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悪魔の花

 


 イレウスはダンベルトから情報を聞き、ある場所へと足を運んでいた。


 この国でもっとも植物の知識に詳しく、かつ偏屈なことでも有名な薬学士の屋敷である。その膨大な知識とそれに基づいてはじき出された研究成果は他の追随を許さない、一流の薬学士である。


 今回の薬の分析もこの薬学士に依頼したもので、先ほどダンベルトからもたらされた情報を聞いたイレウスは、先日の分析結果について尋ねたいことがあって向かっているのだった。


「すまない。取り急ぎガウラ様にお取次ぎ願いたいのだが」


 屋敷の者に案内され、ガウラの研究室へと向かうイレウス。


「何かわかったか」


 ガウラはイレウスの方を振り向きもせずに尋ねる。


「あれはコニアと似てはいるが別のもの、まったくの別種ということですか?それとも何か改良を?」


 ふん、と鼻をならしてこちらを振り向きもせずに、ガウラは手元のガラス瓶を手渡す。中には何か粉のようなものが入っている。


「それはあの石鹸から取り出したものだ。少し光っているのがわかるか?」


 イレウスは中の粉を部屋の明かりに透かすように持ち上げてみてみると、わずかだがきらきらと内側から発光しているように見える。


「この光がなにか?」


 ガウラはようやく何かを書いていた手をとめて、こちらを向く。


「私も見たことはないんだがね。数十年前に、とある他国の金持ちがコニアとある花を掛け合わせて新種の植物を作ったという噂があった。それは真夜中のほんのわずかな時間だけ花を咲かせて、その内側から粉を放つらしい。光る粉をな」

「……では、それがこの」


 イレウスの手から瓶をそっと取ると、ガウラはその中身を興味深そうに見つめながら続ける。


「その粉は、離れた場所にいるものを一瞬で殺すほどの毒性を持っている。ある条件下においては、だがな」


 思わず息をのむイレウス。


「心配せんでいい。その条件下になければ何の問題も起きんよ。ただの花粉だ」

「条件とはなんです?特殊なものなんですか?」


 背中に嫌な汗がつぅっと伝って、思わずみじろぎするイレウスをガウラはじっと見て言った。


「熱と水分だ。ある一定以上のな」


 ガウラはおもむろに立ち上がり、近くの棚から何かを取り出すとイレウスに放ってよこす。

 見るとそれは皮製のマスクである。自分も同じものを口と鼻をぴっちりとふさぐようにつけると、小さな箱の中に先ほどのガラス瓶を入れて中身をほんの少し取り出す。

 その粉と何か小さいものを別の瓶の中に入れ、机のフラスコの中で先ほどまで沸騰していた熱湯を少量注いで蓋を急いで閉める。


 慌ててマスクの隙間を完全にふさぐように、口元を抑えるイレウス。


 数十秒後、箱から取り出されたガラス瓶の中には、一匹の虫が少量の白く濁った液体の中で横たわっていた。


「毒に変質した、ということですか。熱と水分によって」

「石鹸とはよく考えたものだな。どんな階層でも誰でも使うし、熱い湯に溶かして使うのだからな。中まで溶けだせば全員あっという間にあの世行きだ。しかも、一瞬でな」


 イレウスは息をのむ。

 なぜ石鹸なのかと、イレウスも不思議に思ってはいた。安価で誰にも疑われることなく流通させることができるからか、とは思っていたが、まさか毒を変質させるためのものだったとは……。


 ――もしこんなものが国中に広まったら国は全滅だ。


「ただ幸いというべきか、毒が気化してから15分ほどで毒性はほぼ消える。逆にそれまでに半径2メートルくらいの距離にいた者は、もれなく死ぬだろうがな。コニアと違って変性しなければただの花粉だし、無害だ。日光にある程度さらされることで、その毒も無害化するようだ」


 日光で無害化するならば、もしこの粉が国内に入ってきていたとしても無害化することは十分に可能だ。

 この粉さえ国内に広がらなければ、だが。


「コニアは触るだけで人ひとりを殺せるほどの毒だが、危険すぎてあんなもの誰も触りたがらん。そんなものを誰が品種改良したと思う?」


 口元をゆがめてイレウスをじっと見るガウラ。

 イレウスの頭に一人の人物が浮かぶ。


「エディオン侯爵か……。しかし、数十年前ということは現当主ではない。先代当主が改良したということか」


 ガウラは先ほどのガラス瓶をそっと机の上に置くと、一冊の古い本をイレウスに手渡す。

 背表紙はすでに色褪せて端もところどころ擦り切れ、染みのようなものもある。


「持っていけ。おもしろいものが書いてあるはずだ。お前ならうまく使うだろう」


 話はこれ以上だとばかりに、背を向けてまた何かの研究に没頭するガウラ。その背中に礼を言って部屋を出る。


 ――一刻も早く王宮に……、いや。その前にダンベルトに知らせなければ。


 足早にダンベルトのいる第二師団の詰所へと急ぐイレウスだった。




「ダンベルトはいるか?」


 詰所には数人の部下たちが集まっていた。


「イレウス団長殿、団長は奥におります。どうぞ」


 ダンベルトは奥の部屋で調べ物をしていた。イレウスが戻るのを待っていたらしく、話を促す。


「で?何を調べてたんだ」


 苦笑しながら、汗ばんだ襟元を緩めて息をつく。


「ガウラのところに行っていた。色々わかってきたよ、正直知りたくなかった気もするがな」


 いつになく真剣な顔に、ダンベルトの表情も引き締まる。


「端的に言って、この国は今相当まずい状態にあるってことだ。下手したら死体の山だ。子供も大人も、庶民も貴族もな」


 物騒な話に、ダンベルトは目を見開く。


「あの粉の正体が分かった。コニアを品種改良した植物から採れる花粉らしい。先代のエディオン侯爵が作ったらしい」

「毒性は?コニアとは違うのか?」


 差し出したグラスに入った琥珀色の液体を勢いよくあけるイレウス。


「粉のままでは無害だ。だが、熱と水分を加えることで半径2メートル以内にいる人間を簡単に殺せる代物だと判明した。石鹸を使ったのは被害を拡大するためだ。この国中にな」

「……?そうか!湯に溶かせば遅かれ早かれ中の薬が溶け出すってことか」


 ダンベルトもその理由を理解して、思わず大きな声を上げる。

それならば確かに石鹸を選んだことも頷ける。加工もしやすく、材料も手に入れやすい。誰が持っていても何の疑問も持たれないし、大量に出回りすぎて足も付きにくい。

 そんなものが広まれば、国民全部に被害が及ぶ。

 背筋に冷たいものが流れるダンベルト。


「しかし、なんでそんなものを作ってまでこの国を攻撃する必要がある!デルベにもエディオンにもこの国を恨む理由などあるとは思えん。この国を属国にでもするつもりか」


 ダンベルトの怒りを含んだ言葉に、イレウスは声を潜めてたしなめる。


「大きな声を出すな。今こんな話が漏れたら騒ぎになる。理由はわからないが、今は石鹸の流通をとめることが先決だ。教会の件は何かわかったか?」


 ダンベルトは興奮を抑えて、教会で見た二人のシスターについての調査報告をイレウスに伝える。


 若い方はゴーダ出身で、病気で両親を亡くした後修道院に入り、シスターとしてあの教会へ派遣されていた。身よりはないが、ゴーダの日用品店のおかみとは親しくしていたという。

 そしてもう一人。おかしな気配を漂わせていたもうひとりのシスターは、リューグ男爵の妻と容貌が似ているという。男爵家で以前働いていたメイドがやけどの痕について話していたのを、聞いていた者がいた。


「じゃあ、そのシスターはリューグ男爵の妻で、夫婦で加担しているってことか。若いシスターと子どもたちに汚い仕事をさせてるってとこだろうな。貴族らしいやり方だ」


 貴族家出身でありながら、権力と欲にまみれた貴族社会を嫌っているイレウスは、吐き捨てるようにこぼす。


 ダンベルトは、子供ながらに鋭い目でにらみつけてきたあの子供を思い出す。あれは、大人を憎んでいる目だ。利用され、虐げられることに憎しみをつのらせている、怒りの目。


「踏み込もうにもうかつに手が出せん。だがリューグ男爵自身は一体何をしてるんだ。妻に手を汚させて高みの見物か?」


 ダンベルトは次にどう動くかを考えながら、頭を抱える。


「そういえばガウラの所を出るときに、これを渡された」


 そう言って懐からイレウスは一冊の古ぼけた本を取り出して机に置いた。


「なんだ?研究の本か?それとも……これは、日記か?大分古いもののようだが」


 イレウスはにやりと笑うと、「多分これに色々ヒントが書かれているはずだ、多分な」と目を細めた。


 ――こいつがこういう顔をしている時は、相当おもしろいことを掴んだ時だ。何か思うところがあるらしい。


「そういうことはお前に任せるよ。おれは頭脳派のお前と違って、肉体労働派だからな」


 そういって二人の男はにやりと笑いあう。



 絶対にこの国を守って見せる。

 こんな腐った奴らに国を滅茶苦茶にされてたまるか。


 二人の男たちの目的は、一つであった。


 


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