式を台無しにしてしまった。このまま会場から逃亡したくなる。
やっぱり私には結婚なんて無理だったんだわ。
****
風の噂で聞いたところによると、私は皆から「灰色令嬢」と呼ばれているらしい。
理由は、私の髪と目が灰色だから。こんな燃えかすみたいな色をした人は、どこを見回したって私だけ。ほかの人は皆、黒髪と黒い目をしている。
この灰色の髪と瞳は、魔力が枯渇している証だった。現に、私は皆と違って魔法が使えない。
そして、私は厄介な体質を持ってもいた。触れた相手の魔力を吸い取ってしまうのだ。
魔力は肉体と魂を繋ぐもの。すなわち、魔力がなくなると魂が肉体から離れて死んでしまう。
例外はこの私だけ。私だけが、魔力がないのにこうして生きている。
それってつまり、私は異常だということだ。
「お二人には明るい未来が待っています。ぜひとも、幸せな家庭生活を築いていってください」
結局、私は式場から逃げ出さなかった。どうにかキスをしない方向で立会人を説得し、こうして挙式後の食事会に気力を振り絞って出席している真っ最中だ。
それにしても、「明るい未来」に「幸せな家庭生活」、ねえ。
スピーチの言葉を虚しい気持ちで聞く。
これほど私に縁遠い言葉もないだろう。私は生まれた時から他人の魔力を吸ってしまう体質だった。要するに、不幸になることは初めから決まっていたということだ。
こうして誰かの妻になれたことすら、もはや奇跡なのである。これ以上を望むのは傲慢というものだろう。
「ユリアーネ、具合でも悪いの? さっきからずっとぼんやりしているじゃないか」
隣に座るニキアスさんが尋ねてくる。私は「平気よ」と言って笑顔……ではなく、クローゼットに小指をぶつけた人の顔を作った。
私が求婚されたのは半年前のこと。ある日、育ての親の叔父夫婦に呼び出され、「ユリアーネ、君にすごくいい結婚話が来ているんだよ。受けてみたらどうかな?」と言われたのだ。
私が事前に教えられたのは、「ニキアス」という求婚者の名前と、彼が私と同い年だということだけ。
受けてみたらどうかな? などとは言っていたが、気の早い叔父夫婦はすでに姪の結婚準備を始めていた。
そうして私は、あれよあれよという間に夫の領地で式を挙げ、こうして花嫁になったというわけである。
「ユリアーネ、本当に大丈夫かい?」
ニキアスさんが机の上に置かれた私の手を握る。ぎょっとして体を引こうとしたけど、ニキアスさんは手を放さない。
「そう何度も逃がさないよ、奥方様」
ニキアスさんは茶目っ気たっぷりに言った。
対する私は冷や汗が止まらない。
手袋をはめているから彼の魔力を吸い取ってしまうことはないけれど、人との触れ合いには慣れていないのだ。
それなのに、私の夫は命知らずときた。
もしかして私、あと一カ月もしたら未亡人になってるんじゃないの?
あり得なくもない不安を覚えながら、私は艶っぽく笑う夫から視線をそらした。
****
大勢での会食という人生初のイベントを終えた私は、式の参加者と別れ、今日から我が家となる城館――ツィルマー城の居室に帰り着く。
ああ、やっと一人になれた……。
疲れ切って服を着替える気にもなれない。私はよたよたとした足取りで窓を開けた。
頬を撫でる秋の気配が混じった夜風に、少しだけ気分が解された。ペンダントにして首からぶら下げてあるカギを服の中から取り出し、星空を見上げる。
「お父様、お母様。私、今日、結婚したのよ。花嫁姿、見ていてくれたかしら?」
星に手を伸ばす。しばらくそのままの姿勢で空を見上げたあと、窓を閉め、ソファーに横になった。
疲れていたため、眠気はすぐに訪れた。しかし、本格的な睡眠に入る前に、ノックの音で意識が覚醒してしまう。
「はい……?」
私はソファーからのろのろと身を起こした。ドアを開けて入室してきたのはニキアスさんだ。
「ちゃんとベッドで眠らないとだめじゃないか」
私がソファーで寝ようとしていたと気づいたのか、ニキアスさんが優しくたしなめた。
「ずっと寝室で君を待っていたけどなかなか来ないから、迎えにきたんだ。さあ、行こう」
「ちょ、ちょっと待って」
平然ととんでもないことを言われ、私は狼狽えた。
「あなた……私と同じベッドで寝るつもり?」
「当然だろう。夫婦なんだから。それに、今日は初夜じゃないか」
と言いつつも、ニキアスさんは私の顔を見て苦笑した。
「でも、疲れているなら、今日は体を休めるほうを優先させようか。結婚初日から妻に無理はさせたくないからね。だけど、寝るなら僕の隣で頼むよ」
「だめに決まってるでしょう!」
私は首を左右に激しく振る。
ニキアスさんの度胸は私の想像を超えていた。私の隣で一晩過ごしたいって言う人がいるだなんて!
「ニキアスさん、私の体質のこと、知らないの? 起きている間なら私も気をつけられるけど、寝ている時はそうはいかないわ。私、あなたを抱き枕みたいに抱きしめちゃうかもしれないのよ。それも素手で。そうなってもいいの?」
「光栄だよ」
ニキアスさんは余裕の笑みである。明日の朝には冷たくなっているかもしれないというのに、この態度は何なんだろう。こんなに不可解な考え方をする人がこの世にいるなんて、思ってもみなかった。
「……悪いけど、帰ってちょうだい」
頭が痛くなってきた。ただでさえ人と話すのは不慣れなのだ。思考の読めない相手とどう接していいのかなんて、さっぱり分からなかった。
「こういう態度は妻としては失格かもしれないけど、分かってちょうだい」
言いたいだけ言うと、私はニキアスさんの返事も待たずに続きの間に飛び込んだ。ニキアスさんが「ユリアーネ、開けてくれ」とドアをノックしたけれど、無視をする。
「君の気が変わるまで、僕はここで待っているよ」
ニキアスさんがドアの外でごそごそやっている音が聞こえてくる。でも、構わずに近くに転がっていたふかふかのクッションと膝掛けを持ってくると、私はその場に即席の寝床を作った。
膝掛けの上に横になり、天井を見つめる。
「……何なの、これ」
人づきあいのほとんどない私は、一般的な花嫁が結婚初日にどんな扱いを受けるのか知らない。でも、夫から謎の好意を寄せられたり、それを拒絶して床で寝たりするのは普通じゃないことくらいは分かる。
まあ、それも仕方ないか。私、普通じゃないもの。私は灰色令嬢。灰色令嬢に普通の結婚は無理。だから白い結婚を選択する。それが正解だ。
そう自分に言い聞かせつつも、気づけばドアの向こうに聞き耳を立てている。外からは何の物音もしない。ニキアスさん、帰っちゃったのかしら? ……別に、だからどうっていうんじゃないけど。
私は寝転がったまま窓枠に縁取られた空を見た。服の上からペンダントのカギに触れる。
「お父様、お母様。私、間違ったことはしてないわよね?」
当然、答えはない。
私はクッションを顔に押し当てた。そして、舞い戻ってきた眠気に身を任せることにしたのだった。