第18話 稽古の様子
早朝。とある一軒家の庭では、固い物同士がぶつかる音が連続して鳴っていた。
手合いをしているのは、私と師匠だ。
私は刀を握りしめ、師匠は何の変哲も無い木刀を持っていた。
一見すると、有利なのは私の方だ。
でも、押されていたのは私の方だった。
何度斬っても、簡単に攻撃を去なされる。
ぶつかり合って甲高い音はしているのに、不思議と全く手応えがない。
例えるのなら……流水を斬っているような感覚。
……その感覚は、刃を交わす度により明確になっていた。
こんなものにどうやって傷を付ければ良い?
その気持ちが大きくなり、それは焦りを呼び、混乱を招く。
「集中を切らすな!」
「──ぐぅぅ! っ、はい!」
師匠の放つ剣閃が、私を両断せんと振り下ろされる。
それを間一髪のところで反応し、しかし受け止めきれずにバランスを崩した私は、距離を取って立て直すため、後ろに跳躍する。
でも、相手がそれを許してくれない。
私が着地するよりも速く動き、一瞬で距離を詰められる。
「っ、がはっ……!」
──やばい。そう思った次の瞬間に、私の体は宙を舞っていた。
視線を地上に戻すと、師匠が片足を高く上にあげていた。剣のことに集中し過ぎて足元の注意を疎かにしてしまったせいで、私は蹴り飛ばされたのだと理解する。
師匠はゆったりとした動作で首を傾け、木刀を構える。
きっとこのまま落ちたら、私はあれに串刺しにされる。つまり、待っているのは『死』だ。その恐怖が身を支配し、私の脳は生きるための行動を必死に模索する。本能が体を動かす。
「ぁ、あああああっ!!」
私は吠え、空中で体を回し、突き出される木刀の切っ先を間一髪で回避する。
「──ほう?」
今後は師匠が下がる番だった。
「くっ……! はぁ!」
私は着地と同時に駆け出す。
速度を活かして威力の上がった攻撃は、確実に師匠のガラ空きな腹部を突いたはずだった。
「おっと……あぶねぇ、な!」
師匠はくるりと身を翻して回避し、その回転力を殺さぬまま蹴りを放つ。
絶対に当たると思って放った一撃は呆気なく避けられ、直撃を受けたのは私の方だった。
巨大な鉄球の追突を真正面から受けたような衝撃が私の体に襲い掛かる。何度も地面をバウンドし、庭を越えて家の柱に背中から叩きつけられる。
師匠の小さな体のどこから、そんな威力が出せるのか。
そんなの考える余裕なんて無かった。
「げほっ、ごほっ──っ!」
すぐに刀を持ち構えようとしたところで、手元のそれは弾かれる。
妙にゆったりとした動きで宙をくるくると回る刀。首元に突き付けられる師匠の木刀。
勝敗は──決まった。
「参り、ました……」
「おう、またオレの勝ちだな」
師匠は木刀を霧散させ、どっかりと地面に腰を降ろした。
私も刀を鞘に戻して、座り込む。
「最後、どうして集中を欠いた?」
「ちょっと、考え事をしていた」
「ほう? どんなだ?」
「…………」
「言いたくない、か。……まぁいい。次からは気を付けろ」
師匠は興味が無さそうに、そう言った。
「師匠、私はどうだった?」
これは勝負が一区切りついた時、いつも聞いていることだ。
自分では何が悪かったのかわからない。だから師匠に聞いて、直すべきところを勉強する。師匠もちゃんと見極めて細かく教えてくれる。どうやら私は、学習力が良いらしい。師匠が褒めてくれた。
「まだ剣を振る時に無駄な力が残っているな。お前は筋力が無いから、力で振ったところであまり意味は無い。むしろ剣筋がブレるから逆効果だ」
「でも、力を入れなきゃ斬れない」
「オレは無駄な力と言ったはずだ。最低限の力は必要だ。本当に攻撃が当たると思った時、一瞬だけ力を込めろ」
「それ以外の時は?」
「力を抜け。リラックスをして、全てを受け止めるのではなく、全てを流すつもりでいろ」
「……?」
受け止めるのではなくて、流す?
どういうことだろうと首を傾げていると、師匠は言葉を変えて教えてくれた。
「つまり『カウンター』を狙えってことだ」
「おお、なるほど……」
「お前は攻めに向いていない。小さいから受けでもない。だから流す。とにかく相手が隙を晒すまで、攻撃の全てを流す。そして最後の一撃で勝負を決めるんだ。その時にだけ全力を出せば良い」
「……難しそう」
カウンター。
言葉は簡単だけど、それを可能にするにはかなりの技量が必要になる。
「ああ、難しいだろうな。それを可能にするには、十分な技量と身のこなし、体幹。そして経験が必要になる。お前は獣人だから身のこなしは十分だ。体幹も鍛えれば、それなりに良くなるはずだ。技量は着々と上がっているから焦らずにやれば問題はない」
「でも、流すってどうすれば?」
「それが経験だ。とにかくオレが攻撃を叩き込むから、それを流せるようになれば良い。要はやって覚えろってことだな」
無茶苦茶だと思うと同時に、納得もしてしまう。
いくら聞いても、いくら脳内でイメージしても、結局はやってみることが一番だ。
「さて、と……」
師匠はおもむろに立ち上がり、木刀を持った。
「そうと決まれば善は急げだ。やるぞ」
「待って師匠。まだ疲れが」
「やるぞ」
「…………はい」
師匠が一度やると言ったら、私は逆らえない。
疲れた体に鞭打ち、刀を掴む。
「よろしく、お願いします」
「おう、じゃあ──いくぞ」
その瞬間、私は幻覚を見ているような感覚に陥った。
私の目には、師匠は剣を一回だけ振ったように見えた。
でも、不思議とその線が十倍に増えていた。
師匠は言った。
とにかく流せ、と。
……うん、わかる。
流せば良いのはわかった。
それが私の勉強することで、強くなる上で絶対に必要なことだ。
師匠の言うことに文句を言うつもりはない。
師匠のやり方に不満はない。
でも、これだけは言わせてほしい。
──これをどうやって流せと?
「ごふっ……!」
混乱して硬直していた私に、十の斬撃が襲いかかる。
勿論、避けることも叶わず、私は全てをこの身一つで受けた。
一瞬で意識が刈り取られそうになるのを気合いで踏ん張り、本当の限界が来る前にこれだけは言っておきたかった。
「師匠……ひどい」
そこで限界が来た。
私は全身から力が抜け、うつ伏せになって倒れ込む。
「もう、無理ぃ……」
視界が一気に白くなり、私はその意識を手放した。




