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陽の陰り

 


 その夜ロルにあてて手紙を飛ばしたラルベルは、部屋でチョコレートをまったりと味わっていた。

 

 ――昼間みたのは、きっと見間違いだよね。もう捕まったっていうし、そもそも襲われる理由もないし。一応ロルには知らせたけどさ。


「ラルベル。まだ起きているか?俺だ」


 そんなことを思いながら三つめのチョコレートを口に放り込んだ時、ダンベルトが訪ねてきたロルから話を聞いて、取り急ぎここへ来たのだという。

 ラルベルの能天気な考えに反して、ダンベルトの表情は険しい。


「一瞬だったし、違う人だったかもしれないけど。何か見られてる気がして。目を上げたらそこにあの女の人に似た人が立っていて……」


 昼間あったことをダンベルトに説明している間も、眉根をひそめて聞いている。


「実はな、その女が昨夜牢から逃亡した。もしかしたらお前が見たのは本人かもしれない。まぁ今となってはお前を狙う理由はないんだが、一応な」


 ――私の証言のせいで捕まったと、逆恨みしているってこと?


「そこでちょっとお前に提案があるんだが……。しばらく店を休んで王都にでもいかないか?もちろん護衛はつけるし、ほんの少しの間だ。王都なら警備も厳重だし、簡単によそ者は入り込めないからな。自由によそからの人間が行き来できるこの町は、どちらかというと警備が難しいんだ」


 突然の提案に戸惑うラルベル。

 海猫亭での仕事も、マルタやノールのいない生活も考えられない。みんな家族のような関係なのだ。その人たちからも離れて、いったこともない王都で一人で過ごすなんて……。

 でも警備のためといわれると、無下に断るわけにもいかず思い悩むラルベル。


「すぐに決めろとは言わないが、数日考えてみてくれないか。勝手をいってすまないが、お前を守るためだ。心配ならロルも一緒に王都にいくといい」


 そういってダンベルトは帰っていった。

 もしロルが一緒にいってくれるなら確かに安心だが、そこにはダンベルトはいない。もし何かあったとき誰を頼ればいいのか、と考えて、ふと気づく。


 ――どうしてダンベルトさんがいないと思うと、こんなに不安になるんだろう。離れていると思うと、なんだか……。




 あくる日、海猫亭のカウンターに座って今日のおすすめメニューを書きながら、ラルベルはまだ悩んでいた。

 

「ラルベルちゃん、元気ないっすね。だんなと喧嘩でもしたんですかね」

「ダンベルトのだんなは、今はそれどころじゃないだろうよ。なんでも例の連続強盗事件の犯人の一人が逃げたらしいから、その騒動で昨日も帰れてないって話だぞ」


 厨房からざわめくような声が聞こえるが、ラルベルの耳には届いていない。

 頭の中にあるのは、王都にいくべきか、行かざるべきかの問題である。早くに答えを出した方がいいのはわかっているが、どうにも踏ん切りがつかない。


 悩むラルベルのもとに、店の外から呼びかけるような声がかすかに聞こえた。

 まだ開店前だが、気の早い客がきたのだろうか。

 店の外へ出て辺りを見渡すが、誰もいない。首を傾げながら、中に戻ろうとした時。


「あんた、俺と同じ匂いがする。もしかしてあんたもヴァンパイアのなりそこない?」


 首元に息がかかるくらい近くに、男が立っていた。

 思わず飛びのくラルベルの目の前にいたのは、銀髪に全身黒ずくめの見知らぬ若い男。年の頃はダンベルトよりも少し上くらいだろうか。その銀髪が年齢不詳に見せてはいるが。

 気配なく至近距離に立たれていたことよりも、その男の言葉とその身にまとう冷たい雰囲気が何よりラルベルを凍り付かせた。


 ――今この人、ヴァンパイアって……?


 男の言葉に、ラルベルの膝が震えはじめる。

 男は細く目じりの吊り上がった目で、口元にうっすら笑みを浮かべてこちらを見つめている。その目がどこか蛇のようで、ラルベルの心をすくみあがらせる。


「だ、誰……?なんで、だって……」


 なぜラルベルがヴァンパイアであることを知っているのか。しかも今、ヴァンパイアのなりそこないといわなかったか?真意を図りかねて、ただ口をぱくぱくと動かすしかできない。


 ――そういえば、同じ匂いって?同じってことは、まさかこの人。


「ふぅん……。ずいぶんかわいいヴァンパイアなんだな。いや、ヴァンパイア崩れ、か」


 口調こそ天気の話でもするような軽やかさを含んでいるが、その端に冷たい鋭さが滲んでいるようでラルベルをさらにすくませる。


「く、崩れって?あなた何者?」


 やっとのことで声を振り絞ったラルベルは、震える声で尋ねる。

 同じ匂いということはまさか、この男もヴァンパイアか。でもこんな男はあの集落にはいないし、正直気味の悪い雰囲気を漂わせていて、先ほどからずっと体中に鳥肌が立っている。


 誰かに助けを求めればいいのだろうが、話の内容が内容だけに、声を上げることもできない。


「あの女を追いかけてきたらおもしろい匂いがしたから寄ってみたんだ。けど、こんなところでまさかお仲間に会えるとはな。……まぁいいさ。またくる」


 話の途中、ちらと通りに目をやるとひらりと身をひるがえして去って行ってしまった。

 汗ばむくらいのあたたかい真昼間だというのに、ラルベルは体の震えを止めることができない。


 ――仲間……確かにそう言っていた。なりそこないとか崩れとか。それに女を追っているって。一体誰なの?


 ぎくしゃくとぎこちない動きで店の中に戻ろうとしたその肩を強くつかまれ、ラルベルはとっさに大声を上げかける。

 だが、そこにいたのは息を弾ませたロルであった。嫌な気配を感じてかけつけてくれたのだ。

 ロルによると、実はタニアがラルベルのもとにくる可能性を考えて警備を厳重にしていたこと。ところがその隙を縫って先ほどの男が近づいたことを話してくれた。


 ラルベルの話を一通り聞くと、険しい表情でため息をつく。そしていまだに震える肩を掴んで、きっぱりとした口調で言い聞かせる。


「今日の仕事が終わるまでは、俺が店内にずっといる。そのあとノールにしばらく休むと言え。ダンベルトからノールも話は聞いているはずだから、OKが出るはずだ。もう迷ってる暇はない。しばらく集落へ戻るぞ」


「……わかった。ロルの言うとおりにする。王都に行くよりはみんなのところの方が安心だし」


 その有無を言わせない強い口調に、さすがの能天気なラルベルも事態の大きさに唇をかむ。そして自分の存在がどれほど周囲に心配をかけているのかを知って、もうわがままをいっている場合ではないと決心する。

 それに何より、ラルベルがヴァンパイアであることがもしあの男の口からばれるようなことがあれば。


 ――あの男から離れないと。絶対に、絶対にヴァンパイアだってこと知られたくない。海猫亭の人たちにも、お客さんにも、この町の人みんなにも。そしてダンベルトにも……。


 

 ラルベルの穏やかな日常は、終わりを告げることになる。

 謎の男の襲来によって。


 だがもちろん、事態はこれで終わるはずもない――。





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