第10話 初めての体験
師匠のことだから稽古はまだ続くのかと思った。
でも、意外なことに今日の稽古はこれで終わりとなった。
「死を乗り越えるってのは、想像以上に困難なものだ。まだ気力は大丈夫と思っていても、お前の体は限界が来ているだろうよ。その状態で訓練しても効率は良くない」
それが師匠の言い分だった。
「それに、今は稽古より先にやることがあるしな」
「……?」
私はその言葉の意図がわからず、首を傾げる。
「おいおい、稽古の前に約束したことを忘れたのか?」
「もしかして……師匠のこと?」
私が本当の意味で師匠の弟子になったら、師匠が何者なのかを教えてもらえる。
今回の稽古で、私は死を乗り越えることが出来た。それはつまり『弟子』になれたということなのだろう。
「驚いた……正直、忘れていると思っていた」
「オレは一度約束したことは忘れない。……半端なことは嫌いなんだよ」
師匠は態度も口調も捻くれているけど、根は正直者だ。
約束は覚えてくれているし、一度救ってくれた私のことを、こうして面倒を見てくれている。
「やっと師匠のことを知れる……」
「っと言っても、説明が面倒だからな。説明は帰ってからだ」
師匠は私に「ギルドの前で待っていろ」と伝えてから、職員と何処かに行ってしまった。
ちょっと職員に用事があるとも言っていたけれど、何をするつもりなんだろう? ギルドで重要な立ち位置にいる職員を、当然のように脅す人だ。何をするつもりなのか気が気ではない。
「おう、待たせたな」
「ぴゅい!」
ただ待つこと数分、ようやく師匠がギルドの横から姿を現した。その頭にはスラさんが鎮座していて、元気よく触手をブンブンと振っている。
「師匠、後ろのそれ……何?」
そんな師匠が引き連れていたのは、大きな荷台とそれを引く巨大な竜種だった。
「これか? これは『竜車』だ。馬車よりも速く走れるんだぜ? その代わり借りるには手続きが必要でな。それに時間を食っちまった」
そう言ってペシペシと竜種を叩く師匠。
竜は高いプライドを持っていて、従えることは極めて困難だと聞いていたけれど、まさか馬車ならぬ竜車があるとは驚きだった。
「でも、なんでそれを?」
後は帰るだけだ。ギルドから宿まではそう遠くない。普通の速度で歩いて5分ってところだ。それなのにどうして竜車なんて借りて来たんだろう?
「ああ、言ってなかったな。オレ達が帰るのは宿じゃない。オレのホームだ」
「……? ここじゃないの?」
「ここにはとある用事があったから寄っただけだ。それが終わったから帰る」
師匠はその用事について教えてくれなかった。
つまり、私が聞いたところで意味はないということなのだろう。
「帰るって、どこに?」
「ネクトフリーデンって国だ。田舎者のお前でも、少しは聞いたことがあるんじゃないか?」
『ネクトフリーデン共和国』。通称『英雄国家』と呼ばれている国だ。
名前がそれなだけあって、『六英雄』の全員がホームにしている場所であり、そのうちの一人『メティス』様が統治されている。そのため沢山の人がそこに集い、いつしかそこは最大規模の国家となった。
もしかしたら英雄様に会えるかもしれない。
そんな可能性を願って連日人が大勢集まり、そのおかげでお金も潤っているらしく、何不自由の無い生活が出来ているらしい。
そこをホームにしていることは他人に自慢出来るほど凄いことで、そこに住むことは憧れでもあるらしい。
今更師匠がそこに住んでいると言っても、ただ「ああ、やっぱりな」と思うだけで、驚きはしなかった。
「ほら、乗れ」
荷台に設置されている椅子に腰掛け、師匠はゆっくりと竜車を出発させる。
乗り心地は悪くない。むしろ竜の力に耐えられるだけの耐久力と性能を設定されているため、とても快適だった。幅も広い。足を伸ばしても十分空きがあるし、大量の荷物を運ぶことだって出来るだろう。各地を渡り歩く商人には重宝しそうだ。
──と思っていた頃が私にもあった。
「師匠……! 止まって!」
私は悲痛に叫んだ。
「あぁ!? なんだって?」
でも、私のお願いは師匠の耳に届かなかった。無視されたわけではない。本当に聞こえていないのだろう。
……その理由は、竜車にあった。
竜の力は凄まじい。それはもう人なんて簡単に潰してしまうほどだ。
それが全力で荷台を引いたらどうなる? ……そんなの、考えればすぐにわかることだった。
街の関門を超えるまでは良かった。広い道に入ってからが問題だった。師匠の操る竜車は一気に速度を上げ、あっという間に馬車が出せる何倍もの速度となった。
掴まっていないと簡単に振り落とされるくらい激しく動き、ちょっとした石に躓いても人一人分は宙を舞い、着地の際は衝撃が容赦無く体を打つ。
……おかしいとは思っていた。
すれ違う人々は、竜車に乗る私達のことを変な目で見ていた。不思議そうに、そして哀れな者を見るように。……でもそれは、竜車が珍しいからなんだと思っていた。
そして、今になってそれの感情を理解した。
──あの人達は本当に私のことを哀れな目で見ていたのだと。
それに気づいた時には、全てが遅かった。
ドドドドドドッ! という轟音を立て、砂煙を撒き散らし、大地を轟かせながら竜車は地を走る。
「痛いっ!」
竜車が大きく弾む。受け身なんて取れるわけがなく、お尻を強く打った。でも、それに文句を言う暇はない。今はただ竜車から落ちないよう、必死に竜車に掴まるのみだ。
「師匠、死んじゃう! これ、死んじゃう……!」
「あっはっはっ! 楽しいなぁおい!」
「ぴゅい!」
師匠は豪快に笑い、スラさんもそれに同調したように鳴いた。
私は死を乗り越えた。恐怖にも耐性がついた。あれ以上の恐ろしさは、そうそう無いと思っていた。
でも私は、確実な死を予感していた。それこそ自分の力ではどうしようもないような、抗いようのない──死。
唯一助かったであろう方法は、竜車に乗らないことだったのだろう。
つまり……手遅れ。
今私に出来ることは、『ネクトフリーデン共和国』に辿り着くまで、ただひたすらに耐えるのみだ。
「おいトカゲェ! もっと速度上げろ!」
師匠はそう言って鞭をしならせる。
「グルォオオオオ!!」
「〜〜〜〜っ!?」
私は声にならない声を上げる。
竜車はすでに許容出来ない速度にまで到達していた。
荷台は不可に耐えきれず、ミシミシと嫌な音を立て始める。揺れはもう意味がわからないくらい激しくなっていて、今がどうなっているのか理解することも難しい。
「もっと、もっとだ! おい、スラもなんか言ってやれ!」
「ぴゅいぃいいいいい!」
「あっはっはっ! あーっはっはっはっ!」
「いやあああああああ!?!!?」
私は、二度と竜車に乗るもんかと心に誓うのだった。
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