サンサーラの輪の外で
読んでいただけた方に限りない感謝を
私は吸血鬼と呼ばれている。
でも、血を吸ったのなんて数えるくらい。
みんな永遠の命を求め、その願いに応じて吸ったものばかり。
だけれども、私と共に過ごしてくれる者は居なかった。
皆、吸血や暴力衝動に負けて魔物になってしまったから。
だから、この地底の奥底で、悠久の時を魔物たちと共に生きる。
そう決めたのだった。
男が一人、私の住むダンジョンの最下層までやって来た。
どうせ誰も私の事を殺せはしない。だって私は不死者。
太陽の光ですら、私の身体を焦がす事すら出来なかったのだから。
かれこれ数百年はそのままの姿勢でいた身体を石造りの玉座から起こす。
「なぜ、私を斬ろうとするの。」
「それが俺の使命だからだ。」
「使命って? 」
男は、ここでは無い別の世界で罪を犯していた。
この世界に転生する事を望んだ。
「貴方は、この世界で輪廻の輪から外れた者を救わなくてはなりません。」
転生する時、そのような事を言われたらしい。
女神とは思ったが、姿も声も聞こえない。ただそんな意志だけが流れ込んで来たと言っていた。
だから、男は輪廻の輪から外れた者を滅ぼし続け、そして最後に私の下へ来たのだった。
*
「私を殺してくれるなら、お願い。」
話を聞いて私は答える。
既にこの世界で生きた時間は、自我を持つ者にとって長すぎた。どれだけ生きたかすらももう解らない。2000を過ぎた辺りで歳を数えるのは止めたし、
この陽も差さないダンジョンでは、どれだけ日が過ぎたのかも分らない。
だからこそ私はこの玉座から動く事は無かったのだ。
自分の罪だとはいえ、この辛さはもう耐えきれるものでは無かった。
男はゆっくりと近づいて来る。
この苦しみがやっと終わる。
そんな期待を胸に、痛みが訪れるのを待った。
「なあ。何故そんなに寂しそうな顔をしている。」
だらりと手に持っていた剣を下げると、男は質問を投げかけて来た。
「寂しい? 私が? 」
「…ああそうだ。そんな顔をしている奴は俺には斬れない。」
男は首を振りながらがっくりと肩を落とす。
そして剣を放り投げると、私を抱きしめたのだ。
「なぜ…お前はそんなに似ている…。」
そんな事をつぶやきながら、男は私を抱きしめて泣く。
一体どれくらいぶりだったろう。私は人の体温を感じてその逞しい身体を抱きしめ返す。
暖かい身体と、心臓の鼓動の音、そして息遣い。
その全てが私の凍てついていた心を溶かして行った。
*
それからその男は数日を置かずして、ここまでやって来るようになった。
その逢瀬の時間が、私にとっての全てだった。
男が来ない時には、私の存在は有ってないようなものだもの。
だが、私と男の間に流れる時間は、徐々に開いて行ってしまっていた。
「なあ。俺が居なくなったらどうする。」
突然男が聞いて来た。
既に髪にも白いものが混じり、声ももう掠れてしまって来ている。
「どうにも…。またここで永遠の時間を過ごすだけ。」
努めて冷静な声で話す。頭の隅に追いやって考えないようにしていた事だったから。
「そうか…。」
男はそれだけ言うと、話さなくなった。
その日を境に、男がこの玉座の間を訪れる事は無かった。
*
それから十数年が経った。
男が一人、私の住むダンジョンにやって来た。
「なあ。またそんなに悲しそうな顔をしているのか。」
その若い男は、私の顔を見るなりそう言って笑う。
「もしかして…あなたなの…? 」
「ああ、そうだ。待たせてしまって済まない。」
私は玉座を駆け下りて、男に縋りつく。
涙がもう止まらなかった。止められなかった。
それからまた、彼との数日置きの逢瀬が続く。
だって彼は生きている人間だから。私と違って物を食べないと生きて行けない。
そうしてまた時間が過ぎ、彼は老いて行く。
「また来るよ。」
しわくちゃになった手を私の手に重ねると、彼は笑って去って行った。
*
また、十数年経って彼が戻って来た。
それから…一体何度そんな事を繰り返したか解らない。
ただ、一人で居た時のような寂しさを感じる事はもう無くなっていた。
彼とこのまま永遠の時間を過ごす事が出来るのなら、それでいい。
私はそんな風に考えていた。
いや、考えてしまっていたのだった。
*
「なあ。お前に血を吸ってもらえれば、お前と一緒に過ごせるのか? 」
彼は急にそんな事を聞いて来た。
「ダメ。吸血衝動や破壊衝動に負けると、永遠に食人鬼としてここを彷徨う事になってしまう。」
「そうか…。」
彼はまた髪の毛がほとんど白くなってしまっていた。
「どうして突然そんなことを言うの? 」
「実はな。こうやって転生が出来るのもこれで最後なんだ。」
「……!! 」
「前世…いや、初めてここに来た時に女神に言われていたんだが、相手を輪廻の輪に戻せたら、俺は赦されてこの転生の輪から抜け出してしまうんだよ。」
「それは…どういう…。」
「次はね。もう記憶も引き継げない。お前の姿も思い出せない。他の魂がするように、別の世界へ転生されてしまうかも知れない。だから、こうやってお前と過ごせるのは、これで最期なんだ。」
「イヤ! イヤ! 聞きたくない! 」
私は耳を塞いで泣きじゃくるが、男は悲しそうな顔をするだけだった。
そう言えば、この男は私と逢っている時は、いつも笑顔で居てくれた。
男の悲しそうな顔を見たのは、初めて会った時くらい。
胸の中で泣いている私の頭を優しく撫で続けていた男は、しばらくするとそのまま動かなくなり、冷たくなって行った。
私は泣き続ける。身体の中に溜まっていた水の全てが流れ出してしまうようだった。
身体から何かが猛烈な勢いで流れ出して行く。
最期に彼は何といっていたっけ。私が輪廻の輪に戻った…?
胸に顔を埋めたまま、そうして彼女も動かなくなっていった。
*
日本のある学校に、私はこの春から通う事になっている。
全て話に聞いていた通りだった。
「今日からこの学校にルーマニアから転校して来た、マリア・ニクラエさんです。」
男は窓の外を興味無さげに見ていた。
これも聞いてた通り。
私は死ぬ前に本気で祈った。また彼に会えますようにって。
その願いは聞き届けられて、私はこの世界へ来ることが出来たのだ。
これから彼は私に出会い、そして恋に落ちる。
そしてある時、私だけが事故に巻き込まれてしまうの。
そしてその事故の原因がとある企業の手抜きだった事を知った彼は、復讐者として人を殺めてしまう。
それが彼の罪だった。
だから私は今からその罪を犯させないようにするの。
例えそれで私の存在が無いものとなってしまっても。
私の罪は、魔法陣の改良を重ねていた時、永遠の若さを遊び半分で願ってしまった事だった。
その為に彼を永遠とも言える呪縛に縛り付けてしまったのも私の所為。
だから、彼と一緒の時間は精一杯幸せになって貰いたい。
だから私は彼に聞いた通りに話しかけるのだ。
「ねえ。あなたどうしてそんな寂しそうな顔してるの? 」
いかがでしたでしょうか。
楽しんでいただけたなら幸いです。