第六章 レナドゥ
六 レナドゥ
カサギとイグザードが広場にたどりついたときには、トゥノーレはもう虫の息だった。
いつもであれば閑散としている広場には、手に手に松明を掲げた男たち、なかには女たちも少し混じり、好奇心に負けて、親に折檻されるのを覚悟で出てきた子どもたちもいる。
「おれたちの商品を奪う悪党め!」
「血祭りに上げろ!」
「見せしめだ!」
飛び交う怒号と、振り下ろされるこん棒。トゥノーレは血まみれで、顔は原型の美しさをまったくとどめていない。
「そこまでだ!」
そこに、割り込んだ女の声。カサギは帝国旗をはためかせた槍を持つ、レイエネの姿に思わずほっとした。
巻き込まれて、勘違いされて、襲われていたらどうしようかと考えていたのだ。
それに、トゥノーレをこのまま見殺しにするのは嫌だった。
「後は我々にまかせ………」
「うるせぇ、どけっ!」
民衆のひとりが、レイエネを突き飛ばした。慌ててつき従う兵士二人が支える。
止められない。
レイエネの茫然とした様子を見て、カサギは唇を結んだ。
鈍く、重く、湿った音が響く。ここまで、ひとはひとを憎めるものなのだ。カサギは、咄嗟にイグザードの鮮やかな金髪を隠すことを思いついて良かった、と思った。街に入る前、カサギは手持ちの布で、完全にイグザードの頭を覆ったのだ。目だけはどうしようもないが、北部人には瞳の色が深い青だったり、緑だったりする者もいるので、ごまかせるが、明るい金の髪は、タヴァト族特有のものなのだ。
「なんでっ、こんなこと」
呻いて、すくんだ足を見やる。
本当は、あのなかに飛び込んで行って、こんなことしても駄目だと叫びたい。無意味なんだと、これは一方的な虐殺だと言いたい。けれど、怖い。怖くて、たまらない。
動いてくれない体と、出ない声。
カサギは立ちすくんでいるしか出来なかった。
「………っ、ハハハハハハッ、あたしを殺したとてもう遅いさ! どうせみんな砂嵐で死ぬんだよ! 先に行って、地獄を見てきてやるさ!
アハハハハハっ、グッ、ああっ!」
「黙れ、死ね!」
「ナア、ルマヴレっ! あたしの……願い」
トゥノーレはひときわ大きな声で叫ぶと、ぱたりと倒れて、もう動かない。しかし、それでも彼女の体は打ち続けられる。
「お前のせいで、俺の母は死んだんだっ! 薬が間に合わなかったんだ!」
「そうだ。おれの妻も、栄養失調で、死んだ!」
「私の赤ちゃんも、産めなかった!」
「お前の、おまえらのせいで、店がつぶれたっ! 領主に見限られた!」
口々にほとばしる怨嗟の叫びは、夜が明けるまで続いた。
カサギは泣いていた。
ただ、それしか出来なかった。イグザードは側にいてくれた。本当は、彼が一番怖かっただろう。カサギは、悔しくて、泣いた。
泣きじゃくった。
町からの出立は、その翌日となった。
町長や、職人頭、商人たちの元締めらに、なぜあのタヴァト族と一緒だったのか質問され、目的を問われたためだ。
話が終わると、カサギたちは歓迎を受けた。
イグザードは道案内の北部人だと紹介された。意外にも、疑うものはいなかった。
そして、出立の日、カサギたちは支援金という名目で寄付されたお金や物資を、押しつけられた。拒絶しようとしても押しつけられるので、仕方なく受け取った。
「どうか、あの砂嵐をなんとかしてください」
「わしらの生活を守ってください」
「うまくいきますように、お祈りしています」
見送りの時に、民衆からはそんな言葉が掛けられた。
町の入口にさしかかると、今まで随行してくれた兵士二人との別れが待っていた。彼らには、帝都まで軍を呼びに行ってもらうのだ。
「それでは、必ずこの危機を救うために、軍を連れてまいります」
「レイエネさん、ひとりで大変でしょうが、がんばってください」
「ええ、全力を尽くすわ」
レイエネは、兵士二人とそれぞれ握手して、微笑んだ。
「カサギ隊長も、がんばってください」
「あ、ああ」
「かっこよかったですよ。あのトゥノーレってひとに怒鳴った隊長」
「そんなことないさ。お前たちも、気をつけてな。無事に、帝都を目指してくれ」
「はい」
兵士二人は、意気揚々と町を出て、帝都への旅路についた。忙しい旅になるだろう。だが、どうか無事で、とカサギは祈りをこめて彼らの背中を見つめた。
その背が見えなくなって、カサギたちもまた、新たな道を歩み始める。今まで以上に、辛いことが待っているような、そんな気がした。
重くなった背中を丸めて、カサギはつぶやいた。
「結局、トゥノーレさんの遺体を葬ることもできなかったな」
「仕方ないさ。それだけ、憎しみの力は強いんだよ」
ファナラトが悲しげに微笑んだ。
「タヴァト族なんか、二度と蘇るなってことだよ………僕たちは、いつかの後世には復活するんだ。体は、容れものだから、なくしてしまえば、もう戻れない」
「私は、復活なんて信じてないよ。信じたくない。いまだけだ、私がここに在るのは、よみがえったとしたら、それは別人さ」
カサギはさらり、と不敬なことを言うと、空を見る。
晴れている。乾季が近いのだ。
雲すらない空は、なんだか乾いていて、暑く、厳しいように思えた。
最終目的地のレナドゥ。
カサギたちは、夜通し街道を進み、昼少し前に、そこに辿りついた。
そこは、色彩にあふれた場所だった。南部の町は、ほとんどが、帝都でさえも、色彩に乏しいというのに、そこには極彩色があふれている。
どの国の支配をもうけない集落は、思っていたよりは小さかった。けれど、張り巡らされた外壁は高く、頑強そうなつくりだ。現在では、物資が足りなくて、大規模な戦争などは起こり得ないため、主に盗賊よけに使われているのだろう。
内部の家屋は、南部と異なり、密集せず、少し離して建てられている。家と家との間がないことの多い南部の家しか知らないカサギにとって、それはじつに珍しい光景だった。
緑が豊かで、花が咲きみだれ、動物が暮らす。
豊かな色彩をもつ、そこは異色の町だった。
「ここが、レナドゥ………」
町の入口近くで、カサギは感嘆のため息を漏らした。
南部の町では、色布などでなんとか賑やかに彩りを与えていたものが、ここではそんなものがまったくいらない。
それに、なんて日差しが柔らかくて、優しいのだろう。
空は晴れており、薄っぺらい感じの雲が浮かんで流れている。
足をさらに前へ出そうとしたカサギは、肩をイグザードにつかまれ、止められた。
「どうかしたのか?」
「何か、嫌な感じがする………」
イグザードは、前方に広がる、木造の家屋が並ぶ町を睨んで、喉を鳴らした。カサギは、その様子に、不安を覚えた。
家屋を守るように張り巡らされた石壁。その石壁の裂け目のような門のところに、複数の人影が見えた。心臓が早鐘をうつ。
走ってくる。
全員金の髪をしている。
体は、革の鎧でかためられ、手には剣や、槍、珍しいところでは斧をもっている者もおり、カサギは背中を冷たい汗が伝うのを感じた。
皇太子の軍を呼ぶために、エッジウェアの街で、兵士二人と別れている。
ひとりでも良かったのだが、彼らの安全を考えると、そうはいかなかった。いまのカサギたちは、圧倒的に不利だ。
どうしたらいいのか、分からないでいるうちに、囲まれてしまう。
「イグザード、やはり、裏切ったな」
囲む輪から一歩前へ踏み出してきた、貫禄のある壮年の男性が言う。
「なぜそうなる? 俺やこいつらが、なぜあんたたちに脅威を与えられると思うんだ? あんたたちのほうが、よほど物騒じゃないか。
俺たちは、話し合いをしにきただけだぞ」
「帝国兵を連れてきておいて、よく言うわ。おい、捕らえて、投獄しろ」
「お、おい! 話すら聞かないで………ぐあっ!」
必死に話をしようと声を荒げたイグザードを、壮年の男性が殴り飛ばす。イグザードは軽くよろめいて、地に尻をついた。
「イグザード!」
カサギは思わず悲鳴を上げる。
イグザードは、大丈夫だ、と言いたげに笑って見せたが、それもほんの一瞬のことだった。
カサギたちは、全員捕らえられ、後ろ手に縛られると、レナドゥの警備隊詰所にある牢へと連行されてしまった。
冷たいむき出しの土のうえに、レイエネと共に放り出されて鍵をかけられると、カサギは途方に暮れるしかなかった。