おつかれヴィル君
エステル視点でヴィルフリートが甘えてくるお話。
エステルから見たヴィルフリートは、いつも穏やかで基本的には落ち着いた人だった。エステルに優しいが駄目な事はしっかりと注意する、そんなしっかり者で余裕が見える男だ。
まあ、たまに慌てていたりするが、それは自分のせいだと分かっている。
そんな、いつも余裕が見えるヴィルフリートだったが、今日は違った。
「ヴィル、どうかしまし……た、か……?」
エステルの部屋を珍しく訪ねてきたヴィルフリート。
何だか微妙に様子がおかしいというか、顔色が良くなかったので疲れているのかととりあえず寝かせようとベッドを貸すべく寝室に案内したところで、ヴィルフリートはエステルを抱き締めた。
添い寝でも計画した自分が悪かったのだろうか、一緒のベッドに上がったエステルに、ヴィルフリートはくっついてきた。
普段なら一緒に寝ようとした時点でお叱りを受けるのだが、今日ばかりは何故かそのままスルーされたのでその頃から予兆はあったのかもしれない。
ヴィルフリートは、エステルの豊かな枕に顔をうずめていた。
「あ、あのぅ……ヴィルー?」
流石のエステルも、戸惑いの声を上げる。
いきなりまずやらない事をしてきたヴィルフリートに、どうしていいのか分からずに硬直してしまった。
(……珍しい、というかおかしいというか。普段あんなに注意してくるのに、自ら触れてくるとは)
ヴィルフリートは紳士的な人だ、と思う。
たまに男性から向けられるような何というか舐め回されるような悪寒が走る視線を感じた事はないし、乱暴に触れられる事もない。
エステルが嫌そうにしたら(そんな素振りはほとんどしないが)すぐに退くし、恋人だというのにあまり触ってこない。
男の人は柔らかいそれが好きなのだ、とエリクに聞いていたのだが、ヴィルフリートは触ろうとはしない。別に触りたいなら触ればいいと思うし時折視線はちょっぴり感じたりしていたが、それでもヴィルフリートは徹底して自ら触れようとはしなかった。
そのヴィルフリートが、無言のままエステルの胸に顔を埋めている。
エステルとしては嫌とかではないしむしろくっつくのは嬉しいのだが、接触と露出に関しては親であるディートヘルムよりも厳しい彼が自ら禁止していた事をしてきたのが驚きだった。
何かする訳でもなく、ただエステルの背中に手を回してしっかり抱きついて、隆起の柔らかさに顔を預けている。若干くったりとしており体に力が入っていないので、相当疲れているのだろう。
どうしよう、と間近に恋人の存在を感じながら、エステルは困った。突き放す事はしないが、この状態をどうすればいいのか悩んだ。
考えられる選択肢としては、このまま放置か、離して事情を聞くか。
しかし、ヴィルフリートは基本何かあれば先に説明してから行動に移すので、この場合は言いたくないのかもしれない。けれど疲れていて甘えたくなったから、こうして無言でエステルにもたれかかっている。
滅多にない甘え方に、エステルはそのまま顔を埋めたヴィルフリートの頭を軽く抱き寄せて、ぽんぽんと撫でるように優しく叩いた。
「……お疲れさまです、ヴィル。ゆっくりしてくださいね、好きなだけ寄りかかってください」
いつもは自分が頼りきりなのだから、今は自分がヴィルフリートを支えてあげる番だろう。
愛しい人が疲れているなら甘えさせる、ふらついたなら支えてやる、傷付いたなら癒してやる、互いに互いを労れば、二人はそれだけで安らかに健やかに生きていけるのだ。
力を抜いてエステルに身を任せたヴィルフリートに、エステルは柔らかく微笑んで指でさらりとした髪を梳いた。
どうされたら嬉しいか、どうされたら安心するか、どうされたら心地いいか、自分がよくされているから分かる。好きな人にひたすらに優しく触れられたら、それだけで微睡むのだ。
甘やかされているからこそ、甘やかす術も持っている。
普段はされる側のエステルがここぞとばかりにヴィルフリートに優しくもたれかからせると、ヴィルフリートは背中と腰に回していた腕の力をゆるりと抜いた。
そのまま、エステルは後ろにあるベッドに倒れこむ。
ヴィルフリートを見上げると、どこか泣き笑いのような表情だったため、いらっしゃいと腕を広げれは素直にエステルの腕の中に収まった。
至近距離でほんのりと熱っぽい頬にしっとりとした瞳が見えて、よく考えれば抱き締めた時に熱かったな、と思い出す。動きだって緩慢であったし、表情も暗い。間違いなく、体調が悪いのだ。
ヴィルフリートはここ最近いつにも増して魔法の鍛練ばかりをしていた。
その上でディートヘルムから呼び出しをされたり実家へ手伝いに行ったり、実兄から厄介事を押し付けられたりと、ここ最近忙しそうにしていた。
それを見てあまりこちらも押し掛けるのを控えていたのだが……限界が来たのだろう。
「……今日は全部予定キャンセルです、ゆっくり休みましょうね」
無理はさせられない。今は休ませる時だろう。
絶対に今日は訓練も仕事もさせないと誓って、エステルは毛布をヴィルフリートにかけてから背に手を回した。
「……すみません」
しばらく寝ていたヴィルフリートが起きた時には、多少ではあるが顔色もよくなっていた。
気だるげな様子はまだあったものの、覇気は緩やかながら取り戻している。
一緒の毛布にくるまってエステルを枕にしていた事に改めて思い至ったらしいヴィルフリートは、掌で顔を掴むように覆っている。指の隙間から滲むのは後悔の念だろう。
「どうしたんですか」
「……ものすごく、情けない姿を見せました」
とてもバツが悪そうな声を出したヴィルフリートは、熱とはまた別に顔を赤くしている。
自身が甘えてしまった事を恥じているのか「ほんと情けない」とこぼしていたが、エステルとしてはいつも弱音は見せないヴィルフリートがこうしてエステルにだけ弱い部分を見せてくれたのが嬉しかった。
エステルは甘える事が好きだが、甘やかす事も好きだとヴィルフリートで知った。
愛しい人が自分を頼りにしてくれる、少しだけ幼い姿を見せてくれる、信頼してくれる。そのこそばゆくて、胸がふわりとあたたかくなる。
いつもヴィルフリートもこんな気持ちを抱いていたのだろうか、と今は頬を赤くしている彼の姿に笑みがこぼれる。
「いいんですよ、ヴィルも頼って。私ばっかり甘えてますので、ヴィルも甘えてください。ヴィルは負を表面に出さない人ですから。……がんばり屋さんなのはいいですが、たまには休んでくださいね。ヴィルはいつもえらいです。いいこいいこ」
もう一度ヴィルフリートを抱き寄せて頭を撫でると、起伏に顔を埋めたヴィルフリートは少し抵抗したものの、エステルの柔らかな手付きに諦めたのかそのままエステルに身を寄せた。
「……子供扱いは甘んじて受けましょう」
「ふふ。いつも子供扱いされてますので、私も子供扱いしてやるのです」
普段はエステルを子供扱いして可愛がるヴィルフリートだが、弱っている彼はどこか幼さが見えて、可愛らしいと思う。
たんまり甘やかしたくなるくらいには、エステルの胸の奥にある庇護欲のようななにかをくすぐった。
よしよし、と子供にするように掌で温もりを伝えると、ヴィルフリートは微妙にためらいがちに顔を上げる。
文句があるというよりは、気恥ずかしさの方が上回っているらしい。けれど離れるつもりもないのか、何だか物言いたそうな瞳はしつつもふくよかな山に埋もれたままだ。
「……あー、もう……くっそ恥ずかしいのですが」
「どうして?」
「……甘える男とか、情けないし頼りないでしょう」
「そんな事ないですよ。ヴィルが私だけに甘えてくれて心を許してくれてるんだなあって思うと、嬉しいです。それに、私甘えられるのも好きだって分かりましたから」
どんとこいです、と目一杯抱き締める……とヴィルフリートが窒息しかねないのでなでなでに留めておいたエステルは、微妙にふてくされ中のヴィルフリートを包み込む。
腕の中でヴィルフリートが弛緩するのを感じて、やっぱり嫌ではないんだな、とついつい笑ってしまった。
(男の子は見栄っ張りだ、と聞いていますが、弱ったところを見せたくないんですね。でも、甘えてくれるんだ)
張り詰めていればいつか割れる、だからこそどこかで気を抜かないといけない。その場所を自分にしてくれた事が嬉しくて、ぎゅうっと抱き締めると腕の中で微妙にもがく気配。
「……あのですね、役得ですが、あなたはあなたでちょっとは警戒してください」
「でもヴィルが顔を埋めてきましたし」
「……それはそれ、これはこれ」
「理不尽ですっ」
ヴィルフリートから始めた事なのに、と背中をべしべし叩くと、ヴィルフリートは体を震わせて笑った