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揺れる心と食料事情



 ラルベルがヴァンパイアの集落に戻ってから、すでに一週間が過ぎていた。


 ロルは時折、ラルベルの様子をダンベルトに伝えるために町を行き来していたが、正直なところ一度ダンベルトに会えたきりだった。事件が驚くべき早さで終わりを迎えたため、会う暇がなかったのだ。

 まぁ、ある意味敵が自爆したようなものだったようだが、早くけりがついて何よりである。


 だがひとつだけ、肝心のあの男の行方がわからないことが気がかりだった。

 あの男が仕えていたという首謀者は気が狂ってしまい話もできない有り様だというから、とっくにデルベへ逃げ帰ったとも考えられるが。


「なんかお前、ここで暮らしてた時より干からびてるな」


 目の前にはテーブルに突っ伏す幼馴染みの姿がある。その姿はなんといえばいいのか、収穫してもう大分時間のたった葉物といった有様で、くったりしわしわの今にも捨てられそうな状態である。


「うぅ……」


 とはいっても、決して今のラルベルは食べ物がなくて干からびているのではない。町から持ってきた食料はまだたっぷり残っているし、スイーツだってチョコレートにキャラメルに果物だってある。ならばなぜこんなに干からびているのかといえば――。


「何を食べても味がしない……。砂を食べてるみたいで、ちっともおいしくないの」


 ここに戻ってきてからというもの、最初の数日こそ一日三食おやつ付きで元気に久々の故郷を楽しんでいたが、次第に食べる量が減り、甘いものもとらなくなったのだ。


 ――まさかこいつが自ら食べることを放棄するなんて日がくるとは思わなかったな。人間にとっては食事はただ単に栄養を摂るってもんではなさそうだ。なんていうか、人生の楽しみというか、娯楽というか。


 ヴァンパイアであるロルにはその気持ちはさっぱりわからない。何しろヴァンパイアにとっては生き血は生き血だし、多少の好みはあるが、生き血を一定期間ごとに摂取できればそれでいいのだ。そこに楽しさを求めたりしないし、誰かと一緒に血を吸うなんて考えただけでシュールだ。


「事件、もう大体片が付いたらしいぞ。首謀者も捕まって、あの女は勝手に毒をあおったらしいし」

「本当?じゃあ町に帰れるの?」


 がたん、と勢いよく椅子から立ち上がり今にもロルにつかみかからんばかりに尋ねるラルベル。


「まあな。ただひとつ問題があるんだよ。……あの男の行方が分かってないんだ」


 ロルがそう言うと、ぴたりと動きを止めて再び椅子に座りこむラルベルである。


 あの男の言葉を思い返す。

『お前もヴァンパイアのなりそこないか?』『お前も同類』そう言っていた。

 あれは一体どういう意味なのか。もしかしてあの男もラルベルと同じように――。


「ねぇ、あいつは私と同じハーフなのかな。ヴァンパイアと人間の。もし純血ならお前もヴァンパイアか?って聞けばいい話でしょ?ヴァンパイアのなりそこないか、ってそういう意味じゃないのかな」

「……もしそうだとしたら、匂いでわかったのかもしれない。俺もそうだけど、ヴァンパイアの中には以上に嗅覚に優れた奴が一定数いるからな。お前は人並だけどな」


 そういえばあの男がそんなことを言っていた気がする。おもしろい匂いがしてきてみた、とかなんとか。

 思わずくんくんと自分の体の匂いを嗅ぐラルベルを、ロルが呆れたように見つめる。


「危害を加えてくるなんてことはない、よね?なら問題ないのかな」


 基本的にヴァンパイアは争いを好まない。どちらかといえば淡々とした性質の種族だから、同じ種族同士でいさかいが起きることもないし、非常に温厚といば温厚、まぁ無気力といえなくもない。

 ならばあの男がラルベルと自分が同じ境遇だと知って友好的な気持ちで近づいてくることはあっても、危険はないんじゃないか。


 ラルベルの持論に、ロルは難しい顔で考え込んでいる。

 やはりそんな単純ではないんだろうか。確かにあの男はちょっと嫌な気配を漂わせてはいたけれど。


「じゃあやっぱり、その男の行方がわかるまでは町には戻らない方がいいのかな……」


 しょんぼりとうなだれるラルベル。

 ロルはそんな幼馴染みのしょぼくれた姿を見て、大いに悩む。このままここにラルベルを置いておけば確かに安全かもしれないが、完全に干上がるのは目に見えている。おそらくここで暮らすのは、限界だろう。


 ――が。もし最悪の事態が起きるとしたら、あいつがラルベルをヴァンパイアだと町の人間にばらす恐れがあるってことだ。もしそうなったら、あの町にはもう……。


 ロルにとっては、あの町で暮らせるかどうかは正直どうでもいい。ヴァンパイアだとばれようが、この集落が守られるのであればここで今までと同じように生きていけばいいだけだ。

 だが、こいつは違う。あの町はこいつが自分の力で初めて見つけた居場所なんだろう。あの町でこれからも生きていくことがこいつにとっての幸せなんだろうと思う。


 町で見た、ラルベルのはじけるような生き生きとした笑顔。

 あれはここで暮らしている時には見たことのないものだった。

 これからもラルベルがあの町で、人間に囲まれて生きていくためには――。


 ロルは決断した。


 ――こいつに決めさせる。自分の人生だ。もしかしたら傷つくかもしれないが、失うものも大きいかもしれないが、いつかは直面する問題だ。


「町に戻るぞ、ラルベル。戻って、お前が決めろ」

「え?決めるって、何を?」


 きっぱりと言い切ったロルに、きょとんとした顔を向けるラルベル。


「あの男は危害は加えないかもしれないが、お前がヴァンパイアであることを町の人間にばらすかもしれない。だから、お前があの町でこれからも生きていきたいなら覚悟を決めろ。ヴァンパイアであることを身近な人間に打ち明けるかどうか」


 あんぐりと口を開けたまま固まるラルベルに、ロルは続ける。


「今隠し通せたとしても、いつかヴァンパイアであることがばれるかもしれない、もしばれたら町から追い出されるかもしれないと、ずっと怯えて生きていくのか?それでいいのか?それで本当に幸せか?」


 ラルベルはこれまで、ヴァンパイアというものは隠れて生きていかなければならないと信じていた。

 人間とヴァンパイアとはともに生きていけない存在で、たまたまハーフである自分はうまく隠しながらこそこそと生きていくしかないんだと思っていた。見本になるようなハーフはいなかったから。


 ――でももし自分がヴァンパイアだと話して、拒絶されたら?そしたらここに戻ってくる?それとも他の町にいってまたやり直す?


「もし私がヴァンパイアだと知られてこの集落が危険な目にあったら……?みんなはどうなるの?」


 歴史の中では、ヴァンパイアの集落ごと火を付けられたとか、人間に襲われたとかそんな恐ろしい話も残っているのだ。もちろん大昔の話だし、そんな体験をした仲間は、この集落にもいないけれど。


「もしここがばれたら別の場所を探せばいいさ。もっとも、ここにたどり着ける人間なんかいやしないけどな。あのゴブリンだって、無理だと思うぞ」


 ――そうだ。ダンベルトさん……。あの人はどう思うだろう。ヴァンパイアだと知ったら。拒絶するだろうか。それとも。


 ラルベルの中で二つの思いが激しく揺れる。


 一生ヴァンパイアであることを隠し通して、あの町でおびえながら生きていくか。

 ここで打ち明けて、ヴァンパイアでも受け入れてもらえるよう頑張ってみるか。



「決めた!私、町に戻る。戻ってみんなに打ち明ける。私はヴァンパイアだって。……違った。ヴァンパイアと人間のハーフだって!」


 すくっと立ち上がってふたつの拳を握り締め、前をまっすぐに見据えるラルベル。


 ロルの予想通りである。


 ――そうでなきゃな、お前は。いつだって能天気で楽天的で馬鹿みたいにまっすぐで。もしどうしてもダメだったら、その時は……。



 ラルベルとロルの町への帰還が決まった。

 仲間たちにあたたかく見送られながら、ラルベルはここを巣立っていく。自分の生きていく場所を目指して――。




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