第7話 思い
第7話です。様々な人の「思い」が交差します。
サルデニアの紋章は、剣と鷹がモチーフとなっている。
大空にはばたく鷹が、そのくちばしに立派な剣を携え、勇猛さと気高さを表している。
そんな、サルデニア王国の紋章が、意匠として施された、由緒正しき騎士団の正装。
サラはこの服を着るとき、いつも誇り高い気持ちになる。
ましてや、いまから自分は国家存亡のかかる戦に向かうのだから、その気持ちはひときわ強い。
戦闘準備があらかた終えたのち、アレイナからサラは直々に呼び出された。出陣前とは言え、アレイナの願いをむげにするという選択は、当然サラの頭にない。
いつものように、アレイナの部屋までサラはやってきた。
アレイナは笑顔で迎え入れてくれたが、いつもとどうも勝手が違うことに、サラは気が付いた。
微笑むアレイナの表情はどこかぎこちない。
常であれば、大きな意思を感じさせる大きな目は、全体的にくぼんでおり、力を失っている。
肌の色は、普段の美しい肌色からくすんでいるように見えた。
肌の表面も水気を失い、パサパサしていた。たった数時間で、何年も歳を取ったように見える。
「来てくれてありがとうサラ。ごめんなさい、出陣前にバタバタしているところ」
「いえ、とんでもないことです」
いつもであれば、そこでアレイナの苦笑が返ってくるところだが、今日は何もなかった。
アレイナはじっと下をうつむいており、何も言葉を発さない。明らかにいつもと調子がおかしい。
「アレイナ様……?」
「……サラ……だめよ」
しばらくして、思いつめたように、アレイナはぽつぽつと話し始めた。
「サラ……だめよ……行ってはだめ。無理よ、勝てっこないわ……。あっちのアーマーフレームの数は80。対してこちらのアーマーフレームは全部かき集めても20しかない……。兵数も向こうが9,000で、こちらも用意できて2,500。もとより勝負にならないわ……」
「戦は兵の数だけで決まるわけではありません。勝負は始まってみないとわかりません」
「だめよ! さっき、情報が入ったの……ウラテア軍を率いているのは、あのロレント将軍だそうよ……。彼自身、アーマーフレームのランカーとして有名な……。そして、ルトキアからの援軍はない……いいえそれどころか、近いうちにウラテアの援軍として、我が国に牙をむくわ! どうしたって、勝ち目はないわ!」
震える声でそう告げるアレイナ。
いつもの悠然とした態度とは、かけ離れた少女に対し、サラは優しく微笑む。
「アレイナ様、心配ありません。もとより覚悟のうえでございます」
そう言いながら、サラはアレイナの頭に、ぽんっと手を添え、そのまま優しくなでた。
「サラ……?」
「不敬をお許しください、アレイナ様。私が泣き虫だったころ、こうしてアレイナ様は、よく私の頭を優しくなでてくださいました。出自もよくわからない、こんな私に、幼少のころから、アレイナ様は本当によくしてくださいました。子供の時分、身分など関係なく、よく二人で遊んでいたこと、昨日のことのように覚えております」
「アレイナ様はどちらかというと、幼い時は外で駆け回る方を好んでおりましたね。王宮に来た私を、アレイナ様が外にお連れになって、結局二人して泥だらけになって、使用人の方から雷を落とされたことも、一度や二度ではありませんでした」
「そして、こんどこそ完全に私の身寄りがなくなった時に、アレイナ様は、私を真っ先にお救いくださいました。そして、いつだったか、私が高熱を出し、寝込んでしまった時も、アレイナ様はお見舞いとして、手作りのお守りまでくださいました。その時のお守りは、今でも大切に宝箱に閉まってあります。私は、何度もあなた様に、命も、心も、救われているのです。とうの昔から、私はこの人に一生をかけてお仕えしよう、そう決めておりました」
「騎士団長になっても、何度も部屋に呼んでくださり、夜遅くまで多くのことをいろいろと語らいました。仕事のこと、街のこと、流行りのこと……どれもすべて、私にとってかけがえのない宝物です」
穏やかに話すサラとは対照的に、アレイナは目に大粒の涙がうかべ、静かに嗚咽していた。
「アレイナ様…………いえ、アリー。どうか息災に。私が可能な限り時間を稼ぐ。その間に、どうにかして国外へ逃げて。あなたがいれば、サルデニア王国は決して滅んだりしない。あなたはこの国の希望なの。あなただけは、どうか生きて、生きて、生き延びてほしい」
「サラ……!!!」
もはや、流れ出す涙を、アレイナにとどめることはできなかった。
彼女のかけがえのない友人を、放したくないとばかりに、きつく抱きしめていた。
「サラ……無理よ……私にはとても無理よ……。さっき、お父様にもあってきたわ。もう、意識もはっきりしないの……ここ数日でめっきりやせ細って、医者の見立てでは、もう何日も生きられないそうよ……。私はそんな強い人じゃないのよ……耐えられないわ。この国の希望なんて、とても背負うことなんてできない……!」
恥も外聞も捨て、泣きながら本心を友人に吐露するアレイナ。
「大丈夫。アリーならできる。きっと、アリーのお母様だって、アリーのことを天国で見守ってくれているはず。……さて、名残惜しいけど、私はもう行かなければならない。私は、私のするべきことしないといけない」
サラは胸元に顔を寄せるアレイナを、両肩に手を添えて引き離した。
「待って! サラ、行かないで! お願い、私と一緒に逃げて!!」
「ごめんなさい、アリー。それだけは、それだけは、いくらあなたの頼みでも聞くことはできない。共に過ごした戦友たちを見捨てて、私だけ逃げることはできない。それをしてしまったら、私が目指した、私のあこがれた勇者とはいえなくなってしまう。……ごめんなさい、アリー。もう行かなくては」
そういうと、サラは、扉に向かって歩き出し、ドアノブに手をかけた。
「さようなら、アリー。今までありがとう。どうか元気で」
「待っ……!」
バタンという言葉と共に、サラは去っていった。
アレイナの、扉に向かって伸ばした手は、力なく空を切った。
小高い丘の上から見下ろす首都バーンズは、いつもの穏やかさを失っていた。
大量の荷物を積んだ荷車を引く壮年の男。
老人を背負った中年の男。
小さな子供を抱っこする母親らしき女。
小さな子供の手を引く、若い青年。
そして、そんな人々を誘導する兵士たち。
せかすような声、子供の泣き声、方向をつげる声、怒鳴ったような声。
そして、けたたましく鳴り響く警報と鐘の音は、一向にやむことはなかった。
多くの人が、押し合いへし合い、皆一様に、焦りの顔、不安な顔が張り付いて取れない。
そんな街の人々の様子を、小高い丘の上から、クリスはただぼうっと眺めていた。
「やっぱりここにいた……!!!」
声に反応して、クリスは振り返った。
そこには、汗だくで肩で息を弾ませる、おせっかい焼きの、いつもの金髪のメイドの姿があった。
「はあっはあっはあっ…………な~~にをやっているんですか! こんなところで!! もうすぐ戦争が始まっちゃうんですよ!?」
いつものように、透き通った青色をしたセレナの目が、まっすぐにクリスを見据えている。
「……ああ、すみません。お手間をかけたみたいで」
「まあ、それは別にいいです、最近おなか周りが気になっていたのでいい運動になりました……って、そうじゃなくて!!」
ノリ突っ込みをするセレナを見て、意外と余裕があるんだな、ととりとめのないことをクリスは考えた。
「ここにいては、危ないんですよ!! ウラテアがもうすぐそこまで来ています! 早く避難をしないと! 私、誘導しますから、ちゃんとついてきてくださいね!!」
そう言うや否や、再び走りだす準備をするセレナ。
そんなセレナに対し、少し意外そうな顔を、クリスはした。
「……戦え、とはいわないのですか?」
その言葉を聞いたセレナは、顎に手をあてて考えるそぶりをした。
ひとしきりう~ん、う~んと唸った後、彼女は答える。
「……いえ、よくよく考えたらですね。勇者様は、こちらの都合でいきなり、縁もゆかりもない見知らぬ土地に呼び出されたわけじゃないですか。で、こっちの都合で、この国は今戦争しているから、この国のために頑張って戦ってこ~い、というのも、な~んか変じゃないかなぁと、ちょっと思った次第なんです。このことに思い立ったのは、ついさっきではあるんですけどね」
その言葉に、クリスは大きく目を見張る。
「しかも私、気づいたんですけど、私、勇者様の事、な~~んも知らないんです。前の世界がどんなとこなのか~とか、好きな食べ物は何~とか。というか、恥ずかしいことに、ちゃんと知ろうともしていなかったんですよね……。そんな奴の頼みなんて、そりゃあ自分だったら聞きたくないよなーと。相手のことをよくも知らない人間が、いろいろお願いするのもずうずうしいよな、とそう思ったんです」
そう言った後、セレナはバッとまっすぐ、勢いよくクリスに対して頭を下げた。
「勇者様、今まで本当にごめんなさい! 私、色々おせっかい焼いてましたけど、勇者様の気持ちとか、思いとか全然考えてませんでした。勇者ってだけで、あなた自身のことを知ろうともせず、一方的に理想や、気持ちを押し付けてしまいました。今まで、めっちゃ失礼だったと思います。だから謝らせてください!! 申し訳ありませんでした!!」
頭を下げ続けるセレナに対し、クリスは声をかける。
「……セレナさん、頭を上げてください。私はそんなことをされるほど、立派な人間ではないのです」
クリスの言葉を聞いても、頭を下げることをセレナは辞めようとしない。
そんなセレナをクリスはじっと見つめ……。
少しずつ、言葉を紡ぎ始めた。
「…………もう……嫌なんです。国のために戦うのは……」
「えっ……?」
その言葉に思わず、頭を上げるセレナ。
「…………私………………俺は…………前の世界ではとある国のため、軍人として戦っていました。国の正義のため、大義のため、大切な人のため。自分の力の限り、それこそすべてをかけて戦った。しかし、最後には何も残らなった。大切にしていたはずのものは、すべて失ってしまった。あの時の最後のミッション。俺は死ぬつもりだった。後悔はなかった。世の中のすべてに対し、嫌気がさしていた」
いつもの無表情とは違う。子供が今にも泣き出しそうな顔をしながら、クリスは続ける。
「でもなぜか、今こうして俺は生きている。死ぬはずだった俺が。大勢の人を殺した、咎人であるはずの俺が。今の俺はただの抜け殻。もう戦う意義も、理由も、生きるための意味も、情熱も、信念も、どこにも、何も見いだせない。空虚で中身が空っぽな男。それが俺だ」
淡々と、そして呻くように話すクリス。
まるで、罪人が己の罪を懺悔するかのようだった。
彼は過去に、いったいどれほどの悲しみ、苦しみ、嘆きを経験したのか。
クリスの言葉をかみしめるように、ただ黙ってセレナは聞いていた。
「俺は、あなた方がいうような、勇者なんて立派なもんじゃない。逆だ。無気力で、無意味で、無価値な人間さ。ここまで来ても、戦いもせずにさりとて逃げることもしない。どっちつかずのくそ野郎なのさ。こうして、逃げ惑う人々を目の前にしても、心が動くこともない最低の人間だ…………わかったら、もう構わないでくれますか?」
「そんなことない!!」
セレナは大きな声を上げた。
びっくりするクリスをしり目に、セレナは言葉を続けた。
「勇者様……いえクリスさんは、無価値な人間なんかじゃありません! まだ、知り合ってからそんなに経っていませんし、あなたのことをまだ全然知らないし、過去に何があったかもわかりません。きっと私では想像もつかないような経験をしてらっしゃるのだろうと思います」
「でも、でも、こんな私でも、あなたが無意味でも、無価値でも、クズでもないってことはわかります! 出会ってから今まで、クリスさんは私にすっごく気を使ってくれました。私、わかるんですよ、メイドをやっていて、今まで心無い人から、出自のことで蔑まれたり、両親を馬鹿にされたり、場合によっては……乱暴されたことだってあります! でも、クリスさんはそういう連中と全然違います! とてもやさしい人です!」
「兵士さんたちだって、クリスさんからアドバイスを受けた人は、みんなとっても感謝しているって聞きました! あと、アームフレームが、壊れないよう、消耗しないよう、すごく気を使って乗っているらしいじゃないですか! カルロスさんが言ってました。『理由はわからない。でも一つ言えるのは、きっとこいつはアーマーフレームのことをとっても愛しているんだろう』って。そんな思いやりがある人が、無価値なわけありません!!」
ぜーはーと、肩で息をするセレナ。よく見ると、彼女目には、うっすらと涙も浮かんでいる。そんな彼女に対し、少しだけ微笑みを浮かべながら、クリスは答える。
「ありがとう、セレナさん。……思えば、この世界に来てから、あなただけが私を、まっすぐ正面から見据えて話をしてくれました。あなたに出会えて、本当に良かったと心から思っています」
その言葉を受け、セレナは自分の頬が、だんだんと赤くなっていくことを感じた。
「えっ……と、えええええええ!? そ、そんな急に言われても、心の準備が……」
「あなたの無神経な部分と、鈍感な部分と、空気が読めずにズケズケとものをいう態度に、私がどれだけ心が安らいだか」
「おいコラ」
思わず立場を忘れ、突っ込みを入れてしまうセレナ。
「……て、こんなことをしている場合じゃないですよ! 急いで避難しないと!! さあ、早く、こっちですから急いで!!」
クリスの手を引っ張りながら、強引に走り出すセレナ。そんなセレナに対し、クリスは思わず口元が少しだけ緩むのだった。
そしてまだ主人公は戦いません。というか、サラの方が主役っぽい?