フクロウと不穏な噂
ロルが町を出て行ってからもう三日。
ダンベルトたちからの連絡も、詰所には届いていないようだ。
当然レテ山へはもう入っているだろう。問題はどのあたりまで進んでいるのかだ。
あの山はふもとからしばらくはそれなりに道が開けていて、ある程度山道に慣れた者なら進むことができる。だが途中から細い獣道が一本あるだけで、流れの早い沢や大きい岩に阻まれて、ヴァンパイアたちでさえ少しでも悪天候だと決して集落を出ないほどの悪路なのだ。
それを考えれば、おそらく途中で引き返しているはずだ。でもそうならば、それ以上の捜索は断念してもう戻ってきてもいい頃だ。
なのに連絡もないということは……。
ラルベルの脳裏にダンベルトの顔が浮かぶ。そして、ロルや仲間たちの顔も。
ラルベルの胸は張り裂けそうだった。早く連絡が欲しい。そればかりを祈っていた。
その日仕事を終えて下宿に戻ってきたラルベルは、部屋のドアを開けてふと違和感に気づく。
――誰かいる?
部屋の中だろうか。何かの気配を感じて中を見渡してみるが、特に変わった様子はない。
――コンコン。コンコン。カツン。
かすかな物音に、ラルベルは窓へ寄る。
そこには、一羽の鳥がいた。
「フクロウ……?どうしてこんなところに」
窓の外の木枠にちょこんと止まり、こちらをじっと見ている一羽のフクロウが、そこにいた。
窓を開けるとばさり、と羽を広げて部屋の中に入ってくる。
――人に馴れてる?……もしかして!
よくみると、その足には細い紐のようなものと細い紙が結びつけてある。慌ててフクロウをこわがらせないよう気を付けながら、それを外す。
「やっぱり、ロルからの手紙!」
紐のようなものは、ラルベルが集落の家に置いてきたリボンだ。きっと自分からの連絡だとわかるようにラルベルの家から失敬したに違いない。
そして、細く折られた紙には――。
『ゴブリンによる山の捜索なし。みんな無事。安心しろ。近い内に戻る』
誰かに見つかった時のことを考えてか、ごく簡潔な内容が書かれていた。正直突っ込みどころは満載だったけれど、とりあえずみんなと集落は無事なようだ。ロルにも大事ないのだろう。ひとまず胸をなでおろすラルベル。
――良かった。でも捜索なしってどういうこと?
ダンベルトたちが出発してからもう三日たつのに、山の捜索をしていないならいったい何を調べているのだろう?
ラルベルはふとダンベルトのあの大きな広い背中を思い出して、思わずぎゅっと手を握り合わせる。
――とにかく、ロルに返事を出さないと。
ラルベルは細い紙にさらさらとペンを滑らせて、集落から持ってきていた他のリボンと一緒に結わえ付ける。
これできっと、この子がロルのもとに手紙を届けてくれるはず。お願いね、とその背中をひと撫でして窓のそばに連れていくと、フクロウは大きな羽を広げて静かに飛び立っていった。
空に消えていくその姿を見送りながら、ラルベルはぬぐい切れない不安に胸をざわつかせていた。
その頃隣国のデルベでは、一艘の大型の船が港を離れようとしていた。
船の甲板には、一人の男。夜の闇に溶けるような真っ黒な衣服を身に着けている。
細いが豹のようにしなやかな身体つきをしたその男は、何の表情も読み取れない無機質な表情を浮かべて漆黒の海を見つめている。まるでガラス玉の目をした人形のようだ。
デルベ国エディオン侯爵家の闇を知る者。
その闇の中心ともいえるこの男が、今ダンベルトたちが待つ港へと向かおうとしていた。
「団長!誰かきます」
小さな声で暗闇の一点を指さす部下に、ダンベルトはその方向に目をこらす。
誰かがグンニルの屋敷へと近づいていく。
シルエットから見るに男ではなさそうだ。あの歩き方、どこかで……。記憶を辿るダンベルト。
――あの店のおかみか?
少し右足を引き引きずるように肩を揺らすあの歩き方は、先日聞き込みで訪れた商店のおかみだ。ダンベルトは、きょろきょろと周囲をうかがうように静かに屋敷へと近づくその姿を、じっと険しい顔で見つめていた。
こんな夜更けに何の用だろうか。よもや色事がらみではあるまい。
ダンベルトにはもう一つ気になっていたことがあった。
それはあの店に山と置かれていた石鹸だ。こんな小さな町でさばききれるような量ではない。いくら悪くなるようなものではないとはいえ、それほどの在庫を抱える必要があるのか。
この町にはどうも何かある気がしてならない。町の大人たちもどこかよそよそしく、ダンベルトたちの来訪を好ましく思っていないふしがある。
おかみは屋敷のドアへとたどり着くと、なぜかそのドアではなく屋敷の裏に回っていく。一体どこに行こうというのか。
ダンベルトのいる方角からは屋敷の裏まではみることができない。小さな小屋が死角になっているのだ。裏手を監視している部下たちの報告を待つしかない。
ダンベルトと部下たちは、おかみがまた出てくるのをじっと待っていた。
しばらくするとおかみはその手に何か袋らしきものを握りしめ、周囲を警戒するように店へと戻っていった。その袋が何であるのかは非常に気になるところではあるが、何の確証もない今の段階では動きようもない。
――あの店を調べてみる必要がありそうだ。町に戻るのはまだ先になりそうだな。
ダンベルトはそっと小さく息を吐く。
その脳裏に浮かぶのは、水色のリボン。
――ラルベルは、今日も元気に笑っているだろうか。
ダンベルトの脳裏に浮かぶのは、ラルベルの嬉しそうに明るく笑う顔。
見上げた月には暗い雲がかかり、夜の闇を一層濃くしていた。
ラルベルの耳にそれが届いたのは、昨日の夕方のことだった。
いつものように海猫亭での仕事を終え、買い物をして帰ろうかと立ち寄った店の店主が教えてくれたのだ。
「そういえばラルベルちゃん、聞いたかい?最近ゴーダの近くにヴァンパイアが出たらしいんだよ。あの辺りで起きてる強盗事件も、実はそいつらの仕業って話だよ。血を吸われた痕が残ってたとかなんとか。おっかないねぇ~」
ラルベルは凍り付いた。
どんどん青白くなっていくラルベルの表情には気づかずに、店主は話し続ける。
「ヴァンパイアなんてもんが本当に存在していたとはねぇ。昔話だと思ってたよ。若い女の生き血を好むっていうし、ラルベルちゃんも気を付けなよ」
そう笑ってラルベルに品物を渡す店主に、何か言って別れたような気もするが、よく覚えていない。
――ヴァンパイアが出た……。襲われた?強盗事件って何?
ヴァンパイアが人間に排斥されるように隠れ住むようになって、もうずいぶん長い時がたつ。おそらくは数百年とか、気が遠くなるほどの。だから、もはや伝説とか言い伝えといった物語めいた語られ方をすることがあっても、その存在を信じているものなどいない。
なのに、店主は確かにヴァンパイア、といった。
このあたりに住んでいるのは、遠い昔からラルベルたちの集落ひとつきりだ。
ヴァンパイアは生き血の供給が奪い合いにならないように、小さな集団ごとに離れて暮らす。でなければ、血をめぐって同種内で争いが起きる恐れがあるからだ。もともと争いを好まないヴァンパイアは、互いに適度な距離を保ちながら静かに生きている。
だから、このあたりでヴァンパイアが目撃されるとすればあの集落の仲間しかいないはず。
でも……。
まさか自分がヴァンパイアであることがばれたのだろうか、と一瞬思ったラルベルだったが、ゴーダの辺りといっていた。以前ラルベルが買い出しに訪れていた、小さな町だ。集落に一番近い町ではあるけれど、ジョルアやロルがヴァンパイアだとばれる行動をとるとも思えない。それに外見上はまったく普通の人間たちと変わらないのだから、見た目でばれることもあり得ない。
――まさかダンベルトたちはそれを調べるためにレテ山に?ヴァンパイアを探しているの?
呆然と部屋の中で座り込むラルベル。
――どうしよう。私がヴァンパイアだとばれたわけではなさそうだけど、なら仲間が……?でも強盗なんて。人を襲うなんて……そんなわけない!
ラルベルはいったい何が起きているのかわからずにどうしたらいいのかとぐるぐると考えていた。
平穏だった日常が、急に足元からガラガラと音を立てて崩れていくような思いでただ冷えていく体を抱きしめるラルベルであった。




