人口は今の10分の1で世界を構築するんだってこと
昔、仕事である街の人口推計をやったことがある。
表計算がやっとこビジネスの現場で定着し始めた時代で、専門家の人からこんな具合に組めば楽だよと教えてもらって、何とかかんとか2時点の国勢調査結果を表計算の所定の欄に放り込めば、50年先くらいの人口ピラミッドくらいまで作れるようになった。
人口の変化を推定して、政策を考える。現代の政治・行政に、実はこれって不可欠で、統計行政が重要だといわれるのも、そこんとこが大切だからなわけだ。
さらに言えば、創作の世界でも、案外重要だったりする。
実際、戦国時代の関東地方をベースにR-18で『九尾の狐の戦国史』を展開しているのだけど、あまり血肉が飛び散る激戦は頻繁にはできないな……と思っている。
なぜかと言えば、実のところ、戦国時代の日本全国の人口は現代の10分の1程度しかないのだ。
もちろん諸説あるのだが、過去に調べたところでは、江戸時代初期の日本全土の推計人口が1000万人~1800万人。
仮に1500万人として、日本全体で内戦をやっていた時代が、それを上回るとは思えない。いいとこ、1300万人程度だろうと考えれば、現代の1億3000万人の10分の1という訳だ。
大雑把にいうと、江戸の太平の間に日本の人口は3000万人に増え、明治から太平洋戦争までの近代化過程で7000万人に増え、現代は1億3000万人に達して、やっとこ人口減少段階に達したというところなのだ。
中世世界で戦乱の時代を描こうとおもったら、人口は10分の1くらいだ……
こういうことを頭に入れると、あまり考えずに万単位の軍勢を動かしたり、これが一気に殲滅されちゃうような派手な合戦や策略をやっちゃうと、それだけで人口規模と辻褄が合わなくなってしまうことに気づく。侍がやたらと多い。兵の補充がつかない。つけようとすると、農業が崩壊する。農業が崩壊したら、地域自体が成り立たない。そういうことになるわけだ。
現代の関東地方に住んでいるとまったく想像できないだろうが、戦国時代当初の関東は古河公坊のいる現代の古河市とが栄えていた他は、まったくの田舎町だらけだったと言ってよい。ほかはせいぜい衰退期の鎌倉と勃興期の小田原が目立つくらい。武の本場だったのは、生活環境が苛烈ゆえと考えられる。
ところが、自分が書いた『氷室郡戦役顛末記』でモデルにしようと当初の想定した地域は、現代では人口50~60万人ほどを抱えている。そこに住んでいる友人は、車がなければ不便なだけの田舎だと自嘲するが、自分の出身の田舎に比べれば、遥かに開けた都市であり、現在のそこの地域の様相は、まったく参考にならないことがわかった。自分の出身の街だって、元は人口10数万はいて、郊外の田園部を思い浮かべて、ようやっと人口の希薄さのイメージが追いつく。
そうやって二転三転で決めた北武蔵という地域は、『のぼうの城』が参考になったが、忍城の動員戦力は侍が1000人(半分は小田原城に動員された)で、百姓まで籠城させて5千とか6千という規模だった。しかし、これで野戦を描こうと思うとちょっと侘しい。
成田氏が北条征伐後に秀吉に許されて大名に復帰した時の石高は3万石というところだから、これを起点に考えて、せめて2〜3倍の動員戦力はほしいな〜と思い、『氷室郡戦役顛末記』の動員兵力と人口の基礎的な考えにした。
それで二郡を合わせればだいたい人口3〜4万人くらい。そのうち侍は2家合わせて7000人くらい。それでも多いと思ったが、町方の一部を除けば、ほとんどの侍は半農で百姓との境界も曖昧。一組の夫婦が6人の子供を持ち、そのうち3、4人くらいが成人まで生き延び、70歳という年齢は希として珍重される……そういうイメージでいけばよいのだな〜という具合。
では、これをどうすれば、他の地域と比べて優位になっていくのだろうか……と考えていくと小説のアイディアに突っ込めるw それこそ、経済政策、産業政策、社会政策を政治家や行政職員のように組み立て、何がボトルネックになり、どうすれば隘路が開けるのかを考えるわけだ。
そして、ファンタジーを俺なんかが書いていて楽しいのは、魔法を戦闘技術ではなく……おや? 何でこんな時間に宅配便が? しょうがない。この話の続きは、いずれまた……