三人のヴァンパイア
ラルベルとロルにはひとつ大きな誤算があった。
なかなか詰所にたどり着けなかったのである。
あちこちから声がかかり、ラルベルの帰りを待ちわびていたものが次々とやってきては、その手に菓子やらパンやらを持たせていくのだ。おかげで詰所にたどり着くころには、ラルベルとロルの手には持ちきれないほどの荷物が抱えられていた。
――人たらしめ……。なんでこうこいつはどこへいっても人に好かれるのか。しかし、厄介な奴にまで好かれるのはどうにかしてほしいもんだがな。
今のところ、あの男の気配は感じない。ロルも嗅覚が発達している方であるから、同じヴァンパイアの匂いなら感じ取れるはずだが、相手はラルベルと同じく人間とのハーフである可能性が高い。だとすると、多少匂いが弱まっているかもしれない。
警戒するロル。
その隣を歩くラルベルは、先ほど渡された紙袋からからおもむろにチョコレートを取り出して口に放り込む。いざダンベルトに会うとなると、なんとも気持ちが落ち着かなくて何か口にしたくなったのだ。甘いものはいつだって乙女の強い味方である。
ふうぅ~……。
大きく深呼吸して、詰所のドアに手をかけたその時――。
「やっぱり来たね、会いたかったよ。お仲間ちゃん」
ラルベルの背後に、あの男が立っていた。完全に気配を消してすっと現れた男は、嬉しそうにラルベルに微笑みかける。
全身が粟立つような寒気に襲われて、言葉を失うロルとラルベル。ロルもまったく気配に気づいていなかったようで、その目を大きく見開いている。
「今までどこに隠れてた?探してたんだよ」
やはり、いつかデルベの船でみたあの男だ。銀髪の若い男。ヴァンパイアであることを考えると、もしかしたら見た目より年は上だろうが、おそらくは五十歳は超えていないだろう。
ロルは素早くラルベルを後ろにかばうと、威嚇するように男に対峙する。
「お前、侯爵の駒だろう?どうしてラルベルにつきまとう!」
ラルベルは男を見つめたまま動けずにいる。
――正直俺は肉体派じゃないんだけどな。力押しで攻撃されたら逃げるしかないか……。
じりじりと後退する機会を伺うロルの声に、詰所のドアが開く。
「ダンベルトさん!」
すでにその手には剣が握られており、ダンベルトは完全に戦闘態勢だ。ちらりとこちらに目を向けると男に剣先を向けたまま話しかける。
「ラルベル!ロル、何が起きてる?こいつと知り合いか?」
「知り合いなわけないだろ、こんな物騒な気配の奴」
ロルがそう言いながらラルベルを安全な位置まで下がらせたのを確認すると、ダンベルトはラルベルたちが死角になるように男に向き直る。
「まだこの国に残っていたとはな。もう雇い主は廃人同然だ。さっさと国に戻ったらどうだ?それともここで捕まりたいか?」
剣先を突き付けられた男は、にやりと笑う。
「そう熱くなるなよ。あんたと一戦やりあうのも最後の暇つぶしにいいかなと思ったけど、この子に会えたからやめとくよ。だからその物騒なもん、降ろしてくんない?」
戦闘意思はないとばかりに降参のジェスチャーをみせる男に警戒をしながらも、わずかに切っ先を下ろす。
そこに割って入ったのは、まさかのラルベルである。ふいをつかれて慌てて止めに入るロル。
「あの……!私に何か話があるんですか?なら、二人で話しませんか」
そのラルベルの申し出に、三人の男がいっせいにラルベルに顔を向ける。この状況で一体何を呑気に言い出すんだと頭を抱えたくなるロルとダンベルトである。
銀髪の頭をくしゃりとかき上げて、しばし困惑の表情を浮かべていた男だったが、ぷっと噴き出すと破願しておかしそうに笑いだす。
「お前……よくそんな警戒心なしでよく今まで生きてこれたな。やっぱり、半分人間の血が流れてるだけあるわ」
その一言に、ダンベルトが反応する。
「半分は人間?どういう意味だ」
ロルはとっさに銀髪の男に一歩近づいてラルベルとダンベルトから引き離そうとするが、それをラルベルが手で止める。
「いいの、ロル」
静かな声でロルを制して、男に向かいあうラルベル。
「あなたはヴァンパイア?そして、――私と同じ人間とのハーフなの?」
その瞬間、ダンベルトがこちらを見たのがわかってラルベルは一瞬身を固くする。どんな表情で自分を見ているのかは、怖くて確認できない。
本当は自分の口ではっきり私はヴァンパイアと人間のハーフなの、と伝えたかったが、こうなっては仕方がない。すでにラルベルは決断したのだ。
一瞬の間のあと、男が口を開く。
「そう。人間の母親とヴァンパイアの父親のね。あんたもハーフだろ。なんで人間の町なんかにいるんだ?ヴァンパイアからもつまはじきにされて、仕方なくこそこそ隠れてここで生活してるのか?」
その冷めた口調と忌々し気に吐き出される言葉から、どうやら自分が純血ではないことを恥じているようだと感じるラルベル。
ラルベルは、自分が純血でないこともハーフであることも特に恥じてはいない。不便だと思っているだけだ。主に食べ物の点で。
男の嘲るような冷めた目を、ラルベルもまたまっすぐな目で見返しながら話す。
「私は別につまはじきにされてるなんて感じていないし、ヴァンパイアと人間のハーフであることも恥じてない。あなたは違うみたいね?私は自分がヴァンパイアだってことを、この町のみんなに打ち明けるために帰ってきたの。私をあたたかく迎え入れてくれたこの町の人たちに、嘘をつくような真似はもうしたくないと思ったから」
ラルベルのそのまっすぐな目は、男の胸にずっとくすぶり続けた暗い思いを射抜く。
しばしラルベルをにらみつけたまま、返す言葉を失っていた男はあざ笑うように吐き捨てる。
「……人間に受け入れてもらえるとでも?ありえない。どうせ石を投げつけられながら、追い出されるのが落ちだ」
目の前で繰り広げられる会話を狐につままれたような顔で聞いていたダンベルトは、ようやく回りだした頭で考える。
――これはどういうことだ?つまり、ラルベルとこの男はヴァンパイアってことか。いや、でもヴァンパイアなんて本当に存在するのか。
ラルベルと男のやり取りをいつになく険しい顔で聞いているロルに目を向けると、こちらの視線に気が付いて微妙な顔をしてみせる。困ったような警戒するような、なんともいえない表情だ。
とりあえず、男からは殺気を感じない。少なくとも、ラルベルたちへ危害を加えるつもりもないようだと、ひとまず安堵する。
――ならこの男は何しにわざわざこの国にとどまっている?侯爵がお気に入りをとられないよう気を付けろとか言ってたが、まさかこの男はラルベルに興味を?
ダンベルトはラルベルとにらみあう男をいぶかしげに見つめて問いかける。
「あ~……。ひとつ確認してもいいか?」
男との会話に集中して、思わずダンベルトの存在をすっかり失念していたラルベルが弾かれたように声の主を見る。
ダンベルトはいつものように眉を八の字にして、挙手していた。
「今ヴァンパイア、とか言ってたよな?つまり、お前たちはえ~、ヴァンパイア……なのか?いや、しかしヴァンパイアなんて本当に存在するわけが。……本当に?ラルベルとお前は人間とヴァンパイアのハーフで、ロルは?」
困惑した表情で質問するダンベルトに、ラルベルたちヴァンパイアは顔を見合わせる。
やれやれといわんばかりの仕草で、ロルが「おれは純血」と答え、ラルベルと男は無言で頷く。
「そうか。ヴァンパイア……。実在するのか、そうか。じゃあ、ラルベルお前はヴァンパイアなのか」
ダンベルトの一言に、ラルベルは肩をびくりと震わせる。
――どんな顔をしているのか、とても見れない。私を怖いと思っているのか、気味が悪いと思うのか。それとも……。
ラルベルは、この町に初めて来たときのダンベルトを思い出す。不審なものを見る鋭い目。それが次第に柔らかい表情になり、会うごとに優しくあたたかいものに変わっていったこと。いつもそのあたたかさと優しさに励まされて、この町で日々を重ねてこれたこと。
――私がヴァンパイアだと知って、あの優しい目が変わってしまったら。私はもう……。
あんなに固く決意したはずの気持ちが、急激に冷えてしぼんでいく。
ダンベルトの反応が怖い。誰のどんな反応より、怖い。どんどん冷たくなる指先を、ぎゅっと握り合わせるラルベルであった。




