第八章 祖先の思い
八 祖先の思い
薄ぼんやりとした橙色の明かりに照らされた室内で、レナドゥの町とその周辺が描きこまれた地図を、その場の全員がのぞきこむ。
「どういうわけか、この町には、多くの地下道がある。かつては墓地だったらしいが、いまでは使用されていない。ここを使って、侵入しようと思う」
そう言ったのはサノッソだ。
驚いたことに、彼が反対派のリーダーだという。カサギはてっきり、イグザードかと思っていたが、彼はどちらかというと、行動専門らしい。頭で考えるのは、サノッソの仕事だそうだ。
(ようするに、荒事専門というわけか。イグザードは)
色々なことを整理しながら、カサギはサノッソの言葉に耳を傾ける。
「僕たちは先に侵入して、経路を確保。そのあとで、カサギさんたちに来てもらう」
サノッソは、全員が頷くのを見て、安堵のため息をつく。
「正直、見つからなければ、この計画自体も無駄になっていたところだった。助かったよ、イグザード」
「俺も、こいつに会えたのは偶然だったんだ」
「何の話だ?」
「ああ、まだ言っていませんでしたね。僕たちの計画には、あるひとが必要だったんですよ。それが、あなたなんです、混血の血を持つ……タヴァト族と、サナラム人との橋渡しになれる唯一のひと。予言では、黎明の娘と呼ばれています。
でも、長老たちはそれを阻止するために、信用できるものしか外に出しませんでしたし、よほどの例外でもない限り………混血は生まれませんでした。密通したひとがいても、出来た赤子はすぐに見つかって殺されましたしね。
あなただけが例外なんです。
あなたの母親だけは、タイミングが良くて、うまく帝国まで逃げ込めたので、長老達にも手出しができなかったんですよ。
実は、僕たちの仲間を各地に出すのも大変で、あなたを探すのは無理だと諦めていたんですけど、運のちからってすごいですよね。まさか、帝国貴族になっていたなんて、しかも、イグザードと会うなんて、奇跡ですよ」
「ああそうか。それであの時、イグザードは私の顔を見て、驚いていたんだな」
「まあね。まさか、トゥーリさんの似顔絵そっくりの女の子が現れるとは全く思っていなかったんだ。まさに一石二鳥だった」
イグザードは、肩をすくめた。カサギは、そんなことになっているとは、と思いつつ、ふと笑みを浮かべた。
「私が北部の遺跡に興味を持ったのは、そういう過去があったからなのかもしれないな。ずっと、ここに来たいとは思っていた。まさか、母の故郷とは知らなかったがな。
母は、私を守って、父を殺して、私は、孤児院で育った。すごく小さい時で、その話も、孤児院の院長に聞いた話だから、あまり実感はわかなかったんだ。
そうか………。
それで、私にしか出来ないこととはなんなんだ?」
カサギは独白めいてつぶやいた後、真剣な面持ちで訊ねた。
「レナドゥの北に、セラマッゾという名前の遺跡があります。セラマッゾは、古代語で経典という意味なんだけど、そこに入れるのは、混血のひとだけなんですよ。そこに、いま稼働しているナアルマヴレ発生装置を止めるために必要なものがあります。
それを取ってきて欲しいんです。
ものについては知りませんけど、行けば分かると文献に書いてあるので、大丈夫です。
で、それを使って、装置の破壊をしてもらいます」
カサギは、言われたことに絶句した。
「それは、最も肝心で、大変なことじゃないか。私なんかに、頼んでいいのか? 今の今まで、私は、部外者だったのに」
「いいもなにも、あなたにしか出来ないんです。僕たちは、あなたを信用して、ただ、動くだけですよ。もう、あまり時間がないんです。
明日すぐに行ってください。
護衛には、イグザードと仲間の者をつけます。用心してくださいね」
「わ、分かった。全力を尽くすよ」
カサギは頷いて、息を吐いた。重圧だ。凄まじい重圧が、背中にのしかかってくるようだ。すべての人間の命を背負ってしまった。
その背中が、優しく叩かれる。
「俺も付いてる。そんなに気負うな。今日は、ちゃんと休めよ」
「ああ、そうだな」
カサギは、力なく微笑んでみせた。
負けるものか、と思う。どれだけ怖くて恐ろしくても、やり遂げる。そんなことを思いつつ、カサギはサノッソの言に耳を傾けた。
明日の手筈についての確認が終わり、そこに集まった三十人ほどが、少しずつ外へと出て行く。なかには、カサギに声をかけてくれるものもいた。
「がんばってくれよ」
「私たちに協力してくれて、ありがとね」
「期待してるぜ」
「裏切ったらゆるさねぇぞ、なんてな。頼んだぜ」
などと言われ、カサギは笑って答えたが、それだけで精いっぱいだった。不安に押しつぶされそうだった。
カサギは、ぽつんとつぶやいた。
「………私には、見たいものがあるんだ」
「カサギ?」
「見たいものがあるんだ。イグザード………私は、広い世界を、この目で見たい。どんなものがあって、どんな生き物がいるのか、知りたい。
そのために、明日は、命をかけようと思うんだ」
カサギは、静かに言った。部屋が、少しずつ静かになる。サノッソも、手を上げて挨拶して、出て行って、部屋には、ふたりだけになった。
「私の命、お前にあずけるよ」
カサギは唐突に言った。二人の間に、言葉では表せない、信頼のようなものが流れる。イグザードは困ったように笑うと、頷いた。
「分かった」
「休もう。明日は、戦いなんだから」
カサギはそう言うと、テーブルの上のランプに近寄り、手に取った。
その淡い光が、なんだか人間の命の灯のような気がして、この火を、守るつもりで臨まないとならないな、とカサギはひっそり決意を胸に刻んだ。
早朝の澄んだ、冷たい空気のなか、カサギはセラマッゾ遺跡にいた。
まだ弱い曙光に照らされた遺跡は、なんだか墓地のようだ。実際、それは土を盛っただけの墓と酷似している。ただ、大きさが違う。それは、巨人でも葬ったんじゃないかと思えるくらいに、大きかった。
盛り土のうえは背の低い草で覆われている。
「これが、そうなのか」
つぶやいて、入口を見やる。
ぽっかりと、石組みの通路が見える。誰でも気軽に入れそうだが、うっかり入ると罠が作動して、押し出されてしまうという。
「ここは、タヴァト族の祖先たちの墓なんだ」
イグザードは、どこか神妙な面持ちで言った。
「そうか。私は、そんな場所に行くのか、たったひとりで」
ふと、弱音が漏れる。横に立ったイグザードが、かすかに息をのんだ。だが、気休めはいらない。カサギは、ぐっと顎を上げて、大股に進み、立ち止まることもなく石室へと足を踏み入れた。
すると、後ろ手なにかが落下したような大きな音がし、真っ暗になった。
「なんだっ!」
驚いて振り返ると、壁がある。入った瞬間に、上から落ちてきて閉じたらしい。外で、叫び声があがる。
「カサギ! 大丈夫か!」
ややくぐもった声は、イグザードのものだ。
声を失っていたカサギは、炎の燃えあがる音にびくり、と体をすくめた。奥のほうで、大きな炎が赤々と燃えている。最初はまぶしかったが、次第に目が慣れてくると、落ち着きを取り戻すことができた。
「私は大丈夫だ! いまから、石室のほうへ向かう。心配するな!」
そう外に向かって叫ぶと、カサギは一直線に伸びた通路を、歩き始めた。
たいした距離ではなく、ほんの数十歩で、目的の場所へとたどり着く。
カサギの眼前にひろがっているのは、供物を乗せる石台と、金属製の巨大な炎を吹き上げる篝かごだ。その奥に、棺が五つ、放射状に並んでいる。
一番手前の供物台には、石板が乗せられている。
カサギはゆっくりとそれに歩み寄り、文字を見やる。なんとか、読むことができそうだ。確か、古代語だったと思う。まだ、サナラム半島が砂嵐とうず潮に閉じ込められていなかった頃、大陸から渡ってきた者たちの使っていた文字だ。
それを見て、カサギの脳裏に、教授の手にしていた銀貨が浮かんだ。そうか、教授は、タヴァト族が、この半島出身ではないと気づいたから、殺されたのか。ひとつほどけた疑問に、カサギは気を引き締めた。
その教授のおかげで、なんとかなりそうだ。彼に報いるためにも、ナアルマヴレを破壊するものを手に入れなくては、と思う。
炎の明かりがちらちらして、結構読みにくい。顔も熱くなってきた。目を眇め、眉間にしわを寄せつつ、内容を声に出してみる。
「なになに、我々は、ついに新天地を発見した」
カサギは、文字を手でなぞりながら読み進める。
ややとがって、角ばった神経質そうな文字だ、と思う。現代使われている文字は流線型で、やさしい印象なのだ。
「我々は、自然現象に働きかけるすべを知ったために、戦乱に巻き込まれて、利用され、多くの同胞を失ってしまった。
ゆえに、ここまで逃げて、我々だけの新天地を探し求めた。
だが、ここには先住民がいた。彼らは、ようやく農耕をはじめたばかりであった。我々はすこしばかり手助けをしたが、彼らは少しずつ、我々の持つちからに気付きはじめた。
我々は危機を感じた。
そして、やはり戦乱が起こった。我々は再び巻き込まれ、多くの同胞を失った。
その時。外からも侵略の手が伸びてきていた。
我々は、長命であることを呪った。自然に愛されたゆえに、我々は普通のひととは異なる寿命を持っていた。もともとのつくりが違う。異種族なのだ。
ならば、なぜ滅びねばならない。穏やかだからか。争いごとを好まぬからか。欲をあまり持たないからか。
我々は、生き残るために、ナアルマヴレを作り上げた。それは、自然に逆らう行為だったため、我々は寿命が人間と同じになり、人間になった。
それでも、我々はナアルマヴレを発動させて、後世の者に希望を託した。
ここに残すのは、ナアルマヴレの破壊に必要な物品と呪文である。
また、ここに立ち入れるのは、我々と、先住民族との混血だけである。なぜならその者は希望だからである。はじまりだからである。
違う民族でも、子をなし、つながりあうことができる証明だからである。
我々が託すのは希望である。
この思いを、受け継いでくれるものが現れることを切に願う」
読み終えて、カサギは、静かに目を閉じた。
次いで、五つの棺に向かい、頭を垂れた。
そして、供物台の石版を持ち上げてみる。その下のくぼみに、ちいさな石版と、なにか植物の種らしきものがある。
「これだろうか」
手に取り、一体どう使うのだろう、と訝しんでいると、背後で大きな音がした。と、同時に、燃え盛っていた炎も消える。頬に残ったほてりを感じつつ、そこから吹き込む清かな風に目を細めた。
用は済んだ、ということなのだろう。
カサギは、腰に吊るした小袋に、ひよこ豆ほどもある五つの種子を放り込み、石板はしっかりと手に持って外へ出た。
日差しが目を焼く。まぶたを閉じると、誰かが走り寄る気配を感じた。
「カサギ! 無事だったか………良かった」
「心配することなんかなにもない。ここは、お前たちの祖が残した場所だろう。先祖を信じてやれないのか? それより、襲撃なんかはなかっただろうな?」
「あ………ああ」
間の抜けた様子で頷くイグザード。カサギは苦笑して、手に持った石板を見せた。
「あったよ。私は、託されたんだ………タヴァト族の捨てきれなかった希望を」
嬉しくて、カサギは言った。不安が一掃されたみたいな気分だ。
「なにがあったんだ」
イグザードが首をかしげて不思議そうに問う。
「後で、ちゃんと話すよ。このあと、乗り込むんだろう?」
「ああ、さっき報告があって、長老たちが、ナアルマヴレを完全に開放するために儀式を始めてしまったらしい。
今日が、山場だろう」
「行こう。私は、託されたんだ。決して、その思いを無駄にしたくないから」
「ああ、終われば、色々と話も出来るしな」
イグザードは、そう言ってにやりと笑った。
「そういうことだ。よし、行こう!」
カサギは、イグザードと共に見張っていてくれた者たちも含めて、呼びかけた。
「こっちだ。みんなで、力を合わせて、全力を尽くそうぜ」
「ああ。おれたちで、あんたは守ってやるよ」
明るい返事が返ってくる。カサギは、笑顔で「ああ!」と頷いた。