終章 これから
終章
巨大な斧が、陽光を受けて不気味に輝く。
レナドゥの中央広場。
よく晴れて、澄み渡る空気のなかで、いままさに、すべてに決着をつけるべく、血が流されようとしていた。
カサギは少し離れた白い石積みの建物のなかから、その光景を見下ろしていた。
自分たちの、行動の結果を。
間違っているとは、今も思っていない。けれど、ここまでしなければならないのだろうか、と考える。
清かな風が頬をなぜる。
カサギの瞳には、集まったタヴァト族の者たちと、帝国から派遣されてきた軍と、その軍を率いてきた皇太子の姿が映っている。
中央広場は、まさに押せ押せといった状態だった。であるのにもかかわらず、叫んだり、怒号を上げたり、泣き叫ぶ者、または、歓声をあげるもの、野次をとばすものすらおらず、ただひそひそとささやきが交わされるのみだ。
それは、異常な風景に見えた。
遠く離れているために、カサギには、はっきりと音が聞こえてこない。
いま、皇太子がなにか口上を述べているが、声は聞こえない。けれども、言っていることの意味は分かる。
これから行われる処刑がなんのためのものか、を叫んでいるのだ。
「あの乱闘騒ぎで、死ななかった長老たち。殺す必要はないはずなのに」
カサギはぽつり、とつぶやいた。
あの乱闘の際、長老たちはかなり抵抗し、その大半が殺された。いま、広場の中央に集められた長老たち三人は、そのわずかな生き残りなのだ。
そのなかにはあのガメスもいた。
彼らは、見せしめのために死ななければならない、と皇太子には言われた。
カサギは、そのやり方では、結局ふたたび同じことが繰り返されるだけだと言った。言うことしか出来なかった。
情けない、と思う。
(しかし、それは私の思惑が及ぶところにはない………結局、長老たちが言っていたこともまた、真実なんだ)
それを認めた上で、カサギは止めることを選んだのだ。
(それでも、生きていたいと願う者たちを殺すのは、間違っている。それだけは、決して奪ってはならないものなんだ)
皇太子が口上を読み上げるのをやめて、手を振り下ろした。
と、同時に、斧が風を切り裂く音ともに振り下ろされる。その瞬間、カサギは、ガメスがこちらを向いて微笑んだのを見た。思わず目を瞠る。声が喉からもれた。
「何………で?」
カサギは、ガメスの真意を測りかねて、呻いた。自然と目頭が熱くなり、涙が頬を伝って、床に染みをつくった。
なんとなく、後は頼んだ、と言われたような気がしたからだ。
あくまでも、気のせい。しかし、カサギは、そう思い込むことにした。彼らの思いを引き継ぐものがいないのは、あまりも悲しすぎるから。
「それなら私は、あなたたちの言葉を確かめに行こう」
カサギは、すでにこの世のものではなくなっている長老たちに向かって、礼をした。
そして、その部屋からそっと立ち去った。
処刑の翌日に、レイエネの遺体を埋葬した。
場所はレナドゥの南にある丘の上で、他にもあの戦いで死亡したタヴァト族たちが土の下で眠りについている。基本的に、タヴァト族も、サナラム人と同じく、死者はいずれ復活をすると考えている。
神はすべてをつくり、全てを支配して、復活の日に、裁定を下すという。
サナラム半島では、神は父であり、母であり、祖先であると考えられている。だが、タヴァト族にとって、神は創造者であるだけだ。
そのため、墓石はただの目印でしかなく、石を突っ立てただけの簡素なものだ。
葬儀らしい葬儀はしないが、別れの儀式はする。
埋められてしまえば、復活の日まで会うことはないからだ。
空気は乾燥していて、雨季の終りが近いことを告げている。この付近も水が不足気味になるそうだ。花も咲かない。
「私をかばって戦ったせいで、多く血を流させてしまった。そのせいで、レイエネは、亡くなってしまった。私の弱さが、彼女を殺してしまったんだ」
カサギは、感情を殺した顔で、呻くように言った。
「けど、そのおかげで、どれほどたくさんの人々が救われたか、を考えると、まさに彼女こそ英雄なんだと僕は思うよ」
スコップを手にしたサノッソが言う。
「ああ」
胸に去来するすさまじい感情の波にもまれながら、カサギは頷くしか出来なかった。
「あいつとの別れも済ませたのか?」
イグザードが問う。カサギはこくっと頷いた。
あいつ、とはファナラトのことである。彼は、このレナドゥの地に葬られた。彼の荷物から遺書が出てきて、トゥニット家の墓地には葬らないでほしい、と書かれていた。恐らく、死ぬことを予測していたのだ。
彼の遺体はレナドゥの北部にひろがる墓地に埋められた。
カサギは、首に掛けた円筒形のペンダントを手に取る。
そこには、切り取ったファナラトの髪が入っている。忘れちゃいけないと、思ったからである。彼の言葉を、思いを。また、どんなに仲が良くても、決して、相容れないこともあるのだと思い知らされたことを。
「ねえ、カサギはこれからどうするの? 帝都に、帰っちゃうの?」
「ああ、一旦はな」
フォシマの問いに、そう答えて、カサギは苦笑した。
「一旦? その後はどうするつもりだ?」
イグザードが、何か言いたそうな様子で問う。
「私は、天涯孤独の身になって、旅をしようと思う。確かめたいんだ………タヴァト族たちをここに追い込んだものはなにか、とか、祖先たちはなぜ不思議な能力をさずかっていたのか、とかをな。そのうえで、ファナラトや、ガメスの言葉について、もう一度考え直してみたいんだ………世界を、見てみたいんだ」
カサギが語ると、全員が唖然として黙りこくった。
「貴族の身分を捨てるっていうの! もったいない」
フォシマが、首を左右に振り、天を仰ぐ。サノッソは、困ったように笑っている。イグザードは、怒りたいのか、それとも笑いたいのかよく分からない顔をしている。
「私は後継ぎにと望まれて養子になったのだけれど、旅立ってしまうのなら、それが礼儀だと思うんだ。帰ってこれる保証もないのに、待っててくださいなんて虫のいいことは言えないから、ちゃんと、別れてこようと思うんだ」
カサギは微かに微笑んで、手に持っていた花を、レイエネの墓石に手向けた。
それから、墓石に背を向けると、歩き出す。
「お、おい! どこ行くんだ?」
「いま言っただろう? 帝都へ戻るんだ。みんな、いままでありがとう。生きて帰ってこれたら、また会いにくるよ」
カサギはさらりと別れの言葉を述べると、再び歩き始める。
「元気でね!」
フォシマの声がする。
「あまり危ないことはしないでくださいね!」
サノッソが叫んでいる。イグザードはまだ唖然としていた。カサギは振り向いて、三人に向かって手を振り、頭を下げると、街道へ向かって歩き始めた。旅支度は、すでに整えてきてあるから、このままいける。
皇太子に、一緒に帰ろうと言われたのだが、カサギは丁重に断った。一応、自分が、今回の功労者というか、英雄扱いされているのは知っている。
皇太子殿下と戻れば、それこそ大騒ぎだ。
ひっそりと行動したいカサギには、迷惑だった。
だから、ひとりで帰る。
すると、後ろから足音がした。
「ちょっと、待て!」
イグザードだった。彼は走ってくると、カサギの肩をつかんで、困惑顔をした。
「何だ? 見送りならいらないぞ。ああ、お前も元気でな、イグザード」
カサギは、彼の真意が分からないので、そう返した。どのみち、ずるずるとここにいるわけにもいかない。早く旅立たねば、宿場に辿りつくことができなくなる。時は昼餉時に近いが、食事は夕餉までガマンしなければならない。でなければ、たったひとりで野宿などという危険な目にあう。それは是が非でも避けたかった。
「いろいろと世話になった。特にお前には………本当に、ありがとう」
イグザードとの別れは辛かったが、もう、決めたことだ。
カサギは一旦決めると、決して後にはひかない。
振り返っても、どうにもならないことを、経験上知っているからだった。
が、イグザードは、不満そうに顔をしかめた。
「俺言ったよな、あんたを手伝ってやるって」
唐突に、イグザードは言った。カサギは、首をかしげて、頷いた。
「ああ、色々と手伝ってもらった。お前は、私に人を見る目があった生ける証明だ」
「だろ、俺がいたら役に立つ。だから、俺も行く」
「………冗談に付き合っている暇はないんだ、じゃあな」
カサギは顔をしかめて、そう言い放つと、再び歩きだす。
「冗談言ってるんじゃない! 俺は本気だっ!」
カサギはイグザードの叫びに、足を止めた。
「あんただけじゃない。どうせ俺だってひとりだ。家族はいない………気に病むこともないぜ。っていうか、あんたがなんて言おうと、俺はついていく」
「お前、なにげにバカだな」
改めて向き直り、カサギは半眼でイグザードを見て言った。
「なんだと! 俺の頭はいいほうだぞ!」
「そういう意味のバカじゃなくて、なにがあるのかわからない場所に行くなんて、死にに行くようなものなんだぞ?」
「そういうならあんたのほうがもっとバカだろうが! こんなちっこい女ひとりで、それこそ死にに行くようなもんだ! 俺が行けば、もう少し寿命がのびるぜ」
イグザードは自慢げに自身の胸を叩いた。
カサギは、いちいちちび扱いされてむっ、としたが、その都度言い返すのもなんだか疲れるので、
「勝手にしろ」
と答えた。
「よし、待ってろ! 大急ぎで旅支度してくるからな! 逃げんなよ!」
「なんで逃げなきゃいけないんだ!」
つい怒鳴り返す。
が、イグザードは、凄まじい速さで町まで走っていってしまい、あっという間に姿が見えなくなってしまった。カサギは、溜息をついて、再び歩き始めた。
ふと、心が浮き立っているのを感じる。
少し前までは、静かで、水の底に沈んで行きそうな気分だったのに。あいつのせいか。だとしたら、これはきっと、嬉しいんだ。カサギは、ふっ、と笑った。
立ち止まり、振り向く。
視界いっぱいに、レナドゥの町並みが広がっている。
やわらかな緑のひろがる平地に広がる、薄い茶色の、ヤシの葉で葺いた屋根をもつ家々。ここから見ると少し頼りない外壁に囲まれて、今日も人々を包んでいる。その外には、トニコヤシの木が茂っている。この乾いた半島で唯一良く育つ植物。ひとの五倍ほどにもそだつその木の木陰は心地よく、取れる木の実はじつに美味しいし、貴重な木材でもある。命のたくましさを証明するような植物だ。その木のもとに、タヴァト族たちは安住の地を見出したのだろうか?
風が、カサギの濃い茶色の髪を揺らす。
ここで、母は生まれて育ち、旅の男と出会い、駆け落ちをした。愛して、愛された。なのに、最後には別に女をつくられ、男をつくり、互いに殺しあった。
カサギは、母譲りの金色の瞳を大きく開いて、その光景を目に焼き付けた。
しばらくすると、背に荷をかついだイグザードが走ってくる姿が見えた。変な知り合い方だったのに、長い付き合いになりそうだ。
カサギは、手を振って笑った。
大地はひらかれた。
これから、新しい時代がはじまるのだ。
その時代を、彼とともに歩くのも、悪くはない。いや、むしろ、楽しいかもしれない。
そう、思った。
やがて合流したふたりは、ともに街道を進み始める。
その頭上を、鷹が二羽、見送るように舞っていた。 了
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