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第七章 悲しみのタヴァト族

七 悲しみのタヴァト族


「食事だ」

 少しうとうとしていると、つっけんどんな声がした。カサギは目を開いて、立ち去りかけていた青年に向かって叫んだ。

「待って、待ってくれ! お願いだ、せめて話だけはさせてくれ。殺されたってかまわないが、せめて、理由くらい教えてほしい!」

 カサギは、鉄格子にしがみついて、全身で訴える。

「………そのうち、最長老様がいらっしゃる。待っていろ」

「え」

 カサギは、あっさりと肯定され、虚を突かれてぽかん、とした。

 やがて、木のきしむ音がし、戸が閉められたのが分かる。足音が少しずつ遠ざかっていく。

「ふぅ、無愛想なことだな。まあ、囚人だし、愛想良くされたらされたで気色が悪いか」

 つぶやいて、置かれた食物を眺める。

 あまり、なじみのないものが、木のトレイに置かれている。

 なにより、緑色だった。緑色した豆のスープ。パンにもなにか緑が練りこんである。なんの草だろう、と思いつつ、手にとって、口へ運ぶ。

(まあ、毒ではないだろうしな)

食べてみて、薬草のような風味だな、と思いつつ咀嚼する。たぶん、薬草なのだろう。

木のボウルに注がれた水で、その独特な風味のぼそぼそパンを流し込み、後ろで横になっているレイエネを見やる。

彼女は、ここにいれられてすぐに、微熱を出して寝込んでいる。

一応、体の下にはワラが敷かれているが、本当なら、ベッドで静養させたかった。

カサギはスープの椀を持ち、レイエネのそばへにじり寄る。

「レイエネ、水分は取っておいた方がいい」

「え、ええ。ごめんなさい」

 レイエネは辛そうに掠れた声で言うと、起き上がって、椀を手にした。カサギはその背中を支えながら、パンをかじる。レイエネは、中身を少しずつすすると、軽く咳をした。

「大丈夫なのか?」

「ええ、ごめんなさい。あたし、こういうところに弱くて………ずっと、小さい時はずっとこういうところにいたの。だから、反射的に、体が、心が拒絶してしまうみたい」

「ずっと?」

 カサギは不思議そうに問うと、まさか、と思った。

「あのときの、北部人狩りのときに……か」

「そうよ。悲惨だったわ、あたしは押入れに押し込められて、たった一枚の板の向こうで上がる、家族の悲鳴を聞いているしかなかった。あたしはまだ、小さくて、弱かった」

 独白めいて、レイエネはつぶやいた。

 じっと、濃い青色の瞳で、立ち昇る湯気をみつめている。イグザードのものと似た、けれど決定的に違う、暗黒を宿した青い瞳。夜明けの群青色。

 カサギは、そのあまりの寂しさに、下を向く。

 見ていられなかった。

 早く、こんなところから出してあげたい。

(私は、無力だ。

もっと、いい考えが浮かぶ頭が欲しい。それを、実行できる行動力をともなった体が欲しい! こんなに小さくて弱くては、何もできないじゃないか)

心のなかで叫ぶと、かつて目にした虐殺の風景が脳裏をよぎる。

(考えろ。なにがなんでも、レイエネを守るんだ)

 そんなことを考えていると、金属がぶつかる軽くて涼やかな音がした。続いて、戸がきしむ音。誰かが入ってきたらしい。

 カサギは、決然とした表情で入ってきた人物を見た。

 すぐにわかった。

 にじむ貫禄と、立派な体躯。まとう衣は裾が長く、ついている杖は丈夫で使い込まれて、美しく、金色の装飾がなされていた。

 白くなった髪は長く、腰まである。額には金のサークレットがはまっていた。

「最長老様ですか」

「いかにも」

「私と、話をしに来てくださったのですか」

「否……ただ、一方的に告げに来たのみだ、若き雌獅子よ。良い目をしておるが、はたしてそなたのような人間がどれほどいるだろう?

 そしてその煌めきが腐り落ちないとも限らない。

 話し合いなど無駄だ。我らは、長年つみあげてきたものを見た結果、すべてに災禍を下すと判断したのだ。

 それが、悲劇を見なくて済む、唯一の方法なのだ」

 冷たくて細い、冷え切った銀灰色の瞳が、カサギを睥睨している。カサギは、夜明けにも似た金色の大きな瞳で、その銀灰色を睨み返した。

「知っておるか? 我らの記録に残っている、醜きひとの行いを。彼らは歴史から学ぶことをせず、その時々の自身らの状況しか見ておらぬ。

 狭い視野で、自身の成功のみを追い求め、他者を食い尽くし、改造し、従え、自然ですら管理下に置けると勘違いした。

 小さな神を気取って、おなじように生きるすべてを踏みにじってきた。

 そして、いままた、ここでも繰り返された。

 物資を制限しても、ひとはそれを分け合い、暮らしていくことができなかった。質素に、求めず、急がず、理解に努めていれば、自身だけが肥えることを喜ばなければ、わしらとて、希望を持って、ナアルマヴレを破壊できた。

 だが、そうはならず、見てみよ、そこの北部人を。

 ささいな理由で、ひとはひとをごみくずのように扱った。戻れないのじゃ、黎明の娘」

「本当に、もう、なにもないのか? ひとには、なにも残っていないのか?

 私は、そう思っていないのだがな」

 カサギは、目一杯強がって、笑って見せた。

 すると、長老はふっと顔をほころばせ、目じりを下げた。

「よい娘だ。さすがは、黎明の娘だ」

「………黎明の、娘?」

「いや、気にするな。もう、それにも意味はない。予言が成ったとはいえ、わしらはひかぬのじゃ……いずれは尽きる命。しばらくしたらそこからだしてやろう。

 そしてその目で、ひとの終焉を見て、滅ぶとよい」

 長老はそう言うと、静かに目を閉じて、ゆっくりと退出していった。

 カサギは呼びとめなかった。心が、ひどく冷えて、しびれていた。長老の言ったことは、知っている。帝都で、どれほどそれらの本を読み漁ったか。

 けれど、カサギは希望を捨てていなかった。

 希望がない、なんてことはない!

 振り向いて、レイエネと、手元のスープを見やる。すっかり冷めてしまったその汁だって、温めなおせば、また美味しくなる。

 取り戻せないものなんかない。

 だから………。

「レイエネ、絶対に、私は諦めたりしない」

 そう言って、握っていたパンを一度に口に詰め込んで、必死に咀嚼した。そうだとも、私はまだ生きているのだから、最後まで、あがくんだ。


「カサギ、カサギっ」

 ささやき声がする。カサギは唸って、目を開ける。外から冷え冷えとした月光が差し込んでいて、かなり明るい。夜なのか、と思うと、目の前に、妙にきれいなものが見えた。すごく綺麗な、男の顔だ。

「………イグザード?」

 一気に目が覚めた。

「どうして?」

「助けにきた。いま、ここから出してやる……ところで、彼女はどうしたんだ」

「あ、ああ。過去に経験した辛いことを思い出してしまったらしい、そのせいで、熱が出てしまったんだ。はやく、ここから出して、休ませてあげないと」

「分かった………おい」

 イグザードが後ろの青年を促した。

 月光の明かりに浮かびあがった青年は、ひどくまじめそうで、痩せていて、背は低い。印象に残りそうにないくらい、その青年は地味だった。イグザードと並べば尚更だ。

 それでも、けぶるような灰緑色の瞳だけは、優しそうで、印象に残った。

 服装は簡素で、青い貫頭衣と、茶色い色のズボンを穿いている。

 どんな人物なのだろう、とカサギが考えていると、金属が軽くこすれるしゃらしゃら、という音の後、格子が開いた。

「ほら、開いたよ」

「ああ。カサギ、こいつはサノッソ・トゥクファッソ。俺の仲間だ」

「よろしく」

 サノッソは微笑んで、牢のなかに入ってくると、レイエネの様子を見た。

「精神的に参ってるって言っていたね。立てる?」

「なんとか、がんばるわ」

 レイエネはそう答えた。どうやら起きていたようだ。

「無理はしないでくれ、レイエネ」

「そうだぜ、無理しなくても、俺が背負ってやるから」

「そんな贅沢、ひとりだけ、迷惑………かけられない」

 言って、必死で立とうとするが、うまくいかずによろける。見かねたらしいイグザードは、溜息をついて、強引にレイエネを背中に引き寄せた。

「カサギ、サノッソ、手伝ってくれ。この強情女に付き合っている時間はない」

「ああ」

「そうだね」

 ふたり揃って頷くと、レイエネが抵抗するのにもかかわらず、イグザードの背中に押し上げてしまった。

 それから大急ぎでそこを出る。

 カサギには見慣れない木造家屋の床はかなりきしんだ。だというのに、追手のひとりも見当たらない。が、床に倒れて気を失っている男を見て、カサギは納得した。

 イグザードには、良い仲間がいるようだ。

 外に出ると、なんとなく空気が甘く感じられたが、それを味わう余裕は皆無だった。

 とにかく今はここから逃げなければという思いに突き動かされて、カサギはイグザードらに続いて、懸命に走った。


 薄ぼんやりとしたランプの明かりのもとで、大勢の若者が飲み食いしている。

 そのなかに加わりつつ、カサギは、そこにいる全員の髪の毛がみんな淡い金か、蜂蜜色、もしくは銀髪なのにただひたすら驚いていた。

 カサギは今、レナドゥの繁華街にある賭場の地下につくられた酒場にいた。

 イグザードの話からすると、ここは彼ら、長老に反対する一派のアジトなのだそうで、レイエネもここにいる。といっても、彼女のいるのは休憩室のほうだ。牢から出て外の空気に触れてからは、安心したのか、すぐに眠りこんでしまった。

 イグザードはというと、なにか自分たちだけで話があるとかで、カサギの目の前に果物の皮を剥いたものや、獣の肉を揚げたもの、菜っ葉をヤシの油で炒めたもの、ゆでたイモ、エビを揚げたもの、干したナツメヤシに、ヤシの酒といった食べ物を並べ、待っていろと言い渡して、どこかに行ってしまった。

 ので、これからどうなるのか、どうしたらいいのかはさっぱり不明だ。

 とにかく、今はイグザードを信じて、待つしかない。カサギは小さく嘆息した。

 よどんだ空気と、油の匂い。すえた臭いと酒の匂いとが入り混じった、こういう場所独特の匂い。幼いころを思い出す。よくこういうところで酔っ払いを狙って、スリを働いたものだ。時には、酔って気分の良くなった男に、なにか御馳走してもらえることもあった。そんなことを思い出しつつ、カサギは、目の前の酒に口をつけた。子供の飲むものではないが、薬としても飲用されているので、味は知っているし、もう飲んでも怒られない年齢だ。が、カサギはあまり飲んだことがなかった。

 翌日、調子が悪くなったことがあったからだ。

 口をつけた赤い色の酒は、果実を漬けたものらしく、甘酸っぱい味がした。

「飲んでいるかしら」

 不意に上から降ってきた甘ったるい声に、びくっとして顔を上げる。

「あ、まあ、それなりに」

「そう、どうかしら、ここの食べ物や飲み物は、口にあう?」

「くせのないものが多いから、美味しいよ」

「そう」

 声の主は嫣然と微笑んで、カサギの隣に腰を下ろして、手に持っていた木のカップの中身に口を付ける。

 それを眺め、カサギは彼女の豊かな胸や、すらりとのびた手足をうらやましいと思った。カサギはちびなので、どうあがいてもそうはなれないのだ。

 ゆるく波打つ蜂蜜色の髪や、ゆったりとした生成色の服。細められた瞳は、金褐色で、全体からするとやや濃い。

 だからだろうか、なぜか彼女には親近感がわく。

「ねえ、あなたのお母さんの名前教えてくれない?」

 不意に、問われる。カサギは、変な人だな、と思いつつ、答える。

「トゥーリですが」

「やっぱねぇ………それ、あたしの叔母さんの名前だわ」

 女性はどこか物憂げに言った。

「あんた混血ね。その瞳の色………サナラム人のものじゃないもの」

「え? 今までなにも言われたことはないけど……?」

「結構色が濃いから、気がつかなかったのね。でも、あたしたちタヴァト族の目には特徴があるのよ」

 自身の瞳を指で示す。

「ほら、この金粉をまいたようなのがそれよ」

 女性は、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべたまま、告げる。

「はじめまして、というところかしら。あたしはフォシマ、フォシマ・サユトゥーミ。あなたにとっては従姉妹にあたる、イグザードの幼馴染よ」

「え、ええっ!」

 カサギは思わず立ち上がって、にこにこと微笑む女性、フォシマを驚愕の面持ちで見やった。なんてことだ。もう今夜はいっぱいいっぱいなのに、と頭を抱えたくなる。

「カサギ! あれ、フォシマか、ということは、もう自己紹介したんだな」

「ええ。ああ! 嬉しいわ! あたしこんなかわいい妹ほしかったの! ウチってばむさい弟ばっかりで、ちらかすは汚すわもううんざり!」

 大声で言って、フォシマはカサギに抱きついた。

 肩のところに胸があたり、その豊満さに、なぜ自分にはその要素がないんだ、従姉妹なのにと、悲しくなる。

「なにやってんだか………とにかく、カサギを返してくれ」

 イグザードは呆れたように言うと、カサギの腕を掴んでひっぱって、フォシマの腕から引き離した。目を回しそうだったカサギは、大いに安堵した。

「あら、今まで誰が言い寄ってもうんともすんともいわなかったあなたが、女の子を独占しようとするなんて、ようやく恋に目覚めたのね。あたしが言い寄ってもだめだったから、てっきりこっちのケがあるのかと思ってたわ」

「なっ! 俺はまともだ! 考えるのもおぞましいことを言うな! ったく、そんなんだとどうせきちんと話してないんだろうな。仕方ない………カサギ、サノッソたちと一緒に、あんたに話しておきたいことがある。ちょっと来てくれ」

「あ、ああ………そうだ! なあ、ファナラトはどうしたんだ。ずっと聞こうと思っていたんだ。お前たちは一緒に連れて行かれただろう?」

 必死にそう訊ねると、イグザードの表情が曇った。

 言いづらそうに、頭を掻いている。

 カサギは、その様子に、胃が重くなったような気がした。

「あいつは、裏切ったんだ。牢に行くなり、俺の目の前で、自分にも協力させてくれと必死に訴えた。

 人間を滅ぼす手伝いをさせてくれと、何度も頭を下げて、床に這いつくばって。見ていられなかった。そのうちに長老が来て、あいつを連れて行った。おそらく、今は長老たちの手伝いをしているか、もう殺されているか、どちらかだろう」

「そ………んな、嘘だ! 何で、ファナラトが!」

「あんた、言ってたじゃないか。あいつは、人間が憎いんだよ。血と肉の詰まった皮だっていう例えからして、もう、取り返しがつかないくらい、憎しみに囚われてるんだ。

 俺は、あいつのあの狂気じみた顔を、忘れられない」

「………かも、しれない。私を裏切ってでも、あいつは、きっと、絶望してるんだ」

 カサギは、泣きそうになるのをこらえて、イグザードの腕をつかむ。うつむいて、唇を引き結んで、それでも、再び顔を上げる。

「なら、絶望は晴れるってこと、思い知らせる。そのために、人間を全滅させるわけにはいかないんだ」

「………ああ」

 イグザードは一瞬驚いて、それから嬉しそうに笑って頷いた。

「ふぅん、めろめろじゃないの。まあ、いいんじゃないかしら、お似合いよ、あんたたち」

「えっ! いや、なんでそんな話になるんだ?」

 突然の浮いた話に、カサギは大いに困惑した。すると、イグザードは、諦めたように嘆息し、言った。

「こういうひとなんだ。まあ、俺は否定しないけど」

「否定しない………?」

 カサギは、その意味を考えて、考えて、ようやく思い至った。

 そして、思わず呼吸を止めた。

「ばばばばばばかだなもう、いやいやいやもういい! もう嫌だ! ありえない。そうだ、そんなことありえないさ。はっはっは。

なあイグザード、サノッソはどこにいるんだ。

 なにか重要な話があるんだろ?」

 壊れたように言葉を重ねる。

 頭が真っ白で、叫びだしたいくらいだ。とにかく話題をそらそうとして、そう言ってみると、イグザードとフォシマは、顔を見合せて笑った。

 カサギは、泣きたい気分で、叫んだ。

「なあ、サノッソは!」 



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