ラルベルの決意
「あ~あ、捕まっちゃったかぁ。あの爺さん。もう少し楽しませてくれると思ったんだけどな」
この国で一番大きく威風堂々とそびえ立つ、王宮の高い尖塔にひとつの影。
「さて、と。これからどうするかな。行くあてもないし、ここも飽きたし。最後にあいつに挨拶がてら一太刀浴びせにいくか」
風にあおられて大きく舞い上がるその銀髪が顔に叩きつけられるのも気にせずに、その男は王都の向こう、町の方へと目を向ける。
この男は、エディオン侯爵家に仕える私兵の最後の一人である。もともとは数十人いた私兵は、代替わりとともに一人消え、また一人消え、最後にはこの男だけが残った。もちろんエディオン侯爵家に忠誠心があったからなどではなく、ただ単に行くあてもなく他にやるべきこともなかっただけである。
見た目はまだ若いこの男は、実はすでに人間でいうところの四十歳を過ぎている。もっともこの男の種族にしてみればとりたてて年を取っているわけではなく、まぁやっと青年に近づいたくらいの年齢だろうか。
「あの子の匂いがしないんだよねぇ……。せっかくおもしろいものを見つけたと思ったのに。せっかくだからあいつに聞いてみるか」
にやり、と笑うと、その身を風に躍らせて姿を消す。
王宮では、エディオン侯爵の処遇を巡って激しい議論が連日繰り広げられていた。押し付け合い、という名のくだらない議論である。
イレウスはその立場上そこに座していないわけにもいかず、ひっそりとため息を繰り返していた。
この国に危機をもたらしたエディオン侯爵の処罰をここで下すべきとの意見と、他国の貴族である以上デルベに速やかに引き渡すべきという意見とに分かれていた。実際は、さっさと面倒な存在を相手方に引き渡してしまいたいというこの国の思惑と、すでにエディオン侯爵を持て余していたデルベの過去の歴史ともども闇に葬り去りたいと考える思惑とがぶつかり合っているに過ぎない。
何度目かのため息を、イレウスは吐き出した。
――せっかく事件も片が付いたっていうのに、こんなくだらん議論に付き合わされるとは……。さっさと町に繰り出して久々に花屋のマリーちゃんと小料理屋のジュリアちゃんとデートがしたい。あ、道具屋のミアちゃんを忘れてた。はぁ……。さっさと町に戻れたダンベルトがうらやましい。
ダンベルトはすでに日常業務に戻っていた。
あんな事件のあった後である。事後処理も町の者たちの不安を収めるためにも、やるべきことは山積みである。とはいえ、町はいつもと変わらず穏やかな様子を保っていた。
これもこの町を常に大切に思う部下たちの働きと、町の者たちの尽力である。
「あとはあの宿屋の窓の修理を手配して、折れた柵を直せばとりあえずは完了、か」
追跡や格闘のあとは町のあちこちに残されていたが、すでに町の者によって修繕されている個所も多い。つくづくいい町だ、とダンベルトは穏やかな顔で一息つく。
――あと肝心なことが残っている。あいつを呼び戻さないとな。
念のためタニアが捕まるまでの間、旅行中だという両親と連絡のついたラルベルを両親のもとにやったダンベルトは、その考えが正しい選択だったと思っていた。なにしろ一瞬見かけただけの女とはいえ、この町で自死したのだ。それを目の当りにしたらきっとショックを受けたはずだ。
ようやく事件も片付いて、ラルベルをこの町に呼び戻せる。もう危険はないし、元のように穏やかな生活が送れるだろう。ロルにはすでにいつでも戻って大丈夫だと伝えてある。
ダンベルトはラルベルがここに戻ってくるのをいまかいまかと待っていた。
色々あったせいだろうか。随分遠くに離れていた気がする。
――色々不安な思いもさせたし、戻ったら腹いっぱい食べさせてやらないとな。海にも行く約束をしているし、他の町にも連れて行ってやるのもいい。
ラルベルが戻ったのはその翌日だった。
「ただいま~!マルタさん」
まずは大量の荷物を下宿に置くべく、部屋に戻ってきたラルベルである。思っていたほど減らなかった食料をしょって山を下りたのだが、思いのほか重かった。もちろん道中しっかりと減らしはしたが。集落にいた頃よりはしっかり食べながら下りてきたのだが、それでもこの一週間あまりでラルベルの身体はほっそりとしてしまっていた。
その姿をみて、言葉を失うマルタ。
「まぁまぁ……。またそんなひょろっとして。それじゃここへ来たばかりの頃より細っこいじゃないか!よっぽど寂しかったんだねぇ。かわいそうに」
そういってラルベルを力いっぱい抱きしめるマルタである。みしみしと背骨が音をたててきしむ。思わずぺちぺちとマルタの腕を叩いてギブアップするラルベルである。
「心配かけちゃってごめんなさい。でももう大丈夫。さっきもお腹がすいてたっぷりおやつ食べたから、すぐに元通りになりますよ」
自分が随分痩せてしまったのは。自分でも気がついていた。集落をでる時に、町から着てきたワンピースに袖を通したらウエストがガバガバだったのだ。……もちろん胸も。
「みんな心配してたんだよ。今から海猫亭に顔を出すかい?それともすぐに詰所にいくかい?お待ちかねだよ」
ラルベルはここにくるまで、自分がヴァンパイアだということをどう伝えればいいのかずっと考えていたのだが答えはまだ出ていなかった。でも一つだけ、決めていたことがある。
「とりあえず、少し荷ほどきしたらダンベルトさんに会いに行ってくる」
そう言うとマルタはにっこり笑って、とりあえずおいしい紅茶を淹れようね~と台所へといそいそと向かう。
一週間ぶりの部屋に戻るラルベル。
ラルベルがここに住むようになって、もう半年近くが過ぎた。気づけばすっかり自分の持ち物でいっぱいだ。感慨深い気持ちで部屋を見渡す。
――もし自分がヴァンパイアだといって拒絶されたら、きっとこの部屋ともマルタさんともお別れだ。この町で受け入れてもらえるまで努力するとはいっても、ヴァンパイアに部屋を貸したいなんて人はいないかもしれない。怖がられちゃうだろうしね……。
強く決心したはずの気持ちが少しずつ揺れていくラルベルだったが、首をぶんぶん振って、自分の弱い気持ちを振り払う。
――もう決めたことだ。いつかは自分で決断しなきゃいけないんだから。ばれるのを怖がっていつまでもみんなを騙すような真似はしたくない。
ラルベルは部屋のクローゼットの中から一番お気に入りのワンピースを取り出す。
いつか海猫亭の歓迎会でマルタさんがプレゼントしてくれた、淡いピンク地に白いストライプの入った思い出のワンピースだ。
頭の後ろで高く結わえた髪には、白い幅広のリボンをっきゅっと結んで準備は完了――。
階段を下りていくと、そこにはロルが待っていた。集落を一緒にでてここまできたのだが、ロルは先に宿を取りに行っていたのだ。
「一緒に行ってくれるの?」
そう尋ねると、ふん、といつものように余裕ありげなにやり顔で「当たり前だろ」と返事をする。
マルタはラルベルの格好をみて、にっこりと嬉しそうに笑うとまずはおいしい紅茶で景気づけしていきな、と木の実入りのクッキーとともに湯気をたてている紅茶のカップを差し出す。
紅茶のいい香りと、クッキーの甘さに勇気をもらうラルベル。
「マルタさん。帰ったら伝えたいことがあるの。マルタさんだけじゃなく、この町のみんなに。あとで聞いてくれる?」
いつになく真剣な顔のラルベルに、少し心配そうな表情をのぞかせたマルタだったが、「もちろんよ。でもまずはだんなに話すんだろ?思ったようにしておいで。おいしいごはん用意して、待ってるからね」とラルベルを抱きしめる。
――いよいよだ。結果はどうでも、私は私。自分に正直に、気持ちを伝えよう。ダンベルトさんにも、マルタさんにも、海猫亭のみんなにも。
不安になる気持ちを奮い立たせるラルベルと、それを隣で見守るロル。
その邪魔をしようと待ち構えている一人の男がすぐそばまで来ているとは、さすがの勘のいいロルも、当然ラルベルもまだ気づいていない。




