第九章 終わりの音
九 終わりの音
ひとが死ぬ音が聞こえる。
カサギは、静けさに満ちた心で、悲しみを封じ込めて、歩を進める。
レナドゥの市街地の中央広場。その地下にひろがる、ナアルマヴレの場。かつては、地下聖堂であった場所だ。
あらかじめサノッソらが経路を切り開いておいてくれたおかげで、カサギとイグザードとレイエネは、まっすぐにそこへと到達することができた。
道案内のかたわら、小さな戦闘はあった。
倒れて冷えていく死体を見て、カサギはなぜ滅ぶために剣をふるうのだろう、と悲しみに暮れそうになった。が、掌に握られた種が、それを癒してくれた。
前に進め、と言ってくれている気がするのだ。
橙色の松明に照らされた通路は不気味だったが、不安は感じなかった。
見事に石が組み合わされている。崩れないよう細心の注意を払い、高度な技術を使って建造された場所であることが、様々な遺跡を見てきたカサギには良く分かる。
いったい、どんな思いで、タヴァト族の祖先はここを作り上げたのだろう。
カサギは、もう何十回も読んだ石板に視線を落とした。完全に暗記したが、それでも決して、安心することはない。一言たりとも間違えられないという重圧が、そうさせるのだ。何度確認しても、絶対ということはない。
種の使い方も書いてある。
「平和のためにやっているのに!」
唐突に、叫び声が上がる。
「大量虐殺しようとしている野郎の言うことじゃねぇよ!」
イグザードは、そう怒りに満ちた声を返すと、直線的な動きで、斬りかかってきた見張りを切り殺した。一瞬の躊躇もない。
もう、何人目だろうか。
殺すな、などとは言えない。今は、時間が惜しいのだ。
結論からいえば、これはタヴァト族の内輪もめなのだ。そのせいで、大勢を巻き込んでしまった。だから、命を惜しむなど、恥ずかしくて出来ない。フォシマはそう言って、サノッソらとともに先行していった。カサギは、決意に満ちた従姉妹の顔を思い出し、こんな事態になってしまったのはなぜだ、と悲しんだ。
道の途中で、サノッソやフォシマら、反対派のメンバーと合流する。
「かなり、見張りがいたわ。嫌だったけど、みんな始末したわよ」
「助かるよ。本当は、君にそんなことさせたくなかったんだけどね」
「あたしの剣の腕は、そこらの男どもより上だもの。いいのよ。それに、こうしてあなたや、みんなの役に立てることの方が嬉しいわ」
フォシマは、艶やかに笑って、腰に吊るした長剣の柄を叩いた。
なんとなくわかった。フォシマは、サノッソが好きなのだろう。その気持ちが分かる気がした。サノッソは、地味だが、決断力に優れ、頭もいいし、優しい。
サノッソも、フォシマが好きなようだ。
未来がある。未来が見える。けれども、それは破壊されようとしていて、カサギは、やりきれなさを感じつつ、歩を進めた。未来を勝ち取るために。
やがて、大きく開けた場所に出る。
最長老が、長老たちとともに、儀式を行っていた。
その傍らには、彼らに賛同する者たちが武装して警護に当たっている。そのなかに、ファナラトの姿を認め、カサギは呻いた。
彼に目を向けると、ファナラトは冷たい目でカサギを見返してきた。傲岸なまでの決意が、その美しい顔には宿っている。カサギは、顔を反らして、長老たちを見やる。
彼らの中央には、巨大な水晶球があり、砂嵐を映し出していた。いままさに、砂嵐がひとつの町を飲み込もうとしている。
カサギは、そこで展開されていることが信じられなかった。
これは、現実なのか?
信じられない。はるか昔に、こんな技術があったとは。そんな思いに囚われかけて、カサギは頭をふった。
「そこまでだよ。
ガメス最長老………僕らはすでに選ばれた民なんかじゃないんだ。
もう、サナラム人となんら変わりのない、人間なんだよ。他民族が他民族を裁くなんて権利は、存在しないんだ」
サノッソの穏やかな声が、静かだった聖堂に響き渡る。
と、緩慢な動きで、最長老のガメスが振り向いた。
厳しい表情は微塵もくずれず、傲慢な雰囲気もそのままだ。牢で出会った時から、決して相容れないと確信していた。その考えは、彼の表情によって、さらに強まった。
水晶球から放たれる青白い光が、聖堂内を照らしている。
最奥部には祭壇があり、その手前に水晶球が、むき出しの土の床に、半ば埋まるように設置されている。長老たちはそれを囲むようにして、立っていた。
「そんなことは分かっている。だが、我々は、もう諦めたのだ。この美しい世界を守るためには、これしかないと決断をしたのだ。
何者だろうと、邪魔はさせぬ」
ガメスはそう言うと、水晶球の上をそっと撫でた。
唸るような音がして、長老たちとカサギたちの間に、薄い壁が現れる。
「あやつらを殺すのだ。我らに刃向かう反逆者を!」
ガメスは怒号をあげた。
武装したタヴァト族たちが襲いかかってくる。
「迎え撃て!」
サノッソが鬨の声を上げる。反対派の仲間たちが、武器を打ち鳴らして、仲間であった者たちに襲いかかっていく。それを見届けたサノッソは、カサギに向き直った。
「カサギ、あの壁をなんとかしてくれ」
「分かった」
カサギは頷いて、防壁が作動した際の解除呪文を叫ぶ。
「聞き伝え………痛みの徒は泣き叫ぶ、出会いがしらの過ちを、二度咲きの、花を捧げて鎮魂せよ!」
言霊が放たれると、ガラスを打ち鳴らしたような音がした。続いて、ガラスが割れて砕けるような、ガシャァァンという音がして、薄青い防壁が砕け散る。
「なんだと! 貴様、混血の娘か! 牢から逃げたな!」
「そうだ。私は帝国よりの使者、カサギ・プロウウィン! この愚かしい過ちを見過ごすつもりはない! お前たちの先祖の思いをつなげるために、やってきた!」
カサギは朗々と告げる。
次いで、走り始める。水晶球のまわりには、五角形と丸でつくられた陣が描かれている。まずは、そこに種を埋めなくてはならない。
カサギは身を低くして走り、握った五つの種をひとつの丸に埋めていく。途中で長老のひとりにぶつかり、転倒させる。
ここしばらく外で暮らしていたから、体が反応についてくるようになり、転びにくくなった。それが、今はとてもありがたい。
「この!」
タヴァト族の青年が、短剣をふりまわす。が、カサギはその小柄な体躯を活かして、にげまわった。
聖堂は、一気に血なまぐささを増す。
「カサギ! なぜ邪魔をするんだ!」
「ファナラトっ!」
カサギは、振り下ろされた剣を、横とびで避けて、ファナラトと対峙した。次いで、腰から短剣を抜き放つ。護身用に、とイグザードから渡されたのだ。カサギは躊躇なく、その切っ先をファナラトに向ける。
「大学院に入ってから、ずっと一緒だっただろう! なら、僕の思いも知っているはずだ!」
「ああ、分かってるさ。お前はこの世界が憎いんだろう? 醜い人間が大嫌いでたまらないんだろう? けど、私はそう思わない!
だから、今のお前は私の敵だ! 退かないというのなら、攻撃する!」
本音でありながら、本心ではない言葉を、カサギは長年の友に浴びせた。
ファナラトは、光のせいか顔が青ざめて見えた。ファナラトは、カサギの言葉に衝撃をうけたらしく、立ち尽くしている。だが、その背後から飛び出してきた槍の先が腕をかすめると、眼光鋭くカサギを睨んだ。
「ならば僕も、君と殺しあう!」
ファナラトが地を蹴る。
カサギは、身を低くかがめて、ファナラトの足を狙う。殺したくはない。が、せめて動きを止めなければ、彼はひたすらカサギを狙い続けるだろう。
「カサギっ!」
イグザードが名を叫んでいる。
しかし、彼は長老たちを拘束するのに手が離せないでいる。カサギはその声に応えることはせずに、ファナラトに体当たりをした。
「うわっ!」
ファナラトは姿勢を崩して尻もちをつく、その隙に、種を埋める。種は埋められるとすぐに芽吹いて、水晶球を絡め捕っていく。それが、封印なのだ。
そうやって五つ埋めてから、呪文で成長させ、完全に破砕するのだ。
「くそっ!」
「私も、いつまでもドジではないんだ」
カサギは悲しみをこめて言うと、次の種を埋めようと動く。だが、
「僕だって、大貴族のはしくれだ。剣技なら幼少から叩きこまれている!
カサギ!
ひとは滅ぶべきなんだ! こんな互いに憎み合うだけの、愛すら憎しみに変えてしまえる愚かな生き物は、滅ぶべきなんだ!」
いつも穏やかで、優しかったファナラト。
いつも、少し寂しそうで、悲しそうだった灰褐色のその瞳は、絶望一色に塗り込められている。
カサギは、それを見て、一瞬ためらった。
まっすぐに、剣の先がカサギの心臓めがけて突き進んでくる。
避けられない。
カサギは、せめて急所だけは外さなければ、と咄嗟に身体を横へと移動した。その時、
「カサギだけはやらせるものかぁっ!」
怒号が、耳に突き刺さった。
それは、レイエネの、喉からほとばしり出た慟哭だった。
次いで、肉を刺し貫く、湿った鈍い音がふたつ、聞こえた。カサギは、意識が暗闇に飲み込まれるくらい、痛烈な痛みを覚えた。
「あ、あ………あぁっ! 嫌ああぁぁぁぁぁああっ!」
視界いっぱいに、剣先の突き出たレイエネの背中が映る。その向こうで、ファナラトが口から血を吐いて、ゆっくりと崩れ落ちて行くのが見える。
なぜか、ひどくゆっくりと。
「ごめん………な、カサギ。ごめ……ん」
ファナラトは、最期に微笑んで、地に倒れた。
涙が、あふれ出てぼたぼたと零れおちる。レイエネは、呻いて、剣を腹部から引き抜くと、振り向いて、叫んだ。
「カサギっ! あなたは、やるべきことをやって!」
「う………っ!」
泣いて、くずおれてしまいたい感情の嵐のなかで、カサギは、きっ、と顔を上げて、残り三つの種を埋めにかかった。
「くそおお! させぬぞ!」
「往生際が悪いんだよ! いい加減に観念しろ!」
イグザードが怒鳴る。
「黙れ小僧! 我らの積年の悲哀を! こんな形で壊されてなるものか!」
ガメスは砂ぼこりにまみれ、擦り傷だらけの姿で、落ちていた槍を拾い、投げた。それはカサギに向かって一直線に飛ぶ。
が、手前でフォシマによって叩き落とされる。
「この子に手出しはさせないよ!」
「よし、かなり数が減ってきたな………ガメスを捕えろ!」
「くそおおお!」
ガメスは血を吐く勢いで叫んで、その場に小規模な砂嵐を起こした。
カサギは、ただ必死で種を埋めた。そしてついに、最後のひとつを埋め込んだ。
ぐっ、と顔を上げて、必死で頭に叩き込んだ呪文を、紡ぐ。
「歴世の余波をうけし悲しみの民!
諸刃の剣を宿した命!
別言に振り廻されて、宿命の理を曲げぬ!
永らえることのみが幸福にあらず!
いざ天秤の示した仁恕を現せ!」
言葉に呼応し、芽吹いた蔓草がめきめきと育つ。棘を生やし、硬い樹皮に覆われた茎は水晶球にからみつき、ひびを入れていく。
「我、予言の子ども、我はここに宣言する!
長きに渡った契約を破棄する!」
カサギは最後の言葉を放った。
最初はちいさな、小石を固い床にばらまいたような音がひびく。
それは少しずつ大きくなっていき、やがて、派手な破砕音とともに、砂嵐を生み出し、映し続けていた水晶球は、凄まじい破砕音と共に砕け散った。
カサギは、空中にキラキラと舞うその破片を見て、その場にひざをついた。
視界に映る幻想的なその風景を、ただながめる。
美しく、物悲しい光景だった。
青白い明かりは消え去り、仲間たちの持つランプの、橙色の光が、代わりにそこを暮色に染め上げる。
そのなかに、動かなくなってしまったレイエネの姿もあった。
終わったのだ。
様々なひとやものを巻きこみ、多くの悲しみから生まれ、悲しみを生み出すモノは消え去ったのだ。しかし、人の心はそのままだ。第二、第三のナアルマヴレが生み出されないとは限らないのだ。
カサギは煌めく破片を見つめながら、静かに涙を流した。