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第四章 人間の業

 四 人間の業


 なんだかすっきりしない天気だった。

 まだ雨季は続くらしい。ありがたいが、旅立ちにはやや不向きだな、とカサギは思った。

 生ぬるい風が吹きわたるそこは、帝都の東門だ。帝都は、堅牢な城壁に囲まれている。防衛のためと、砂の侵入をすこしでもふせぐためらしいが、あまり役には立っていない。

 帝都は上から見下ろせば、浅い皿に四角い菓子が整然と並んだような様相を呈しているだろう、と義父が言っていたのを、カサギは思い出した。

 うっかり早く来すぎてしまったため、いま、門のところにいるのは、カサギただ一人だった。ぼけっと空を眺め、雨季特有の、なんとなく重たそうな雲をながめる。

 そうしていると、兵士らに囲まれたイグザードの姿が見えた。

 カサギと大して違わない、全身のほとんどを覆う旅むきの服装をしている。違うのは、色くらいのものだろう。カサギは全体的に白を基調としているが、イグザードは、赤や青をかなり取り入れている。

 カサギは、将来の暗雲をとりはらってくれる可能性のある美青年を見て、彼の言うことが本当だといい、と思った。

 実際、このあいだは、信じたのだ。

 あの真剣さが演技だったとしたら、彼は一流の役者になれる。そう確信するくらいに、彼の言葉には、真摯さがみえた。

「よぅ、あのときは笑って悪かったな。べつに好きでドジなわけじゃないのにな」

 イグザードは、神妙な表情で言った。カサギはそんなイグザードを不思議そうにながめ、

「私も過剰な反応をしたと思う。が、なんだかそんな風だと印象がかわるな。もっとふざけた男かと思っていたぞ」

 と、すこし意地悪そうに言った。

 するとイグザードは、ふん、と鼻を鳴らして、不機嫌そうに眉根をよせた。

「傷ついているかと思ったんだが、取り越し苦労だったようだな」

「いや、結構傷ついたさ。けど、そんなことをいちいち気にするのはバカらしいから、やめにしたんだ。だから、お前も気にするな」

「ふぅん」

「なんだ?」

 意味ありげに微笑んだイグザードの真意が分からず、カサギはたじろいで訊ねた。

「なんでもない」

「なんでもないことはないだろう。言ってくれ」

「嫌だ」

 イグザードは愉しそうに言うと、つい、と後ろを振り返った。

 つられてカサギもそちらをみやると、レイエネとファナラト、同行するらしい兵士が三人一緒に歩いてくるのが見えた。

 カサギは、笑みを浮かべたままでいるイグザードを見やる。

 こんな顔触れで、本当に大丈夫なんだろうか、と不安になったものの、カサギには逃げる気もやめる気もなかった。

 行くしかないんだ。

 そう自分に言い聞かせて、集まった面々と対峙した。


 帝都を出て五日ほどたった。

 現在カサギたちは、ハムレーズという村で、一夜の宿を借りたあと、再び出発しようとしていた。

 ハムレーズは、小さな井戸を頼りに、乾燥に強いオリーブやヤシ、トウモロコシなどを育てて暮らしている、いたって穏やかで、のどかな村だ。

 サナラム半島には、山というものがほとんど存在しないため、遠くまで見渡せる。

 決してやむことのない砂嵐も、ここから眺めることができる。帝都からは滅多に見ることができない。

 砂嵐は、まるで城壁のようにそびえている。黄褐色で、時々黒い色の混ざる、うずまく嵐を見つめて、カサギは、あれは、もしかしたら、外の脅威から自分たちを守ってもいるのか、と考えたが、同時に、閉じ込めてもいる、と思った。

 帝都にいるときは、フェケラム山の陰で見えないから、妙な気分だ。その山の恵みのお陰で、帝都は半島一豊かな水を得ることが出来ているし、あれを常時見なくともすむ。

 それは、とても幸運なことに感じられた。砂嵐を見ていると、心がささくれだってくる。常に不安をあおるのだ。あの巨大な砂の壁は。

「……海路が使えれば、こんな苦労をせずともすむのにねえ」

 村を見て歩きながら、レイエネが残念そうに言った。

「仕方ないよ。半島を取り巻く海には浅瀬が多くて船は出せないし、出せる場所には、うず潮があって、危険なんだから」

 カサギはそう答えて、村を見渡した。

 今日はよく晴れていて、気持ちがいい。今は雨期であるため、水の心配はない。それで迷惑をかけることがなかったのは幸いだ。

 カサギはそう考えて、ややこぢんまりとした、畑を眺める。

 が、視界に、今にも倒れそうな老人や、壮年の女性、幼い子供や、女性をみつけて、目を疑った。

「レイエネ、あれ、なんであんなひとたちまで働いているんだ?」

「ああ、あれか」

 レイエネは諦めにも似た様子で、疲れたようにカサギを見た。

「あれは、奴隷よ。奴隷という名前ではないけれど、同じようなものよ。彼らは、自分の抱えた借金を返せないから、働いて返すの。けれど、もらえるものはひどく少なくて、生活するだけで精いっぱいよ。

 決して、借金は返せないから、一生、ああして過酷な労働に従事するの。もちろん、病気になっても、医者になんか見せてもらえないから、どんどん死んでいくわ」

「そんなっ!」

 カサギは悲痛な声を上げた。

「何とかならないのか。

 もしかしたら、これも、あの砂嵐のせいなのか? 物資が不足しているから、こんなふうにして、奪われるだけの人々が生まれてしまうのか」

「それは違うよ」

 後ろから言ったのは、ファナラトだった。カサギは振り返って、怪訝そうにファナラトを見て、問うた。

「なら、なんでなんだ?」

「さあ、それは僕にも分らないよ。人間の業ってやつなんだろう。いくら物資があっても、ああいうことがなくなるとは思えない。人間は、そういうものだよ。

それより、カサギはあそこにいる人たちをここから解放してあげたい?」

「そ、それはもちろん」

「ああいうことをなくせっていうなら無理だけど、彼らを解放するくらいなら、僕にだってなんとかなるよ。

 やってみる?」

「トゥニットさん!」

 レイエネが非難めいた表で叫ぶ。ファナラトは、それをやや皮肉っぽい笑みで受け流すと、くすくすと笑った。

「いいじゃないですか。例え一時的でも、自由を味わわせてあげるのも」

「あなた。それがどういうことなのか分かっていて、そういうことを言ったの?」

「反対ですか? じゃあ、あれを見て見ぬふりしろってことですか?」

「それは………っ!」

 レイエネは悔しそうに唸って、黙りこんでしまった。カサギには、ふたりがなにを言い合っているのかはよく分からなかったけれど、とにかく、あそこで殺されそうになっている人々を救うことができることだけは、分かった。

「ファナラト、その方法を教えてくれ。私は、あのひとたちを、助けてあげたい。何もしてあげられないよりは、いいと思うんだ」

「了解」

 ファナラトは、どことなく勝ち誇ったような笑みでレイエネを見て、カサギに言った。

「僕が思うに………」


 石材をたっぷりと使って建てられた、巨大な屋敷。

 さしずめ、草原に忽然と落ちた、巨鳥のフンのようだ。その建物は、ハムレーズ村を含む地域を所有する、地主の屋敷だった。

 現在、カサギたちは、その屋敷の客間で、茶をふるまわれていた。

 客間にいるのは、地主と、その妻と、息子たちふたりに、使用人がひとり。カサギは、レイエネとふたりで、かれらの相手をしている。

(ファナラトぉ、うまくやってくれよ)

 内心絶大な不安にさいなまれながら、カサギは笑顔を浮かべた。作り笑いには慣れているし、他人が作った表情も見ぬけるから、交渉事には、カサギは最適なのだ。しかしいくらうまくやっても、ファナラトたちのほうがうまくいかなければ、水の泡である。

(こういう輩は、裏で絶対に不正をしているから、僕とイグザードでその証拠を探しだしてくるよ。

カサギたちは、その間僕たちがしていることが見つからないように気を引いていてね。と言っていたが、本当に大丈夫なんだろうか?

 イグザードは心底嫌そうだったしな………)

 笑顔で茶をすすりながら、カサギはそんなことを考えていた。

「それで、そのぅ、視察というのは一体いつまででしょう?」

 地主が唐突に訊ねてきた。

 カサギは、心のなかで嘲笑った。あからさまに罠に引っ掛かっている。それに、額に少しだけ脂汗が浮いている。

 地主は肥え太って、綺麗に禿げあがった頭をしており、まるで太めの腸詰のようだと思った。隣に座す妻は、これ見よがしに金銀細工や貴石の細工物を身につけて、なぜだかつねに目の前に生ゴミでもあるかのような顔をしている。

 見ただけで分かる。

 こいつら、やっぱり不正をしている。

 ファナラトの読みは当たっている。確信をもって、カサギは答えた。

「明日までになります。御迷惑でしょうが、よろしくご協力のほどを」

「は、はいはいはい。それはもうもちろんですとも、はっはっはっ」

 台詞が棒読みだ。カサギは、腹を抱えて笑いだしたいのをこらえて、なるべく優雅に見えるように茶をひとくち。

 ふと、押し黙ったままのレイエネを見やる。彼女はむっつりとしたまま、茶にくちもつけず、美しい石材のテーブルを射抜こうとでもいうくらいの眼光で睨みつけていた。

 地主は、そわそわとせわしなく視線を動かし、手を組んだりほどいたりしている。

 妻はじっとして動かない。

 息子たちは、目の前の女ふたり、つまりカサギとレイエネを、物色でもするようにねっとりとした視線で見てくる。

 カサギは、客間に満ちてしまった沈黙を感じて、なにか言わないと気まずいな、と思い、口をひらこうとした。

その時だった。ばたん、と大きな音がして、室内にふたりの青年と、三人の兵士が入ってきた。

 ふたりの腕には、羊皮紙がそれぞれ三巻きずつある。

 カサギは思わず立ち上がって、じっとファナラトの目を見た。カーネリアンのように赤みを強めた瞳は、愉しそうにカサギを見返した。

 見つけたのだ。と、カサギはすぐに確信した。

「不正の証拠がみつかりました。いかがいたしましょう?」

 ファナラトはもったいぶって訊ねる。

 カサギは、鷹揚に頷いてみせ、一気に冷たい光を帯びた空気をまとうと、告げた。

「この家の者たちを、全員、帝国法に従って起訴いたします」


 ややどんよりとした空模様の朝だった。

 空気には湿り気が混じり、後でひと雨きそうな雰囲気である。あの後、領主の兵が到着したのは夜で、カサギたちは、地主の屋敷で一夜を明かしたのだ。結局、地主とその家族は身分剥奪のうえ、帝国からの追放処分が決定した。

「それじゃあ、後はお願いね」

「はい。みなさんもどうかご無事で……」

 一行に同行した兵士のうち、最も位の高い青年が頭を下げる。レイエネもまた、頭を下げて礼をする。

 カサギも、その青年の前に進み出て、頭を下げた。

 話し合いの末、彼にここのすべてを任せることに決まったのだ。色々と厄介事が残っているだろうが、彼は快く引き受けてくれた。カサギは、そのありがたさに、心の底から感謝を伝えようと口を開いた。

「本当に、迷惑なことを押しつけてすまない。私にもう少し力があれば、いや……言っても仕方ないのは分かっているが、それでも、ありがとう」

「いえ。プロウウィンさんには調査があるのですから、いいのです。調査でもしも良い結果が得られるとしても、あなたが行かなければその判断もつかないかもしれない。僕の代わりはいますが、あなたの代わりはいないのですよ。

 がんばってください」

「ああ、全力を尽くすよ。ありがとう」

 カサギはそう礼を述べて、最後に握手をすると、そこから立ち去る。

 屋敷の前には、村から様子を見に来たのだろう村人たちがたむろしていた。カサギは晴れがましい気持ちで彼らを見た。

 が、かれらの表情はじつに険悪だった。

 カサギは、表情をこわばらせた。なぜ、彼らはあんな顔をしているのだろう?

「どうしてくれんだ! あの地主は、わしらが流民と知ってもなお土地に住ませてくれたってのに、まっとうな奴らが来たから、追い出されちまう!

 わしらに死ねというのか!」

「えっ?」

 カサギは、耳を疑った。

 彼らはただ、貧困の底にいただけの人々ではなかったのか?

「てめぇなんか死んじまえ!」

「そうだそうだ!」

「この偽善者! あんたのせいよ、あんたのせいで、あたしらはまた追い出されちまうんだよぉ〜っ!」

 すさまじい非難が、カサギに叩きつけられる。

 カサギは足がすくみ、動けなくなってしまった。すると、背後からイグザードが、ぽんと柔らかく背中を叩いてくれた。

「言わせておけばいい。どうせ、自分の力で現状を切り開いていく勇気もないようなやつらのたわ言だ」

 イグザードはそう言ったものの、カサギの足はすくんだままだ。

「しかし、私は、彼らの生活の基盤を破壊してしまった」

「ぬるいんだ。

悪徳地主にすがるしか能のない奴らなんかにかけてやる慈悲はないぜ。大体、他の村人はこれでかなり楽になった。

 見てみろ、なにも言っていない奴らの顔をな。喜んでいるだろ?」

 言われて、カサギは人だかりの後ろの方にいる人々を見た。確かに、喜んでいる。雰囲気に負けて何も言えないでいるようだけれど、確かに、こちらを見て頷いた。

 カサギは複雑な思いを飲み込んで、足を踏み出した。

 間違っていない。

 そうだ、私は間違っていない。

 けれど、正しいことをしても、救われない人がいるのだ。むしろ、窮地に陥ってしまうようなひともいる。

 難しい。

 カサギは、非難の嵐を受けながら、静かに地主の屋敷を後にした。

(結局、すべてを救う方法なんて、ないんだ)

 街道を行きながら、カサギはただただ、そのことを痛感していた。そしてふと、疑問に思いながらも、その時には分からなかったあることに思い至った。

「レイエネ。私の提案に渋い顔をしたのは、このことを知っていたからなのか?」

「知っていたわけではないわ。ただ、その可能性がありそうだった。あたしにはわかるのよ。追い詰められたひとたちの、醜さも汚さも、そういう道しか選べない悲しみもね。

 あなたは間違っていない。けれど、それが万人にとって正しいとは限らないということが分かったと思うの。

 いい、経験だったのよ」

「………そう、だったかな?」

「ええ。今度また同じことがあっても、あなたには選べる道が増えている。

迷えるから。迷えるのは、きっと、優しいからよ。

あなたはひとつ、優しさを手に入れたのよ」

 レイエネは穏やかに微笑んでそう言うと、後はひとことも口をきかなかった。

 カサギは、言われたことを何度も反芻して、心に焼きつけようと思った。

絶対に、忘れてはいけない言葉だと、感じたからだ。



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