従者『待て』を遂行する2
ご主人様に連れられ、やってきたのは不思議な湖。
ご主人様の職場は一体どこにあるのか。
「さてと、……魔力がなくても問題なく生きてはいける空間だろうが……体調の変化は逐一伝えろ。君が動かなくなるのは、困るからな」
生きて『は』いけるってどういうことですか。生きていけないギリギリのラインってことですかね。
「わかりました」
少し緊張する。ご主人様の言い回しがさらに恐怖を煽ってきた。
「じゃあ、チェックをしようか」
ご主人様は笑った。
さっきまで不機嫌であったのに、表情のよく変わる人だ。
そして、なんだか微笑ましいものを見る目で見てくる。
恥ずかしいので勘弁してもらいたい。
「服は、着込んでるな。……髪はそうやって隠したのか。まぁいい」
僕の服装を頭からつま先までゆっくり見下ろした後、ご主人様はマフラーをきつく締め直し、一度フードをとってバンダナを巻き直した後に深くフードをかぶり直させた。
「よしよし、上々」
ご主人様が何か呟く。風がなびいた。
彼は、なんの前触れもなく僕の腰に手を回し、足を抱え、あっという間にお姫様抱っこ。
勘弁してほしい。
そしてさらにさらに、湖にダイブした。
つまり、飛び込んだ。
驚きのあまり声は出なかったが、すごい顔をしてしまったのだろう。僕を覗き込むご主人様は笑顔だった。
どぱんっと水を叩き込むかのような声が聞こえて、思わず息を止め、目を閉じ、両手で顔を覆った。
数秒の衝撃のあと、固まったままの僕をご主人様は一度下ろす。
わけがわからなくて手足をばたつかせもがいていると、水を通したくぐもった声が、笑う声が、聞こえた。
「息もできれば、目を開けてもしみない、特殊な空間だ。泳げないか?水ではないから、別に慣れれば歩行も簡単だ。」
ご主人様は、声を上げて笑いながらも僕の手を引く。
僕はなんとか地面に足をつけ、慣れぬ足取りでご主人様に着いて行く。
確かに水中とは少し違う。
一番似ているのは確かに水中で、表現するにも水の中のようだとしかいえないが、言われてみればわかる。
ここは水中ではない。
液体の中にいる感じはあるのに、眼球、目を開けている感じは空中と変わらない。
息苦しくもなければなんともない、問題なく息ができる。
なんとも言えない、気持ち悪さ。
どこかで体感したことがある気がする……。
そうだ、なんだかあの水槽の中のような感じがするのだ、しかし、あそこはもっと気持ちが良かった。居心地の悪いこんな場所ではなかった。だいたい、あれは息のできる空間ではなくて僕は呼吸器をつけていた。
周りを見渡せば、竜宮城でもありそうな雰囲気がある。コンブや貝はあるのに、魚が見当たらないからさらに違和感がある。
そして、目の前には大きな建物。
地上にあればただの軍事施設に見えるであろうその建物は、堂々と水中もどきの中で居座っていた。
「ご主人」
喋ってみる。くぐもった声だが、水中ほど聞き取りずらいわけではない。
「ここは、この国の主な戦力のやつが揃う場所だ。機密情報に近い。この魔力層は防衛のためのギミックみたいなものだ」
驚いたろう、とから笑いをする彼に、そうですねと答える。
「建物の中は…一応普通だが、多少外がこんななもんで、魔力の揺れ…んー、まぁとにかく、若干酔いやすい空間だ」
「なんか、とにかくすごいところなのはわかりました」
「そうか」
のちに詳しく聞いたところによると、魔力層という、魔力を高濃度に蓄積している空間であり、魔力の多い者、少ない者に限らず、普通、魔力がある生き物にとっては活動しやすい空間らしい。
活動しやすいなら、どうして『防衛』のためのギミックなのかというと、単純に許可された魔力反応でない限り、侵入ができないようなつくりなんだそう。
魔力は『指紋』のように一人一人違うらしい。
なにが違うのか、僕にはさっぱりわからないのだが、ご主人様曰く、人の性質がわかりやすく反映されているらしい。
優しい人ならまろやかな、気の強い人なら勢いのある。
その説明でもよく理解できずに首を傾げていると、『匂い』に近いものだと言われた。
自分とは別の人の家に行って、なんだか不思議な香りを感じたことはあるだろうか。
自分とは違うその人特有の『匂い・香り』を感じることがある、僕にとって一番わかりやすい例えはそれだった。
なんにしろ、これは全て、魔力を持つ者の常識だ。
魔力のない僕には何が起きてどう感じるのかわからない空間だったらしい。
建物の中に入れば、その気持ち悪いくらいの違和感は消えた。魔力層で覆われているのは周囲だけのようだ。
ちなみにあの湖は入り口としてのフェイクらしい。
やはりこの世界における常識と、僕の中にある常識は噛み合わないのだと実感した。
建物の中はどこかファンタジー味のある場所だった。
外観は多少凸凹としてはいたもののコンクリートでできた要塞のような、軍事施設にしか見えなかったのだが、中はだいぶ雰囲気が違う。
蒼く柔く光る壁、地面、明かりの代わりなのか燭台が吊るされているが、蝋燭の先端には、火はついておらず、まるでLEDみたいに光っている。
まるで人魚姫のお城のようだが、外観はたしかに軍事施設だった。ギャップがすごい。
「さて、早く行こう」
ご主人様はさも当たり前のように僕の手をとり足早に入り口を後にする。
目的地のわからない僕は相変わらずついていくだけだが、ご主人様が何かに駆られているように目に見えて焦っていることに違和感を覚える。
一体どうしたというのだろうか。




