フードの少女の噂
「ここか……」
港と王都とをつなぐ大きな街道から脇にそれた、決して整備されているとは言い難い細い道。そこに残る跡に、ダンベルトは眉を寄せる。
――荷運び用の馬車ではないな。むしろこれは貴族が使う小型の馬車、か。
重い荷を運ぶための馬車と一人二人用の小型馬車のそれは、通常使用される車輪の幅が異なる。この道に残された跡は明らかに小型馬車、それも綺麗な車輪跡からしておそらくは貴族用のよく整備されたものだ。
その車輪の跡は、途中からカーブしてある場所へと続いていた。
――こんな滅多に人も通らない悪路を、貴族が何の用で使った……?それにこの先には確か。
この辺りは港から王都へと向かう大きな街道から分岐した細道である。
道沿いにゴーダという小さな町がひとつあるだけで、閑散としている。時折街道を利用しない荷馬車が給水に訪れるくらいで、利用するものは少ない。
車輪の跡は、このゴーダという町の入り口へと向かっていた。
「こんなさびれた町に、貴族が一体何の用で……?」
ダンベルトは眉根をひそめ、考え込む。
この辺り一帯は、もともと港から近いこともあって強盗事件は時折起こる。が、たいていは街道沿いだ。この道を使うのはこの小さな町を経由する必要のある一部の荷馬車か、もしくは目立つことを嫌がる何らかの事情を抱えた者たちが裏道として使うくらいだろうか。
ゴーダには、以前ダンベルトも何度か視察と警備を兼ねて訪れたことがある。もっともこの町は港一帯を警備する自警団の管轄であり、ダンベルトは応援を求められていったことがあるだけで詳しくはないが。
「では町の者への聞き込みへ行ってまいります。第一班は北、第二班は西から開始しますので、団長は代表への連絡と東の地域をお願いします」
無駄のない動きで迅速にことに当たる部下たちと別れ、ダンベルトは町の代表者の家へと足を運ぶ。
代表はこの町の南側に大きな屋敷を構えるグンニルという男で、大きく突き出た腹と細い目をした男である。その目にどこか狡猾さがにじみ出ているようで、ダンベルトはどうも苦手であった。
「これはこれは、お役目ご苦労様にございます。以前もお目にかかりましたな。お変わりないようで何よりでございます。強盗のことですが、誠に物騒な話で。名高い第二師団様のお力で、どうか一日も早い解決をお願いいたしますよ」
すらすらと流暢に話すグンニルに、腹の中では真逆のことを考えていそうだなと思いつつ調査への協力の依頼を済ませて、町を見て回る。
目立つ建物といえばグンニルの屋敷と大きな給水塔くらいで、あとは畑と小さな家がぱらぱらと点在するだけだ。おそらくちょっとした日用品や食料を売る店が一軒と、馬車や農具を扱う店が一軒、そのくらいだろうか。
まずは日用品などを扱う商店を訪ねるダンベルト。
「邪魔をして済まない。この辺を調査している第二師団の者だが、最近見慣れない者はここにこなかったか?例えば貴族とか」
店主は少し疲れた顔をした中年のおかみで、ダンベルトをみるとその大きな体に少し驚いたようなそぶりでかぶりを振る。
もしここに水や馬車の故障などで立ち寄ったとすれば、誰か見かけているかもしれないとふんだダンベルトだったが、どうやら読みは外れたようだ。こんな辺鄙な場所に貴族が訪れれば、間違いなく目立つはずである。
店内には、干し肉や木の実などの乾物、ちょっとした菓子や飲み物、そしてなぜかたくさんの石鹸が積まれているだけで、特に変わった様子はない。
礼を言って店を出るダンベルト。
次に寄ったのは農具の店。ここでは馬車の貸し出しや修理、給水の受付も行っているようだ。さきほどのおかみに尋ねたことと同じ内容の質問を店主にしてみるが、答えは一緒だった。
あとは点在している民家に一軒一軒聞いて回るしかないな、と歩いていたダンベルトの足元にどん!と五歳くらいの少年がぶつかってきた。
「あっ、ごめんなさい!」
泥だらけの顔で謝る少年のあとから、数人の子どもたちが走り寄ってくる。
「大丈夫か?ごめんなさい。僕たち鬼ごっこしてて」
この辺の子どもたちのようだ。ダンベルトは気にしなくていい、とぶつかってきた少年の頭をなでると先ほどの質問を子供たちにもぶつけてみる。
案外子どもというのは好奇心旺盛だから、大人が見逃していることもよく見ていたりする。
「知らない人~?ん~……最近はいないよ。貴族っぽい人も見たことない。でも魔女ならちょっと前までたまに見かけたけど」
「魔女?」
聞き間違いかと思わず聞き直すダンベルト。
「フードのついたマントみたいなのを着ててね、いっつも顔を隠してるの。で、干し肉とか飲み物とかを買っていくんだ。誰とも話さないし、どこから来てるのかも誰も知らないんだよ。だから俺たちは魔女って呼んでたんだ」
子どもだからあまり正確な時期は覚えていないようだったが、話によるとおそらく数か月から半年くらい前まで、時折姿を見せていたらしい。
一人の少女が小さな手をおずおずとあげて話し出す。
「私、顔みたよ。帰るときにフードが風で落ちてちょっと見えたの」
中でも一番年下であろうその少女をできるだけ怖がらせないように、ダンベルトは大きな体をかがめて尋ねる。
「どんな顔だった?髪とか目の色とか」
少女はう~ん、と考え込みながら「よく見えなかったの、一瞬だったから。すぐフードかぶっっちゃったし」と目を伏せる。
「でも!お姉ちゃんだったよ。明るい茶色の髪にかわいいリボンしてたもん。水色の」
一瞬ダンベルトの脳裏に、ラルベルの姿が浮かぶ。
初めて会った時、ラルベルは長い蜂蜜色の髪をひとつに束ねていた。水色のリボンで。
こんな物騒な事件とラルベルが関係しているはずもなく、浮かんだ顔を振り払うように、ダンベルトは子どもたちにポケットに入れていた菓子を配って礼を言う。どこかにまた元気に走り去っていく子供たちを見ながら、ダンベルトは海猫亭で今日も笑顔で働いているであろうラルベルに思いをはせた。
部下たちも家々を回って聞き込みをするも、これといった情報はなくひとまず町を後にして港へと向かう。
最近の港の様子や他国から入ってくる情報などを聞き込むも、やはり不審者や関係のありそうな話は聞こえてこない。
ダンベルト一行は、その日は港の小屋を寝床代わりに借りて朝を待つ。
打ち寄せる波の音を聞きながら思い出すのは、先日ラルベルとここへ来た時のこと。
初めて出会った時は折れそうなほど細い体で顔色も青白かったのが、今では健康そのものでいつも楽しそうだ。
いつも明るく元気だが、先日海を見つめていたラルベルは、どことなく穏やかで少し大人びた顔に見えた。
会うたびに眩しく変わっていくラルベル。
はじめは迷子の子犬みたいだったのに、今では……。
最近ではラルベルのそばにいると、時折胸の奥から沸き立つような、焼けつくような思いにかられる。
この気持ちが一体何なのかわからず、どうにももてあまし気味だ。
――とにかく今は目の前の任務に集中しなければ。
脳裏に浮かぶその姿を振り払うように、体を横たえて目をつむるダンベルトであった。
その翌日、一行はレテ山を訪れた。
とはいっても深い森に分け入るような装備はない。人が踏み込んだような形跡や異常はないかだけを簡単に調査して立ち去る。このまま装備の備えがない状態で山に入っても、部下を危険にさらすだけだ。少し予定は早いが町へ戻る旨を部下に伝えるダンベルト。
その前に一度ゴーダに戻り、グンニルの屋敷に報告にいかねばならない。
またあの狸に会うのかと思うと憂鬱ではあったが、部下を町の外で待たせて屋敷を訪ねる。当たり障りのない挨拶を済ませて町を出ようとしたその時、なんとはなしに給水塔に目を止める。
――あの給水塔の奥に、何か見えたような。黒い箱のような……。
戻って確認しようかとも思ったが、調査終了の挨拶を済ませてしまっていたため、次回に回すことにする。
まずは町へ戻り、装備を整えてからレテ山の捜索に当たることになりそうだ。そう考えながら、帰途につくのだった。
その様子を、グンニルが屋敷の二階の窓から狡猾な目でじっと見つめているとも知らずに――。