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甘い花束を君に

バレンタインデーSSログ


「……何だかヴィルから甘いにおいがします。チョコレートの匂い」


 ヴィルフリートの恋人は、色々と嗅覚が優れている。味覚は味覚で悪意を感じとるような特別な能力があるのだが、嗅覚もかなり鋭い。

 朝からキッチンに向かった事を一応隠すために換気しておいたのだが、それでもエステルには誤魔化しは効かなかったらしい。


 お昼からやってきたエステルは、ソファに腰かけたヴィルフリートにくっついて肩の辺りですんすんと鼻を鳴らしている。ほんのりと瞳がとろけたのは、甘い匂いがしたからだろう。


「まあお菓子作ってましたからね」


 完成はしてあるしどうせ渡すので、もう隠す必要もないかとあっさり白状すれば納得したような表情に。

 この時点で気付けないので、エステルは今日という日を全く意識していないようだ。普通は女性が気にする日なのだが、エステルには通用しなさそうだ。それはそれでエステルらしいのだが。


「何作ってたんです?」

「強いて言うなら……花?」

「花、ですか?」


 きょとんとした顔にはお菓子を作ったのに花を作ったというのはどういう事だろう、という疑問がありありと浮かんでいる。

 まあヴィルフリートの言い方が紛らわしいのもあるのだが、実際にヴィルフリートは花を作っていた。材料は、チョコレートだが。


「ギリギリ間に合ってよかったです」

「は、はあ……あの……?」

「今日は世の女性が意中の男性にチョコレートを贈る日らしいです。男性は意中の女性に花を贈る日らしくて」


 そう、エステルは全く意識していなかったようだが、今日は女性に細やかな勇気を与える日。意中の男性にお菓子、もっぱらチョコレートを渡す日となっている。

 貴族間ではこういった行事はないのでエステルが知らなくても当然なのだが、庶民の間では恒例行事となっている。チョコレート自体が割と高価ではあるものの庶民に手が届かない訳でもないし、何より特別感がするとの事でチョコレート菓子を贈る事が多い。


 男性はというと、別にもうけられたお返しの日に返すもよし。そして積極的な男子や既に交際している場合は花束を贈るのが通例である。


 やはりというかエステルは知らなかったらしく、説明されてショックを受けている。おそらく、ヴィルフリートが用意しているのに自分は何も渡せない、といった後悔で。


「……ご、ごめんなさい、そんな日があるなんて知らなくて」

「まあ庶民の恒例行事みたいなものなんで。あとあなたに料理させるのはちょっと怖いので」

「ひどい!」

「仕方ないでしょうに、このあいださせたら包丁で指切ったじゃないですか」


 流石にエステルが手ずから作ると言い出したなら、ヴィルフリートは全力で止める自信がある。壊滅的な不器用とは言わないが、料理のりの字も知らない状態でよりによって火加減や混ぜ加減が重要なお菓子作りをさせれば十中八九失敗するだろう。

 段階を経て高度な料理に挑戦するべきであって、いきなりステップアップしようとしても無理なのだ。


 そういった意味での制止なのだが、エステルは馬鹿にされたと思ったらしく「むぅ」と唇を尖らせていた。


「まあ、それはさておき。という訳で、どうぞ」


 微妙にご機嫌斜めなエステルの機嫌を直そうと、ヴィルフリートはキッチンに向かって保冷庫の中に置いていた小さなバスケットを取り出して、エステルの前に差し出す。

 本当ならばブーケ状にしたかったのだが、中々配置が上手くいかないし壊れやすいので籠に入れる事にしたのだ。


 鮮やかな紫の瞳がまんまるになるのを、ヴィルフリートはにこやかに見つめる。


 エステルの瞳にはホワイトやピンク、ライトブラウン、ダークブラウンの色で構成された花が写っているだろう。ヴィルフリートがせっせと数日かけて作った、甘い甘い花の数々が。


「……え、花? でも甘い匂いがする……」

「チョコレートで作ってますからね」

「えっうそチョコレート!?」


 驚きに上擦った声に、頷く。

 チョコレートの特性や凝固のタイミングを掴めば、色々な形に形成できる。動物や無機物もそうだが、あらかじめ設計したパーツ通りにチョコを固めて組み合わせていけば花を作る事も可能だ。

 薔薇のような複雑なものはもちろんチョコレートにシロップを混ぜ込んで手で形成できるようにしてあるが、それ以外はフィルムに伸ばして固まる際に上手く角度をつけたり曲線を描かせたりして上手く組み合わせるようにしている。


 ヴィルフリートも流石にここまで細かい作業は滅多にしないのだが、性格的にこういった地道な作業は好きなので苦ではなかった。


「ちょっとコツと工夫が要りますけど、慣れれば出来ますよ」

「……すっごく手間がかかってる気がします……」

「あなたは花より甘いものがいいかと思いまして」

「……食いしん坊扱いして」

「はいはい。でも、あなたのために作ったので食べて欲しいです」


 インパクトは抜群だったが、味はどうだろうか、といえばほぼチョコレートなので味も何もない。チョコレートの素材の味がまんま出るだろう。

 もちろん無駄にある給料でいいものを購入してあるのでエステルの口にも合うものだと思うが。


 エステルを促したものの、エステルは繊細に作られた花弁を眺めるだけで一向に手を伸ばさない。食べたくない、ではなくて、躊躇っているのだろう。

 物欲しげに見ているのに手を出せないエステルに、作った側としては嬉しいやら食べて欲しいやら。


「……うー、もったいないですこんなに綺麗なのに」

「まあ保管さえ間違えなければしばらくは見ていられますよ、大体がチョコレートですから。……それでも食べなさそうですね?」

「だって、こんな綺麗なのに……食べたらなくなっちゃいます」


 食べ物をあげるという事は、物としては残らないという事になる。

 それはそれで味気がないと分かっていたし寂しいので、エステルのしょげたような声に苦笑して懐から小さな包みを取り出す。


「ですから、残るものも差し上げます」

「え?」

「どうぞ。といっても、大したものではありませんが」


 包んでいた紙から取り出し、エステルの掌に乗せる。

 ちょこんと乗ったのは、赤地に銀の糸でアクセントに小さな花を刺繍したリボン。手触りこそそれなりに良いが、ドレスや盛装にはあまり向かないであろう素朴さが強いものだ。それでもエステルの美貌の側ではよい引き立て役になるだろう。


「……リボン、ですか?」

「これなら残りますし、あなたの髪は長いですから 使いやすいかと思っ……うわっ」


 説明をしていた側から抱き付かれて、ヴィルフリートが軽くのけぞるものの、構わずにヴィルフリートの胸に顔を埋めるエステル。

 いつもの事と言えばそうなのだが、今日のエステルはすぐに顔を上げてヴィルフリートの瞳をじっと見つめる。どこか陶酔した風に、愛しげに、溢れんばかりの幸福感を笑みに乗せて。


「好きです」

「ありがとうございます」

「多分、私自分が思うよりヴィルに愛されてる気がします。……こんなにも大切にされてるのに、私、ヴィルにあげられるものがありません」

「別になくても」

「嫌です。でも、私、何も持ってないから……はっ、私をあげればいいのでは」

「却下」


 何だか危険な事を言い出したので吟味する必要すらなく即座に却下してみせると、エステルが不満も露にヴィルフリートを見上げる。

 ぷくっと膨らんだ頬の愛らしさに苦笑すると、それが余計に気に食わなかったらしく胸をぽかぽかと殴ってきた。痛みは全くないので本気ではないのだろうが、不機嫌さはやや強くなっている気がする。


「何でですか! 要らないのですか!」

「滅茶苦茶欲しいですが、今もらうものでもないので」


 正直な事を言えば、欲しい。

 身も心もぐずぐずに溶かして丸飲みしてしまいたいくらいには、エステルに惚れ込んでいる。衝動に身を任せたならそれも実行可能だろう。


 しかし、それは今ではないのも分かる。


 丹精こめて愛情を注ぎ続けた甘く繊細な花を摘んでしまうのは、しかるべき時でなくてはならない。


「じゃあいつもらってくれるんですか」

「そうですね、全部片付いて閣下に許可がもらえたらですかね」

「むぅー」

「……もらえるその日になったら覚悟してくださいな」

「いつでも覚悟してますし準備万端です」

「左様で」


 全く意味が分かっていなさそうなので、そのあたり自分が教えていかなくてはならないんだろうな、と思いつつも胸を張るエステルが可愛らしかったので笑って頷く。

 しかし、エステルもヴィルフリートが笑みに含んだものを何となく察したらしく、微妙に疑わしげな眼差しを向けていた。


「……な、なんですか、その笑顔」

「いえいえ。可愛いなと」

「絶対それ以外に何か思ってますー。しかもその可愛いは微笑ましいという意味が少なからず混じってそうですー」

「最近あなたは鋭くなってきましたね」

「ほらー!」


 ぽかぽか、とまた胸を叩いて不服を訴えてくるエステルは、やはり可愛らしい。あどけなさが強いからこそこんな姿が似合うのだ。

 ぷくー、と膨らんだ頬も尖り出した唇もちょっぴり拗ねたような眼差しも、全ていとおしい。


 しかしこのまま放置しても機嫌は直らないのも経験済みなので、ヴィルフリートはご機嫌斜めな恋人様の頭を撫でて怒りを宥めていく。

 本気でおいかりな訳でもないので、甘やかすと直りやすい。本人も自覚して甘やかされる事を望んでいるから、表面上は拗ねた風を装うのだろう。


「まあまあ。拗ねたら可愛い顔が台無しですよ」

「……つーん、です」

「ほら、エステル」


 拗ねてます主張もやけに可愛らしいエステルの頬に口付け、それからゆっくりと口付けの雨を降らせていく。


 それでもまだ直りきらないようなので、尖り出した唇に自分のものを寄せて均しつつ、どんどんエステルを侵食するように口付けた。


 こうなると、エステルは拗ねる以前にいっぱいいっぱいになる事は経験済みだ。


 柔らかく触れるところから始まって次第に熱を分けあうようなキスになると、エステルはいつも大人しくされるがまま。

 得ている経験値は互いに同じな筈なのにヴィルフリートに余裕があるのは、外から拾ってきた知識と年上の男という矜持からだろう。


 ふやけてきたエステルをしっかりと抱き締めて、しかし逃れる事は許さないと後頭部を軽く掌で押さえて口付ける。それだけで、エステルはヴィルフリートに溺れる。

 息が上がって微かにこぼれる吐息や甘い声をしっかりと受け止めながら、とろけたエステルをひたすらに受け止めて飲み込んでいく。


 もう限界だと胸を叩かれて離した時には、エステルの顔は上気して瞳まで潤みきっていた。


 ぽてんとヴィルフリートにもたれて呼吸を整えるエステルに、ヴィルフリートはもっと触れたいという欲を飲み込んで、優しく背中を撫でる。

 焦りは厳禁。ゆっくりゆっくりエステルが慣れて受け入れてくれるようになるまで待つつもりなのだから。


「本当に、可愛い人ですね」


 本心から口にすると、とろけきったエステルが少しだけ身を揺らして、そのままヴィルフリートに抱きついた。

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