ヴァンパイアの里、危うし!
それからまもなく、ダンベルトとイレイス率いる師団に新たな任務が下った。
第一師団には隣国デルべの有力貴族であるエディオン侯爵についての調査が、第二師団にはレテ山の捜索である。
デルべはレテ山の断崖の向こう側にある国である。
ここ数年、現王権を支持する派と保守的な王政に異を唱える派とが対立を深めているらしく、政情が不安定だと聞く。
反対派の貴族の一人が、今回名前の挙がったエディオン侯爵家である。先々代の当主が国政の重要なポストに付いていたほどの有力貴族なのだが、とかくきな臭い噂の絶えない人物らしく、私設の兵を有しているとの話もある。
とはいえ、我が国にとっては本来は無関係の他国の貴族である。なぜその貴族の調査を、第一師団が任命されたのか。
実はエディオン家の現当主の妻が、我が国の貴族家出身なのである。そのためこの国との往来も多く、これまでも一応監視対象とされていたのだが。
――デルべ国、もしくはエディオン侯爵家がこの一件に関係している可能性があるということか。
ダンベルトは、この事件はただの強盗事件ではないと感じていた。
ただの強盗であれば、わざわざあんな辺鄙な人通りの少ない道を選ぶ理由がない。むしろ街道沿いを狙った方が効率がいいし、港が近い方が逃亡も容易だ。
ならばなぜあの一帯に集中しているのか。何か理由があるはずだ、必ず。
一度目の調査以降、ダンベルトは極秘にあの町の代表グンニルについて調べを進めていた。
グンニルはあの町の領主的な立場であるからそこからの収益は多少ある。が、それは微々たるものである。特に代々受け継いでいるような資産もないようだし、収益の多く上がる事業を始めた様子もない。
にもかかわらず、なぜか数年前から急に羽振りが良くなったようなのだ。少し前から急に暮らしぶりが変わり、屋敷の増築や町の整備などを行っているらしい。
その資金がどこから流れているのかを調べるうち、ある一人の貴族が頻繁にグンニルの屋敷に出入りしていることが分かった。貴族とは言っても、広大な領地を有しているわけでもないただの男爵家である。あの車輪の跡はこの男爵家のものだろうか。
どうやらこちらもグンニル同様、少し前から羽振りが良くなったと聞く。
この二つに共通しているのは、デルベからの輸入事業に関わっている点だ。
半年ほど前からデルベ国の同じ船と契約し、日用品の類を驚くほど大量に仕入れているようだ。
もちろん貴族や商家が他国の船と直接事業契約を結んで輸出入を行うことはある。が、小さな町の領主と貧乏貴族が、同じものを同じ日に同じ船から仕入れているというのはやはりおかしい。
まして特別うまみのない日用品を大量に仕入れたところで、たいした利益は見込めないはずだ。
――いったい何のために……?
これは何かありそうだ、とダンベルトは男爵家に関する調査を先ほどイレイスに頼んできた。
貴族社会の裏は貴族社会に属するものに頼んだ方が得策だ。噂話というのは同じ世界で回るものだから。
「お前は明日出立か。気をつけろよ。もしエディオン侯爵が絡んでいるとしたら面倒だ」
「分かっている。お前には例の件も頼んで済まないが、よろしく頼む。何かわかったらすぐ知らせてくれ。こちらも何か掴み次第知らせをやる」
イレイスは、時間を惜しむように師団本部へと戻っていった。
――男爵家はあいつに任せておけば問題ない。あとはグンニルか。わずかでも気取られないようにしなければ……。
ダンベルトはその後、ラルベルの下宿へと向かった。
「また調査にいくことになった。今回はこの間よりも少し時間がかかるかもしれない。レテ山の奥まで調査する必要があるんでな。一応お前にも知らせておこうと……ん?どうした、ラルベル?」
ダンベルトの言葉に、一瞬体をこわばらせるラルベル。。
「お前以前にレテ山の近くの集落から来たと言っていたな。もしあの辺は最近物騒な事件が起きているからな。知り合いがいるなら気を付けるように伝えてくといい」
その集落というのがゴーダではないことは、すでにラルベルから聞いて知っていたが、念のため忠告するダンベルト。ラルベルは少し固い表情をしていたが「分かった……。気を付けていってきてね」と答えて、その背中を見送る。
その帰り道、ダンベルトはラルベルの不安そうな顔を思い返していた。レテ山の調査に行くと言った瞬間に、その表情が変化したことに気が付いていた。心なしかその目には恐怖のような感情が浮かんでいたような。
――いったいラルベルは何を不安がっているのか。何かを恐れているのか?
その様子が気にはなったものの、今はゆっくりと話をしている時間がない。ダンベルトはその心配を振り切るようにして、夜の町を詰所へと戻っていった。
出立は明日の早朝六時。
何ごとも起きなければいいがと思いながら、嫌な予感に身を引き締めるダンベルトであった。
部屋では、ラルベルが激しくうろたえていた。
――どうしよう。レテ山を調べるっていってた。もし、みんなが見つかったら。
ヴァンパイアの集落は、当然容易に人がたどり着けるような場所にはない。たどり着くどころかその前に命を落としかねないほど危険ないくつかの場所を越えなければならない。もちろんそこに住むヴァンパイアたちはそこを通らずに抜けるルートを知っているし、基本的には集落を出ることはないから足跡をつけられるといった危険もほぼないといっていい。
この前ジョルアおじさんが通った道の跡も、先日の雨でもう消えているはずだ。
――大丈夫。見つかりっこない。今までだって何度か大勢山に分け入ってきたことがあったけど、集落へ続く距離の半分さえ辿りつけずに帰っていったのだから。でも……。
ラルベルは不安を打ち消すことができずにいた。相手はダンベルトだ。もしかしたら見つけてしまうかもしれない。ヴァンパイアの集落を。大切なヴァンパイアの仲間たちを。出てきたとはいえ、大切な故郷であり、家族であり、仲間であり、友人なのだ。もし何かあったら……。
何とか知らせたいが、ヴァンパイアは空を飛べるわけでもテレパシーを使えるわけでもない。一体どうすれば……。
必死に考えるラルベルだったが、何も思い浮かばずにベッドに突っ伏す。
――ロル。ジョルアおじさん。みんな……。どうしたらいいの?どうか無事で。誰も見つかりませんように。
祈るしかない無力なラルベルであった。
もっともその杞憂は、翌日現れた一人の男によって取り払われるのだったが。