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第一章 動き出すゆがみ

 一 動きだす歪み


 薄曇りの空の下………城、と呼んでも差し支えのない大きさの塔へ続く道を、ひとりの少女が歩いていた。

 両腕いっぱいに羊皮紙の束を抱え、ふらふらと歩く様は、かなり危なっかしい。

 同僚たちには、しょっちゅう、身体感覚がない、とからかわれるくらい、その少女はよくなにもないところで転ぶ。

 少女の名は、カサギ・プロウウィン。

十七歳という年齢にはとても見えない小柄な体に、大きな貫頭衣をまとっており、そのせいで、余計小柄に見えた。

 濃い茶色の髪を肩口で真っ直ぐに整え、顔は全体的に小さくてまるく、凛とした金色の、大きな瞳を持っており、それが彼女を少年のように見せている。

体つきはそれなりに女らしくなったので、今では間違われづらくなったものの、今まで散々男の子だと思われてきた。

「まったく、せめて誰か一人つけてくれてもよさそうなのに。私の小さくて短い腕じゃ、大して運べないし……絶対にこれは、嫌がらせだ。

 どうしてあの教授はこう、ひとをからかうのが好きなんだ。

 あとで、お前はアリ並みに小さいとか言って、わしがバカだった、そんなことにも気付かなかったとは、とか言うんだ。

 ………絶対にっ」

 カサギは半眼でぼやいた。

 その視界に、白い、巨人の骨が突っ立っているような建物がうつる。

 トルノイヴ大学院。

ダラニドルク帝国の帝都内にある、あらゆる知識の集積所にして、生産する場所。だとカサギは考えていた。

 それと、支配者が支配するための学術を学ぶ場所でもある。

 帝国だけでなく、この大陸にある国で実権を握る者たちは必ず、ここで帝王学と言えるようなものを学ぶのだ。大きな視野と、人心を掌握するために必要なことがらなどを。確か、統治学とか呼ばれていた。

「本当の知識人たちとは、実は変人なのだろうな」

 呟いて、溜息をつく。

 内心、そんな彼らを見ているのが嫌になることもある。カサギは、貴族の名を持ってはいても、所詮は養子。もともとは孤児院育ちだから、下層で生きる人々のことを知っている。彼らが理不尽な環境で死んでいくことも。

 知識が、富めるものと貧しきものとを分けるなら、そんなものない方がいい。と考えたこともあるが、学び知る楽しさは捨てられなかった。

 カサギは今、考古学を研究しながら、教授の助手として働いている。

 楽しくてたまらないし、そうして名を残すことで、養父母に対しての礼も出来るのだから、充実しているといえる。

 カサギは、空気に混じった水分を感じて、足を速めた。

 いま帝国は雨期に入っている。

 恵みの雨ではあるのだが、いつ何時、凄まじい勢いで降りだすかわからない。文献を守るために急がなくては。

 そう思って走りだすと、前方から見知った顔がやってくる。

 カサギは立ち止まって、相好を崩した。手伝ってもらえると思ったからだ。が、やってきた青年は険しい顔をしていた。

「カサギ! こんなところにいたんだね。とにかく早く来てくれ」

 青年は緊張をみなぎらせ、カサギを急き立てた。

「どうした、何かあったのか? ファナラト」

 カサギは、大学院に入ってからずっと友人としてつきあってきたファナラト・トゥニットを見て、顔をしかめた。

 いつも飄々としていて、冷静な彼がこんなに取り乱す事態とはなんだろう、と不安になる。

 脂の多いものを食べすぎたときみたいに、胃が落ち込む。カサギは、自分より頭二つも背の高い、どこか遊び人風の、端整な顔立ちをした青年、ファナラトを見た。

 ファナラトは、真っ直ぐにカサギの目を見て、唇を震わせた。

 背でゆるくたばねた、赤みの強い茶色の巻き毛が揺れる。まつげの多い、やや吊り気味の灰褐色の瞳は、陰りを帯びて、曇りきっている。

「教授が、タイリー教授が、死んでしまったんだ」

「な、なんだと!」

 カサギは思わず羊皮紙をすべて取り落としてしまった。

「ナアルマヴレだ……ナアルマヴレに、殺されたっ!」

 ファナラトは、唸るように言う。怒りが、全身から発散されているように、カサギには見えた。

 カサギの頭のなかは真っ白になった。

 現実のこととは思えない。

 空で、雷が小さく鳴った。

 その音にはっとして、取り落とした羊皮紙の束を拾い集めると、カサギは意を決したように言った。

「とにかく、研究室へ行くんだろう?」

「うん。急ごう……もうすぐ、警備兵がやってくるけれど、その前に、君にも教授が残したものを見てほしい」

「ああ」

 カサギは力強く頷くと、羊皮紙の束を半分ファナラトに押しつけた。

「手伝ってくれよな。急ぐんだから」

 ファナラトは、びっくりしたように、手元の羊皮紙を見て「うん」と少し苦笑気味に頷いた。

「行こう」

 その言葉に、カサギは頷き返すと、走り出した。

 すると、前方から、雨になるというのに建物から出てきた女がいるので、カサギは目を細めた。赤い模様のついた白い布で全身を覆っている。女は凄まじい早足で、大学院から離れて行った。

 カサギは不可解に思いながらも、振り返ることはせず、走った。

 二人の姿が建物のなかに消えてから数拍後、雨が降り始めた。

 雨は、ほんのひと時の間に、豪雨となって、街のなかの砂を洗い出そうとするように、大地を打ちのめしだした。


「教授……」

 カサギは、涙腺から溢れそうになる涙を押しとどめようとして、唇をかんだ。

 タイリー教授は、様々なことを書きしたためた紙が散らばる机に、突っ伏すようにして死んでいた。背中からはおびただしい血が流れ、まるで、生命そのものが流れ出ているように見える。

 不快な鉄錆臭が鼻のなかにただよう。

 研究室のすぐ横に作られた教授室。普通の人が想像するよりかなりせまいそこには、簡素な木の棚がいくつも並んでいる。やや薄汚れて酸味を感じさせるにおいの漂う室内には、教授が人生をかけて調べていた様々なもの、特に大陸に古くから住む先住民の文明について収集したものがところ狭しと並べられていた。

 それら一つ一つを、丁寧に説明しながら見せてもらったことを、カサギは思い出した。

「カサギ、ほら、教授の手元を見て」

 ファナラトが、人差し指で示す。カサギは示されるままそこを見て、眉間にしわを寄せた。

「これは……?」

 カサギは首をかしげて、そのものに顔を近づけた。

 それは、ふるびたコインだった。錆びてすりきれた、明らかに不純物の入り混じった銀貨。見たことのない人物の横顔が浮かびあがっている。

「古代の銀貨だよ。教授は、それを手に入れてから、突然にタヴァト族を調べ始めていたんだ。僕は、理由を問うたけれど、まだ確信を得ていないからと、何も教えてもらえなかった」

「タヴァト族って、あの北の辺境に独自の国家を形成している、あの変った人々のことか?」

 カサギは、銀貨からファナラトへと視線を移動して首をかしげ、その後で室内を見回した。確かに、よく気をつけてみていれば、タヴァト族の過去にまつわる文献や、物品が増えている。ということは、この銀貨もそのひとつなのだろう。

「そうだよ。彼らと、僕らの現状に大きなかかわりがある、と教授は踏んだんだと、僕は、思っている」

「そうか……私は、気づかなかった」

 よく見ると、今日頼まれた文献のなかにも、タヴァト族にまつわるものが圧倒的に多いではないか。カサギは悔しさにうつむいた。

 胸のなかで、氷が生まれたような息苦しさをおぼえる。

 ふたりは押し黙ってしまった。今はただ、感情を抑えるだけで必死だった。すると、何の前触れもなく戸が開いた。

「君たちは………教授の助手だった子たち?」

 戸を開けた女性兵士が疑わしそうに訊ねてきた。その後ろには、若い男の兵士が三人……うち一人は調書らしきものを手にしていた。革の鎧や、鎖帷子をまとい、帝国所属であることを示す、蛇を象ったマント留めをつけている。全員、帯剣していたが、それぞれの剣は微妙に長さや形が異なっていた。

 帝国では、警備兵が殺人などの事件を担当している。

 カサギとファナラトは頷いた。

 戸口に立っていたのは、驚くべきことに、女性の警備兵のようで、兜の赤い房飾りからして、隊長格らしいことが分かる。

 兜の隙間からのぞく細い、夜明けの空みたいに鮮やかな群青色の瞳と、顔にかかる波打つ黒髪が神秘的だった。背が高くて細身で、女らしいのに、甘さがまるで感じられない、研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を持っていた。

「北の、ご出身ですか?」

 不意にファナラトが訊ねると、女性兵は、怒りと屈辱と諦めがないまぜになったような独特の目つきで「ええ」と頷いた。

 カサギは慌ててファナラトの腕を肘で小突いた。

 少し前、現状が北の民族のせいだという噂が流布して、北出身の者たちが無差別に虐殺される事件があったのだ。カサギは、その頃まだ孤児院にいて、親を殺された北出身の子どもたちが続々とやってくるのを見ていた。

 その後、子どもたちは自殺したり、うっかり外に出て殺されたりして、ほとんどが生き残れなかった。

 凄惨だった。

 ファナラトもはっとして、口をつぐんだ。

 鎖帷子に包まれた彼女の体には、傷がたくさんある。カサギは、それを見て、現状の打破がどうしても必要だと感じた。それをつきとめようとした教授は、殺されてしまった。

 非道い。

 カサギは、再びあふれてきた涙をこらえた。

 いまは、泣くべき時ではない。泣くべき時は、後で必ずやってくるから、今は、ここで見たものを彼女に伝えなくてはならないのだ。

「あたしはレイエネ。帝都の警備兵南駐屯所の所長をつとめているわ。あなたがたは、ファナラト・トゥニットとカサギ・プロウウィンね。

 とにかく、事情を教えてくれないかしら。

 ここではなく、外でね」

「はい」

 カサギは涙声で答えた。すると、所長、レイエネは、カサギの肩をぽんぽん、と軽く叩くと、肩を抱いて部屋の外へと連れ出してくれた。

「後は頼んだわよ」

 レイエネは、連れてきた部下らしき兵士三人に告げると、そのまま外へと出て、研究室を抜け、大学院の一階にある、応接室を兼ねたエントランスで立ち止まった。

外では、雨が降っているらしく、甘い水の香りが鼻腔に届いてきた。

中では、事務所に用のある学生や、来客の相手をしている講師や教授たちの姿がある。エントランスには、いくつかのテーブルや椅子が置かれており、かれらはそこで談笑していた。みな事件を知らないらしく、楽しそうに笑っている。

 恵みの雨が降っていることを喜んでいるようだ。カサギとて、いつもだったら、雨が降るとうれしくてたまらない。それだけ、この乾燥した土地にとって、雨は嬉しいのだ。

 しかし、いまのカサギはそんな気分にはなれなかった。

「座って、教えてくれる? タイリー教授はなにを調べていたの? 犯人に心当たりはある?」

「教授は、北の辺境に住む、タヴァト族を調べていました」

 ファナラトが座りながら嘆息交じりに言った。

 カサギはそれにならって、彼の隣に腰掛ける。

「ナアルマヴレだ。そのせいで、教授は狙われて、殺されたんだ」

 吐き出すようにファナラトは言い、テーブルの上で拳を強くにぎった。

 レイエネは、少し虚ろな表情を浮かべた。

「ナアルマヴレ……砂嵐。閉ざされた国々」

 憂欝そうに、そうつぶやく。

「そのせいなんだ。きっと、私もそう思う。教授は、あれをなんとかしようと必死だった。あれの正体を知りたいと前に進んで、進みすぎて、死んでしまったんだ。

 私は、そう思う。

 この、サナラム半島から出られないのは、あの砂嵐のせい。誰もが知っている通りのことだが………。

 神話の、魔神の名前を冠されたあの砂嵐。あれは、自然に生まれたものじゃないと教授は、言っていたんだ。だから、私たちは、あれが起こる原因を調べ続けてきた。

 教授の言っていたことを、信じたから。

 その教授が、タヴァト族を調べていた。なにかが、あるんだ。絶対に」

 カサギは、自分に言い聞かせるように言葉を並べた。

「つまり、事件の真相はタヴァト族にあり、と言いたいのね?」

「そうだ」

 カサギは力強く頷いた。涙はもう乾いていた。

「とにかく、もう少し調べて、上に報告をしてみるわ。ふたりとも、身元は知れているのだから、家に帰っていいわよ。ただし、勝手な行動は慎んでね。今一番怪しいのは、あなたたちなのだから」

「ええ、分かっていますよ」

 顔をしかめると、ファナラトは投げやりに答え、椅子から立ち上がり、カサギに手を差し出した。

「行こう。不愉快だ」

「あ、ああ」

 カサギはその手を取り、レイエネに軽く会釈すると、ファナラトに引きずられるままに歩きだした。ふと振り向くと、レイエネが苦笑したようにも見えたが、よくは見えなかった。

 雨はもう上がってしまっていた。

 ふと、言いたいことを思いついたが、ファナラトに止まる様子はない。カサギは目の前で揺れる、ファナラトの赤茶色の髪に目を止め、ふむ、と唸るとひっぱってみた。

 すると、彼は立ち止まり、カサギの手をはなすと、振り向いて迷惑そうに顔をしかめた。

「なにするんだよ、カサギ」

「なあファナラト。勝手に動くなと言われたけれど、私は色々と調べようと思う。ただで引き下がるなんて嫌だ。他人に任せ切りも嫌だ………お前は、どうしたい?」

 訊ねると、ファナラトはすこし驚いたように眼を見開き、次いで頭を掻くと、

「………僕も、嫌かな」

 と、笑みをまじえて言った。

「じゃ、協力してくれ。私ひとりでは、効率が悪いからな」

「分かったよ。じゃあ明日、図書館で会おうか。計画をたてよう。僕が迎えに行くよ、明日はちょっと野暮用があるんだ。それが終わってからってことで」

「うん。ありがとう、ファナラト。明日、またな!」

 カサギは、嬉しさに笑みを浮かべると、ファナラトと別れ、家に向かって歩きだした。舗装された道のそこかしこに、水たまりが出来ている。それをはね散らかしながら、カサギは走りだした。 


中途半端大魔王の土師玲です。

はじめましての方ははじめまして。そうでない方はお久しぶりです?

この話は、昔書いたものを改稿して載せています。そのため、一章がすごく長いです。見づらくて申し訳ありません。

舞台も、よくあるヨーロッパではなく、中東をイメージして書いているので、とっつきにくいかもしれませんが、もし楽しんでいたたければ嬉しいです!

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