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なんてことのない幸せな日常

 エステルは、ヴィルフリートが自分より遅く目覚めた事をあまり見ない。

 無理を言って泊まったり悪天候で帰れず泊まったりした時は、いつも朝起きれば彼は既に朝御飯の準備をしているのだ。じゅうじゅうと卵が焼ける匂いや包丁が野菜を切る軽やかな音が、エステルをいつも目覚めさせる。


 だが――今日は、珍しく、別の感覚で目が覚めた。


 エステルは朝が得意という訳ではないが、今日ばかりは不思議とすっと目が覚めた。

 その理由が、隣で床を共に温めていた存在のせいだ。


 寝返りをすれば、そこには静かに眠るヴィルフリートが居る。エステルも微妙に覚醒しきっていない頭で何故隣に居るのか考えて、そういえばお泊まりをおねだりしたんだったな、と思い出す。

 ヴィルフリートは微妙に渋ったものの、最近はお泊まりもさせてくれるために結局頷いてくれた。


(朝起きて隣にヴィルが居る生活っていいなあ)


 隣でヴィルフリートが寝ているのは、嬉しい。

 寝顔を観察出来るのも嬉しい。基本的にヴィルフリートはエステルの前では寝顔を見せようとしなかったし、隣で寝る事になってもエステルを先に寝かし付けてしまう。

 このようにヴィルフリートが熟睡しているところなど、あまり見れない。


 そう判断したエステルの行動は早かった。

 すっかり寝入っているのを良いことに、エステルはそのままヴィルフリートの腕をこっそりと持ち上げて懐に潜り込んだ。

 起きる気配がないので、よほど深く眠りについているのだろう。


 あっさりとくっつけた事に満足したエステルは、それだけでは足りないと至近距離からヴィルフリートの顔を覗く。


 ヴィルフリートは、物凄い美形という訳ではない。

 しかし整ってはいる。

 エステル的には、美醜に然程頓着しないので『ヴィルフリート』の顔立ちが好き、という事くらいしか考えていないのだが。


 ちょっとツンとした目元はエステルを見れば和らいで綺麗な青の瞳を穏やかにするし、照れ屋なのかすぐに赤らむ頬も可愛いと思う。

 ぱっと見はきつめの印象を与えるが、関わればすぐに柔和なものに変わる。

 甘えれば、仕方ないなあと笑って何だかんだ好きにさせてくれる。苦しくてすがりつけば優しく抱き留めて包み込んでくれる。笑いかけると、同じように楽しそうに笑ってくれる。大切に大切に、心からエステルを愛してくれる。

 時折あきれつつ、いつも優しい顔をしてくれるヴィルフリートが、エステルはとても好きだ。


 そんなヴィルフリートは、今寝ている。

 エステルより三つほど歳上の彼は、普段は大人びた顔をしているが、今は少しだけ幼くも見えた。それでいて綺麗なのだから、エステルとしては不思議で仕方ない。

 マルコに「ヴィルフリートってかっこいいですよね」と漏らした事があるが、非常に呆れられた。エステルとしては素直に思った事を口にしただけだというのに。


 飽きずに見つめて、それから胸に頬擦り。


 ヴィルフリートの側に居るのは、どきどきするけども落ち着く。胸がほわほわして暖かくなる。穏やかな日だまりで微睡むような、そんな感覚に近い。

 しかし、ヴィルフリート自ら触れてくると、不思議とどきどきと心臓が高鳴るのだ。もっと触れて欲しいと思う反面、あまり触られすぎると、頭がぼーっとしてしまう時がある。


 そんな意識がふわふわした感覚も、嫌いではない。

 むしろ、進んで触られにいきたい。抱き締めてもらうと幸せだし、口付けられると身も心もとろけるような感覚を味わえる。

 ただ、恥ずかしがり屋なのか、ヴィルフリートはキスをする事は少ない。ねだられたらするが、あまり自らしようとはしない人だった。あくまでエステルがする頻度に比べたら、だが。


 一度不安になって「したくないのですか」と聞いてみると、ヴィルフリートは苦笑して「したいとするは違うのですよ。自制しておかないと大変なので」とこぼした。

 自制しないヴィルフリートはどれだけ甘やかしてくれるのだろうとちょっとばかり期待しているのだが、中々自制が弾けてくれないので微妙に不満なのだ。


(もっとして欲しいのに)


 ヴィルフリートがしたいようにしてくれたら、きっとエステルも幸せで埋もれてしまうのに、ヴィルフリートはその辺りきっちりしているらしく、一定のラインで退いてしまう。

 別に好きにしてくれても構わないと言ったのにも関わらず「これ以上は色々とやばいです」と突っぱねるので、そこだけは不満だった。


 こうなったら自分から攻めるしか、とヴィルフリート的には困ったさんの考えを抱いたエステルだったが、自身を包み込む存在が覚醒し始めたので実行には移せなかった。


「……珍しい、エステルが先に起きてるなんて」


 今日のお目覚めはばっちりらしいヴィルフリートが、腕の中に居るエステルに素直な感想を漏らす。

 腕の中に潜り込んでいる事についてはいつもの事なので気にするつもりはないらしく、ただエステルの温もりに少し瞳を和ませて「ぬくい」と抱き締める。


「今日は私が早起きだったのです。ヴィル、昨日疲れてたから」

「あー、まあ仕事以外にもやる事ありましたからね」


 やる事、というのは、研鑽を積む事だろう。エステルの居ない場所で努力してたり、たまにエステルもお手伝いしたりするが、とにかく空き時間に腕を磨いている。

 本人は好きでやっていると言っているが、エステルもヴィルフリートに隣に立つために頑張って欲しいという旨の事を言っているので、お疲れモードのヴィルフリートに申し訳なさを感じていた。


「……ご」

「謝らなくて結構ですからね、俺が勝手に、好きでやってますので」


 先んじて制してしまったヴィルフリートにエステルが「うぅ」と唸ると、彼はやっぱりといった具合に笑う。


「あなたは胸張ってどーんと構えておいてくれればいいのです」

「こうですか」

「今は胸を張らなくてよろしい」


 腕の中で実行はお気に召さなかったらしい。

 むぅ、と唇を尖らせたエステルは、何だか微妙に体を強張らせているヴィルフリートの胸にぐりぐりと額を押し付ける。といっても不満を訴えるためというよりは、構って欲しいという表現のようなものだ。


 意図を正確に汲み取ったヴィルフリートは「はいはい」と苦笑しながら片手で緩く長い髪をとき始める。

 少し硬い指が地肌を撫でる度になんとも言えない心地よさが訪れ、すぐに尖った唇を柔らかくほどいていく。


 なんというか、とても甘やかされている、という気分になって、エステルはヴィルフリートに髪を梳かれるのが好きだった。


 心地よさに、ついつい顔だけでなく体までふにゃふにゃとふやけてしまう。


「……んー……もっとー……」

「お嬢様の仰せのままに」


 茶化すように返した彼は、抱き締め直してゆるゆると髪を丁寧にとかしていく。


 幸せだな、と思う。

 こうして、好きな人と朝起きてくっついて、触れてもらうのは。昔からは考えられないくらいに充実している。

 人肌恋しくても周りには抱き締めてくれる人など居なかった。イオニアスはエステルを厭うようになり、ディートヘルムはそういう事をする柄でもなく、エリクやマルコはもっての他。


 ヴィルフリートだけが、こうして受け入れて甘やかしてくれる。


「……へへー」

「どうかしましたか」

「いえ、なーんでも。しあわせだなぁって」


 この、何でもないような穏やかな日常が、エステルにとって一番幸福なのだ。

 富や権力を手に入れるより、煌めく宝石に囲まれるより、美味しいものを食べるより、ただ二人で過ごす変哲もない日が大切でいとおしい。


「そうですか。ではもっとしあわせにしてあげますよ」

「どうやって?」

「このまま二度寝して、起きたらあまーいパンケーキを作って、その後家事も忘れて優雅に読書と洒落こみましょう」

「なんて素敵な。今日は贅沢な日ですね」


 たまらない提案に笑えば、ヴィルフリートもくすぐったそうに笑ってそのままエステルごと毛布に潜る。


 エステルは薄暗い腕の中で、細やかで尊い幸せに身を浸してゆっくりと微睡みの奥深くに落ちていった。

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