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フリーエッセイ  作者: 西新
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第一話

わたし、西新(にししん)の心の中にはわたし以外に50人ほどの他人がいる。

そういうのは「解離性同一性障害」や「多重人格」と呼ばれる病気らしい。

でも自分ではそう思ったことはなく普通の人間の多面性が独立した程度にとらえている。

記憶はなくなってしまうけども日常生活で困るのは他人との約束が守れないことくらいなので、特にほかのことでは問題はない。

他人との約束が守れないのはメモをしておけばいいだけのこと。


「ちょっとふっくん、あなたまた勝手に醤油を使ったでしょ! 調味料って高いんだからね!」

『知らねぇし……他のヤツだろ。だって俺、昨日一回も出てない』

「え……?」


お互いに出ている時間の記憶しかないので、こういうこともありますけども。

だけどお互いに会議はできるしメモも取ってくれる従順な人格ばかりなので日常生活を送る分に困っているのは約束が守れないことだけ。

それじゃ「障害」ではない。

「障害」となると本当にその症状で困っている人だから。約束が守れないことなんて困っているうちにも入らない。

わたしがぐうたらなだけだと言われたらそれまで。

子どもも育ててるし、仕事も普通にやってるし、もし障害だとしても恵まれたほう。


仕事を始めてから症状が牙をむいたので、職場はこの事実をしらない。

仮にしったとしてもどうにもできないだろう。なので黙っておくことにしている。身体もあまり強くないのでそちらは伝えたけれど、仕事柄身体が弱いのはどっちでもいいらしい。

上司には「仕事が仕事なんだから趣味を楽しむな」と言われている。

なのでわたしの趣味は基本的に非公開。創作活動もやってるけどこのエッセイもどき以外は基本的に誰にも見せていない。


仕事というものはお金を稼ぐわけで、学生はお金を払うわけで。

この違いは大きい。学生はまだ守ってくれるものがあるけれど、社会人になると途端に自分の身は自分で守れとなる。そんなこと、ぬるま湯につかっていた学生ができるわけがないだろう。

わたしは自分の人生をぬるま湯だと思っている。

母方祖父母以外の両親や親戚の顔は知らないけれど、それでも短大まで出られたのだからありがたい。小学校から先の学費は自分持ちだったけども…。


「いってきまーす」


今日もわたしは心の中に同居している他人に支えられながら生きている。

わたしはまだ障害者としては幸運なほうだろう。

この幸せに感謝しながら、それを他人に面白おかしく語れる技量がほしいといつも願うのだ。

病気や障害の深刻さは人によって違うので、わたしは幸せにとらえたが友人は不幸にとらえているところもあり、それは本人の性格や置かれていた環境に左右されることをお忘れなく。

ほんとうにわたしは「楽天家」なんだろう。だから子どもも育てられているわけだ。

こんなわたし「西新」と、子ども「世田谷(せたがや)」と「桜新町(さくらしんまち)」との日常をつづっていこうと思う。

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