ダンベルトはいい匂い?
海猫亭で仕込みの手伝いをしていたラルベルは、店の外が騒がしいのに気づく。
外に出てみると、町をぐるりと取り囲む壁の向こうから馬のいななきと人の声が聞こえてくる。
――もしかしたら、ダンベルトたちが調査から戻ってきたのかもしれない。
ノールに声をかけて、店を飛び出す。
ダンベルトが町を出発してから四日が過ぎていた。
これまでいつでも会えると思っていた人に会えないといわれると、なんだか調子が狂う。
もちろん事後報告とか色々仕事で忙しくて会えないかもしれないが、ちょっと声をかけるぐらいなら、と町の入口へ足早に向かう。
だが、着いた時にはもう馬もいなくなっており、とぼとぼと店へ戻るラルベル。
ノーマや料理人たちが心配そうにこちらを見ているのに気づいてはいたが、あえて気づかないふりをして残りの仕事を済ませて、店をあがる。
帰りに詰所へ寄ろうか、でも一週間は来るなといっていたし、忙しいのかもしれない。あと数日は会いに行くのをやめようか――。
ぐるぐると考えながら答えの出ないまま、ふと気づけば詰所の前に立っていた。
「しまった。ついきちゃった」
まだ仕事に追われてるかもしれないし、長旅で疲れているかもしれない。なら迷惑だろうから、今日は帰ろう。
――うん、そうしよう。
詰所に背を向けたラルベルに、後ろから背の高い人物が近づく。その気配に気づいたラルベルが振り返ると、そこには金髪のスラリとした長身の男が立っていた。
ラルベルは、思わず後ずさる。
「もしかして君、ラルベルちゃん?ダンベルトなら王宮へ行ってるよ」
ダンベルトの部下だろうか。にこやかな笑みを浮かべているが、どことなく食えない感じがする。他の部下の人たちとはちょっと雰囲気も、制服の色も違う。
「あの……?」
怯えたように、じりじりと相手との距離をあけるラルベル。
その様子をイレウスは興味深く見ていた。この子は自分のことをどうやら知らないらしい。離れた町にもイレウスの人気は知れ渡っているにも関わらず、自分のことを知らず、なおかつ不審者並みに怯えているようだ。
その新鮮な反応をおもしろがるイレウス。
「俺はイレウス。第一師団の団長だよ。ダンベルトから聞いたことない?親友なんだけど」
ふるふると首をふるラルベルは、まるで親とはぐれた子リスのようである。後ろで高い位置にひとつにまとめた髪がふさふさと揺れる尻尾のようで、イレウスは思わず触りたくなるのをぐっとこらえる。
――これがあいつの、ねぇ。こりゃまた随分かわいいのを拾ったもんだ。
「えぇと、詰所で待つ?もしかしたらちょっと時間かかるかもしれないけど。報告とか手続きとか、色々煩雑でね」
取って食うわけじゃないからね~と心の中で笑いをこらえつつ、できるだけ警戒心を和らげるようにラルベルに話しかける。
その柔らかい物腰に、余計に警戒を強めるラルベル。
「いえ、帰ります!」
慌てて走り去ろうとするラルベルの肩に、ポンと置かれた大きな手。
「ダンベルトさん!」
そこには四日ぶりにみるダンベルトが、驚いた顔で立っていた。その姿に心から安堵するラルベル。たった四日会わなかっただけなのに、なぜだかどうにも嬉しくホッとしている自分に気づく。
喜びを隠しきれない顔でダンベルトを見つめるラルベルと、その様子に頬が緩むのをなんとかこらえようとおかしな顔になるダンベルト。イレイスのことなど、二人ともまったく眼中にないようだ。
ダンベルトが調査から戻ってくると聞いていち早く情報を得ようと詰所を訪れたイレイスは、堅物で純情な親友のデレる姿を目撃して、どうにもこそばゆい。
二人はまだ、人通りの多い詰所の前で見つめあったまま動かない。
――たった数日離れていただけで、こんなに嬉しそうに見つめ合っちゃって。
イレウスは完全にお互いしか見えていない大男と子リスの二人に、呆れるしかない。
「え~、ごほん」
わざとらしく咳払いをしてみせるイレウスに、ダンベルトは自分の緩みきった顔にようやく気づいたのか、ハッとして口許を引き締める。
「いや、あ~、久しぶり、とはいっても四日か。何も問題なかったか?あ、こいつはイレウスと言って、第一師団の団長で悪友だ。悪い奴ではないから、怖がらなくていい」
小さな子どもに言い聞かせるように語りかけるダンベルトに、ラルベルはふにゃりと微笑む。
瞬間ダンベルトの顔が真っ赤になって、イレウスはたまらず吹き出す。
結局イレウスはこの甘く純情すぎる雰囲気に、「また出直すわ。ごゆっくり、おふたりさん」と、笑いながら帰っていった。
その後ラルベルとダンベルトの逢瀬が終わった詰所では、いつも通りのダンベルトの姿があった。先ほどまでのデレた姿が嘘のようだ。
今回の調査では特にめぼしい発見はなかったが、ダンベルトには気になることがあった。
あの道に残されていた車輪の跡だ。イレイスはいくつかの貴族家を内定調査しているようだが、この強盗事件と貴族が関係しているのだろうか。
――だとしたら、やっかいだな……。
イレウスが詰所を訪れたのもその件を話したいからだったのだろうが、つい昼間はラルベルに気をとられてしまって、気が付いたら帰ってしまった後だった。
後でこちらから出向くか、と考えるダンベルト。
ラルベルがこの町に来てからというものほぼ毎日のように会っていたものだから、つい心配で……。まぁ留守の間に何かあるとは思っていなかったが、やはり保護した責任もあるし、なんといってもまだ子供なのだし。
ふとラルベルのふにゃりとした嬉しそうな表情を思い出して、ダンベルトの頬も緩む。緩み切っただらなしない顔で一人微笑むダンベルトを、部下たちは少し離れたところから残念なものをみるような目で見つめるのであった。
ラルベルはダンベルトと別れた後、部屋で柑橘のジャムを乗せたクッキーと紅茶をまったりと味わっていた。こんな時間に甘いものを食べるのはどうかとも思ったが、ダンベルトの姿をみたら急にお腹がすいてきてこのままでは眠れそうにない。
もぐもぐと何枚目かのクッキーを食べながら、ラルベルはなぜ自分がこんなに気持ちが浮き立っているのかを考えていた。
――そんなに私、寂しかったのかなぁ?そりゃ一緒にいると安心するし、頼ってもいるけど。
それに、すごくいい匂いがするし。
そう考えて、ラルベルはふと手を止める。
「なんだ?いい匂いって……。食べ物じゃあるまいし」
思わず一人きりの部屋の中で、つぶやく。
自然と湧き上がるようにでた自分の感情に、ラルベルは戸惑う。
まさかの食べ物枠……?一応ヴァンパイアだけど、血なんて誰のも絶対欲しくないし。見るのも嫌だし。
でもそういえば、いつだったかヴァンパイアは好みの血の匂いをすぐにかぎ分けられるって聞いたことがある。その匂いを嗅ぐと恍惚とした気分になって、たまらなく幸せな気持ちになるとかなんとか――――。ヴァンパイアが人間の生き血を欲する時は、そういう相手に出会った時らしい。
中にはその相手と人生をともにする場合もある。たとえばラルベルの両親のように。
ラルベルの両親は、父親が人間で母親が生粋のヴァンパイアだ。ヴァンパイアの集落に紛れ込んできた父に母が惹かれてしまい、父もまた母を気に入って集落に居つくうちにラルベルが生まれたようだが、詳しいなれそめは実は聞いたことがない。
もしかして、母さんも父さんの匂いが気に入ったのかな?
血を飲めなくても、仮にも半分はヴァンパイアなラルベルである。自分でもヴァンパイア要素がなさすぎて、つい忘れそうになるけど。血は飲めないけど、やっぱりそこはヴァンパイア。たまたまダンベルトの血の匂いが好みということだろうか。
そう考えて、あのドロリとした草のような嫌な味と感触を思い出し、思わず吐き気をもよおすラルベル。
「いや、ないないない!絶対ない!!」
慌ててクッキーを口に放り込み、柑橘の爽やかさと甘さで気持ち悪さを打ち消すラルベルだった。
本日夜にもう一話、更新予定です。
そろそろ不穏な空気が……。
思いのほか話が勝手に暴走して、大きな事件が!書きながら自分が一番驚いております……。