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第14話 英雄の救い

 夜、オレは窓の(ふち)に腰掛け、本を読んでいた。


 別に何を思ったというわけではない。

 ただ目が覚めたから、時間を潰すために本を読んでいる。


「……静かだな」


 オレはポツリと、そう呟いた。


 夜なのだから当然のことだと言われればそれで終わりだが、やはり静かだ。

 中央区は立ち入ることの出来る人が制限されているというのもあるが、それでも街中の賑わいは聞こえてくるものだ。だが、今はそれが全く聞こえない。まるで別世界に来てしまったかのような感覚に陥る。


「だがまぁ……悪くはない」


 騒がしいのはあまり好かない。

 オレ達の国が賑わっているのは良いことだと思うが、リフィやマギサ達のようにお忍びで遊びに行こうとは思わない。……任務以外で動くのが面倒ってのもあるが。


 ──コンコンッ。


 寝静まる街の風景を眺めていた時、自室の扉を誰かがノックした。

 コノハは寝てしまった。……となれば、考えられるのは一人だけ。


「入っていいぞ」


 ゆっくりと扉が開かれ、中に入って来たのはリーフィアだった。

 途中まで読んでいた本に栞を挟み、立ち上がる。


「こんな夜遅くに何の用だ?」

「うん……ちょっと、ね……」

「はぁ……座れよ」


 オレはベッドに座り、リーフィアを招く。

 やましい気持ちがあるのではない。オレの部屋には最低限の物しか置いていないので、椅子がない。だから座る場所はベッドしかないのだ。


「失礼します」


 リーフィアもそれをわかっているので、すぐにベッドに座って来た。

 ……だが、いつもと異なる点があった。


「近い」


 いつもは少し間を空けて座るのに、今日はぴったりとくっついて来た。

 しかもオレの体に手を回し、ぎゅっと抱きついてくる。


「……どうしたんだ?」

「…………何でもない」

「何でもないことはないだろ」


 いつもは過激なスキンシップをしてくるが、こうして夜中に訪問して来て抱きついてくるのは初めてのことだ。


 ……考えるまでもなく、コノハのことだろうな。


「お前、コノハに何か言ったろ?」

「…………言っていないもん」

「嘘つけ。あの後、オレが部屋の掃除を終えてから、あいつの態度がどこかよそよそしくなりやがった。執拗にお前のことをチラチラ見るし、おかしいと思わないわけがない」

「……認めない。きっと不幸になるって言った」

「誰がだ?」


 そう言うと、リーフィアは「ん……」とオレのことを指差した。


「オレか?」

「…… (コクン)」

「どうしてそんなことを言ったんだ?」

「コノハちゃんが居れば、ルーちゃんは遠くに行ってしまう。私の手の届かないところに行ってしまう。そう思って……」

「コノハをオレから遠ざけようとしたのか」


 リーフィアは口には出さず、だが微かに頷いた。

 案外子供っぽいところがあるんだなと、オレは微かに笑い、そして「はぁ……」と溜め息を吐いた。


 ……本当に困った相方だ。


 コノハは己のことを過小評価してしまう癖がある。

 例えば奴隷という理由だけで変に遠慮したり、村の家族や仲間が全員死んだのは自分のせいだと塞ぎ込んだり。素質や見込みがあるからコノハを選んだというのに、自分には何の力も無いと思い込んでしまっている。

 オレがフォドソンでやった『死を乗り越える訓練』は、普通の奴にはまず出来ない。それを乗り越えるだけでも、十分な素質があるのに、まだ始まりにすら立っていないと思っているのだろう。


 だからまずは自信を付けさせる。

 そう考えていたんだが……リーフィアのおかげで台無しだ。


 これのせいで余計に塞ぎ込み、本当にオレの手元から離れて行ったらどうするんだ?

 確かに、リーフィアの危惧していることは起こらないかもしれない。だが、オレはまた新しい弟子を探すだけだ。先延ばしになるだけで、解決には至っていない。それをリーフィアは理解しているのか?


 ……と言っても、こいつは聞かないんだろうな。


「ルーちゃんは何処かに行っちゃうの?」

「……何言ってんだ。お前を置いて何処かに行くわけ──」

「嘘つき」

「…………」


 はっきりと口にされた言葉に、オレは次の言葉を言えなくなっていた。


「すまん」


 その代わりに出て来たのは、謝罪だった。


「ねぇルーちゃん」

「なん──って、おい」


 何だという前に、押し倒される。

 オレが下で、リーフィアがそれに覆いかぶさる形だ。


 力づくで拘束から逃れようかと思ったが、それは叶わなかった。

 ……間近に迫るリーフィアが、今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。


「ひでぇ面だ」

「……誰の、せいよ」

「ああ、オレだな。だから……すまん」


 リーフィアの目元に浮かび始めた雫を、指で拭き取る。


「ルーちゃん。私を置いていかないで。あなたの居ない世界なんて、私には意味が無いの。だから、行くのなら私も連れて行って」


 顔を真っ赤にさせながら、リーフィアは懇願した。

 彼女なりの決心だったのだろう。オレを抑える両手は震えていて、いつもの美しい顔はくしゃくしゃで台無しだ。


 リーフィアがここまでオレのことを慕ってくれているのは、正直嬉しいと思う。

 ずっと今まで……英雄になる前から共に歩んで来た二人だ。オレもこいつからは離れたくない。


 だが────


「ダメだ。お前を連れては行けない」


 だが、オレははっきりと否定の言葉を口にした。


「お前は絶対に来ちゃダメだ。お前には……まだ早い」


 それを聞いたリーフィアは喚くようなことをせず、ただ静かに瞠目する。

 思っていたことが当たってしまった。出来るならハズレであって欲しかったという願いが、見事に打ち砕かれたような表情だ。


 永遠にも感じられる静寂の時間。

 ようやく目を開いたリーフィアは、オレのことを一心に見つめた。


「やっぱり……やっぱりルーちゃんは、()()()()()()()()()()()

「…………ああ、そうだ」


 オレは包み隠さず、真実を肯定した。


「オレは死にたいんだ。こんな世界……永遠の寿命で生きていたって意味は無い。だからオレは死にたい」

「だから私を置いて行くの?」

「お前は、オレと違ってこの世界に必要だ。それはお前が今までやって来た功績を見れば、明らかなことだろう? お前はこっちに来ちゃダメだ。絶対に連れて行かせないし、来させない」

「私に、あなたの居ない世界を生きろって言うの?」

「ああ、そうだ。酷なことを言っているのは理解して──」

「だったら! だったら、行かないでよ……また私を、独りにしないで……!」


 リーフィアは子供のように泣きじゃくる。

 それは紛れもない彼女の本心で、ただ一つの願いなのだろう。


「リフィ……わかってくれ。オレの手は、もう汚れ過ぎた。殺すことでしか解決して来なかったオレの手は、もう血だらけなんだ」


 洗っても洗っても、手に付いた敵の血が流れないようになった。

 それでもオレは、殺すことしか才能がなかった。大切な人を守るため、オレの信念を貫くため、殺すしか出来なかった。


「オレは英雄に相応しくない。もっと優しくて、皆を平等に愛せて、常に最適な決断を出来るような奴が英雄に相応しい」

「ルーちゃんだって……!」

「違う。オレは英雄の器じゃない。オレは間違え続けた。それで半端な力を持ってしまったから、オレは『偽りの英雄』となってしまった」


 この世に生まれ落ち、英雄になったその日からも、オレは間違い続けた。

 思い返せば、殺す以外の手段もあった。話し合いなどの平和的解決可能だったはずだ。だが、殺すほうが楽だ。面倒だという理由で、オレは殺すことを選択し続けたんだ。


 そんなオレの願いは、昔からただ一つ──誰かにこの地獄を断ち切ってほしい。

 ただそれだけのためにオレは戦い、殺し、そして今までやって来た。怨嗟が積もれば、負荷となった怨嗟の炎はその身を焦がし、オレは救われる(死ねる)


 そしてオレは弟子を取った。

 英雄の後継にするためじゃない。

 オレを終わらせるためだけに、コノハを弟子にした。


「嫌だよ……嫌なんだよルーちゃん……! 私はそれでも、あなたと一緒に居たい。あなたの側に寄り添い続けて居たい! 離れるなんて、嫌だよ……」


 嗚咽の混じった少女の声。

 それは『六英雄』のものとは考えられないほど弱くて、微かに揺れるロウソクの灯火のように、いつしかフッと消えてしまいそうだった。


 オレはリーフィアの背中に手を回し、優しく抱き寄せる。


「ごめんな。リーフィア」

「う、ぁあああん! ルーちゃんの馬鹿っ、ばかぁ……! 大好きなの。私はルーちゃんが大好き……だから、死なないでよ。一緒に居てよ。私を独りにしないでよ。……生きて、よぉ……!」


 オレは何も言えなかった。

 一度決めたことだ。中途半端な返答はしたくなかった。


「……ごめんな」


 大粒の涙を流すリーフィアを抱きしめ、オレはただ謝罪の言葉を繰り返す。


 ……オレには、それしか出来なかった。

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