捨てられた駒
男爵家の調べを終えて、合流したイレウスとダンベルト。
「お疲れさん。お手柄だったな。おかげであれはガウラのもとで無害化しているところだ。仕入れ量からいって、大体三分の一ってとこか。残りは男爵家所有の建物を片っ端から調べさせている。あの女はどうにも口が堅くてエディオン侯爵にとっては、大層都合のいい駒だろうよ」
「侯爵の動きは?」
首をふるイレウス。
「公式の記録はないが、どうやらすでにこの国に入っているようだ。デルベからの報告では行方がつかめないらしい。それから、侯爵はまだ四十歳半ばなんだが、ぱっと見は白髪交じりの感じのいい老紳士といった風貌らしい。町に紛れ込まれるとやっかいだな」
エディオン侯爵家は謎の多い一族である。
先々代はデルベ国の重鎮。先代は切れ者と評判だったが、妻の死をきっかけに精神のバランスを崩し、政治の表舞台から消えたらしいが、詳しいことはわかっていない。
「この間古い日記を見せたのを覚えてるか?実はあれはエディオン侯爵先代当主の日記でな。おもしろいことがわかったよ」
イレウスによれば、日記にはエディオン侯爵家のデルベ国内での隠された役割と、悪魔の花を生み出すまでの経緯について赤裸々につづられていたらしい。
エディオン侯爵家の役目は、デルベの影の部分を一手に担うものであったらしい。代々、政治的な暗殺や裏工作など汚い仕事を秘密裏に引き受けていたのだという。そのためデルベにとっては必要な存在であると同時に、決して知られてはならない危険な存在でもあった。
そのため、力を持ち始めたエディオン侯爵家を恐れた一部の貴族たちによって、次第に冷遇されるようになる。
その中で起きた先代侯爵の妻の死。原因不明だったらしいが、侯爵家の失脚を企む国内の貴族によって殺されたという噂もある。その死をきっかけに先代は次第に精神を病み、その中で悪魔の花を作り出す。先代が死んだのは、息子に爵位を譲ってまもなくのことだという。
「ようは妻を殺された恨みを晴らす道具として、悪魔の花を生み出したってことか。息子である現侯爵にとっては母親を殺されて、デルベ国に恨みを持っていると?ならなぜデルベでこの花粉をはらまかない?両親を奪われた復讐なら、自国の貴族どもに報復すればいいだろう」
実の母は殺され、父親は精神を病んで復讐への思いと恨みの中で死んでいった。
息子である現当主は、それを一体どんな気持ちで見ていたのだろうか。
なぜその復讐心が母国に向かわず、この国に向かったのか。この国を試験的に利用し、恐ろしさを知らしめてデルベ国を脅すつもりか。
「そうなんだ。いまだ目的がはっきりしないんだ。花粉の効力を実験するためなのか、それとも他の狙いがあるのか。侯爵を捕まえて吐かせるしかないだろうな」
「私兵についての記述は?実際に影で汚い仕事をしていたのは私兵なんだろう?」
ダンベルトにとっては他国の政治より、自国の安全だ。それに政治的なことは平民出のダンベルトにとっては難解すぎるし、正直興味もない。
ただあのエディオン侯爵家の私兵がこの国に乗り込んできているとなれば、それはこの国の安全に関わる。なんとしても、この国から追い出さなければならない。
残念ながら私兵についての記述はなかったらしく、イレウスもその実態をつかめずにいるようだ。
「自国内の権力争いだの復讐だのは勝手にやって欲しいんだがな。他国の何の罪もない人間を巻き込むなどいい迷惑だ」
その後、ダンベルトとイレウスは再度グンニルとリューグ男爵の妻から聴取を試みてはみたが、グンニルは自分のせいではない、言われた通りにしただけだと責任逃れの発言を繰り返すばかりで、なんの役にもたたない。
女は女でじっと前を見つめて口元にうっすら笑みを浮かべるだけで、微動だにしない。
やはりこの二人から有益な情報を引き出すのはどうやら難しいようだと、ひとまずそれぞれ詰所に戻り一時の安息を得ることにした二人。
詰所に戻ったダンベルトは、椅子に背中を預けてしばし休んでいた。ここのところ不眠不休で満足にまとまった睡眠も食事もとれていない。いくら鍛えているとはいえ、いい加減体も悲鳴を上げていた。
そこに一人の部下が声をかける。
「団長。ラルベルさんがいらしてますが、どうなさいますか?」
思わず椅子から勢いよく立ち上がるダンベルトである。
ひょっこりと入り口から顔をのぞかせたラルベルは、はにかみながら遠慮がちにこちらを見ている。
「こんにちは。あの、ちょっといいですか?これを渡そうと思って」
そういってラルベルが差し出したのは、バスケットいっぱいに入ったパンと海猫亭の料理である。まだ湯気といい香りが漂うところをみると、出来立てらしい。
「ノールさんが、皆さん忙しくて満足にあたたかい食事もとれていないんじゃないかって。パンは私とマルタさんとで焼いたんですよ。木の実がたっぷり入っているので、腹持ちもいいんです。よかったらみなさんでどうぞ」
そういえば座って食事をとったのはいつだったか。ずっと外で見張りに立っていたから、当然あたたかいものも食べていない。
途端に腹が鳴り出すのをごまかすように、ダンベルトは礼を言って部下たちに声をかける。
張り詰めた空気が一瞬和んで、詰所内に歓声が上がる。
数日ぶりに会うラルベルは、顔色もいいし変わりはなさそうだ。ラルベルの警護に当たっている者からも特段知らせはない。
「わざわざありがとう。ノールとおかみにもよろしく言っておいてくれ。……何か変わったこととか、困っていることはないか?」
まるで父親みたいだな、と内心苦笑しながらラルベルに問いかける。
首を振るラルベルは、とても嬉しそうに久しぶりのあたたかい食事を堪能するダンベルトを見ている。一緒にどうだ、と勧めたのだが自分はもう食事をすませてきたからといって遠慮していたが。
――こいつが食べ物を遠慮するとはな。本当は食べたいんじゃないか?
ダンベルトがにやりと笑ってパンをひとつ差し出すと、しばらく躊躇していたが、にっと笑って大きな口でかぶりつく。そのいつもと変わらない姿に安堵するダンベルトである。
「特に何もないですよ。昨日ロルにも同じこと聞かれたけど。犯人捕まえたんですよね。もしかしてあの女の人?」
「もうあの女のことは心配しなくていい。今はまだちょっとバタバタしているが、もうじき事態も落ち着くはずだ。そうしたらまた海にでも行くか。あそこの料理屋の店主もお前のことを随分気に入っていたからな。行けばきっと喜ぶ」
「はい!行きたいです。今度はタコのパスタも食べたいです。この間は時間がなくて食べれなかったので」
輝くような満面の笑みではしゃぐラルベルに、ここのところ険しさが張り付いていたダンベルトの表情も柔らかくなる。こんな風に穏やかな気持ちにさせてくれる存在というのは、いいものだなと思う。
ラルベルの明るさと笑顔を守れるのならば、自分にはまだまだやれることはある。あらためて強く思うダンベルトだ。
「できるだけ早く連れていくよ。だから待っていてくれ。じき片付けるから」
――一日でも早くエディオン侯爵の居場所を探り当てて、残りの花粉を見つけ出さなければ。
「海に連れて行ってやると約束したからな」
そう小さくつぶやくと、ダンベルトは先ほどよりは穏やかな表情で仕事に戻った。
その一報が第一師団本部に入ったのは、その日の夜。
「女が逃亡しました!グンニルは何者かに首を折られて牢内で死亡しています。集められる限りの人員で行方を追っていますが、今のところ不明です!」
――リューグ男爵の妻逃亡。グンニルは何者かに殺害。やはり影が動いたか……。
白くなるほど強く握りしめられた拳を机にたたきつけるイレウス。
「すぐに第二師団に伝えろ。私も捜索に合流する」
まだまだ事件の収束とはいかないようだ。




