あかずきんのおおかみ5
あかずきんは一人、森の小さなお家でおおかみとかりうどの帰りを待っていました。
「おばあさん、大丈夫かしら。外は随分冷え込んできたわ」
独り言を呟いてみても、あかずきんの他は誰も居ない室内では返事は当然ありません。
あかずきんはなおさら不安になってきました。
ちなみに、濡れた上着と共に放り出したかりうどのことはあかずきんは一切心配しておりません。
かりうどの頑丈さは折り紙つきですし、あかずきんにとってかりうどなど死ぬこと以外はかすり傷です。
二人が帰ってきたときのために部屋は十分に温かくしてありますし、雪の中を歩いて濡れるでしょうからおばあさん用にやわらかいタオルも沢山準備しました。
聖夜のパーティ用の準備はもうおおかみと共に済ませてしまいましたし、二人を芯から温める用のジンジャーティーも小なべで温まっています。
やることのなくなってしまった今、あかずきんは心配が募るばかりでした。
「いっそ迎えに行こうかしら。でもすれ違うかも知れないわね。それに戻ってきたときのために部屋は温めておいてあげたいし……。あ、そうだ。暖炉用に薪をもう少し持ってきておこう。今夜はまだまだ使うはずだし」
普段は危ないから森に一人で出てはいけないとおばあさんに言われているあかずきんでしたが、薪を裏まで取りに行くくらいは仕方ないことです。
その時に、ちょっと遠回りして二人が戻ってこないかあたりを見回すのも、まあ薪を持ってくるついでですから、仕方のないことです。仕方がないはずです。
そんなふうに言い訳しながらあかずきんは着こんで薪を取りに行きました。
真っ暗な森は全然遠くのほうが見えなくて不気味ですが、かりうどの持つ明かりがみえないかと、あかずきんは遠くのほうまで目を凝らします。
がさがさと、遠くのほうで音がしました。
お家へと続く道の先のようです。
あかずきんがぱっと表情を明るくして雪を踏みしめながらそちらに歩いていきますが、一向に明かりは見えてきません。
あかずきんがおかしいと不審に思い、立ち止まります。
周りは暗くて何も見えません。薪取りだと言い訳してないで自分こそ明りを持ってくるべきだったと思い至ったあかずきんでしたが、もう遅い。
道の先、木の陰になにやら黒くて大きなものがうずくまっていました。
夜の闇で気付かなかったせいで、思ったよりも近くにいます。
その大きなものが、不意に顔を上げました。
それは、熊です。おおきな熊です。
おおかみのような意思有り言葉の通じる生き物とは違い、正真正銘熊でした。
人々が恐れる狼などよりもよほど危険な、殺人鬼です。
少しずつ後ずさりしながら、あかずきんは喉の奥から悲鳴がせりあがってくるのを感じました。
悲鳴なんて上げたら熊を刺激してしまいます。どう考えても今はまずいと押さえ込もうとぐっと息を止めましたが、今にも口から飛び出していきそうです。
うなり声をあげて、熊が小さく吠えたとき、ついにあかずきんはこらえきれず、叫んでしまいました。
「き、きゃあああああああ!!!」
その声が森にこだましますがあかずきんは構ってなど居られません。
迫る熊から逃げ出そうと一生懸命家に向かって走り出しました。
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「うわ、なんだ!?」
森の奥から悲鳴が聞こえました。絹を裂くような女の悲鳴です。
かりうどが驚いて首をすくめました。
「まさか……」
おおかみはなんだか嫌な予感がします。
「かりうど、今の声、あかずきんだ!」
「やっぱりそうか!? くそ、何で家の外に出てんだよ!」
「先急ぐぞ!!」
言い捨てて、おおかみは獣形態をとり、駆け出しました。
「あ、くっそはええな!! ちょ、待てよ!」
慌てるかりうどの言葉になど構ってはいられません。
(あの悲鳴の方角。この夜に、この雪だ。きっと家の遠くには行っていない)
目指すはあの小さな家です。
暗い暗い森の中を、かりうどを置き去りに、風より速く駆け抜けます。
あかずきんが心配です。
杞憂ならそれでいいのです。でももし、そうでなかったら?
あの笑顔を、手のひらの熱を失い、あかずきんが倒れている所を想像して、おおかみはぞっとしました。
(速く、速く!! 頼むから、無事で居てくれ。あかずきん!!)
(見つけた!!)
深い夜の中、おおかみは二メートルほどの距離をはさんで、熊と対峙するあかずきんを見つけました。
あかずきんは地面に座り込んでいてかなりぎりぎりだった様子が伺えます。
もうすぐ近く、一息で手の届く距離に居ます。
おおかみは獣形態のまま、あかずきんと熊の間に飛び込もうとした瞬間、おおかみの臆病な心がその場におおかみの足を縫い付けました。
怖がられないか、忌避されないか、自分に悲鳴を上げられないか、獣形態とはいえ、その大きさは一般的な狼とはまるで異なります。獣の狼に成りすます、とかは流石に無理でしょう。
おばあさんに扮したおおかみを疑うことなく信じていたあかずきんにならあるいは可能かもしれませんが。
一瞬でおおかみの頭の中を色んな思いがよぎりました。
しかし、そんな弱気な心を打ち砕いたのは、先ほどのかりうどの言葉でした。
----あかずきんとばあさんと、村を丸ごと守ってくれ、立派な武器をもつおおかみさんよ。
そしてあかずきんの笑顔が浮かびます。
もうおおかみに躊躇いはありませんでした。
今度こそ一瞬であかずきんの前に立ち、熊と対峙して見せます。
「!?」
あかずきんが驚いた気配がして、ちらりとそちらを見ました。
ずきんから何から雪まみれ、びしょぬれになってはいますが怪我はなさそうです。
声をかけたかったのですが、獣形態ですから残念ながら喋れません。
無事を確認できたのでおおかみは熊と向き直りました。
うなり声を上げる熊に、おおかみは被せるようにうなります。
戦いにおいて、主導権を握るのは大切なことです。
熊は大きいですが、それは人間の大きさに対してのもの。獣形態をとったおおかみにとって同じくらいの大きさの熊は、けして脅威になる大きさではありません。
後ろのあかずきんが居る以上、引くことはできません。今後の危険を考えれば逃すこともしたくありません。おおかみは森中に響くほどの大きな声で吠えると、熊に飛び掛っていきました。
熊の爪をかわしながら、おおかみはすこしづつあかずきんから距離をとります。
狩りをしながら生きてきたおおかみは強く。おおかみの爪は熊に届いておりますが、熊の爪はおおかみにとどいておりません。
赤い血を流しながら焦れる様子の熊におおかみはタイミングを測りはじめました。
(そろそろ、か)
すぐ近くの茂みから銃口が覗いているのが見えます。
それはひたりとこちらを狙っていて、おおかみの背が冷えます。
「おおかみさん!!」
タアァーーーーーーン!
いつの間にか木の陰から様子を伺っていたあかずきんが悲鳴のような声を上げたのと銃声は、ほぼ同時でした。
その弾は狙い違わず、側頭部を打ち抜きました。
おおかみは、人型に戻り、雪に倒れ膝を付きました。
事切れた体が力を失いどうと倒れ、赤い血が広がっていきます。……熊の。
(はー、よかった)
「おうおう、物理的に援護の機会がまわってくるとはな。光栄だぜ」
「いや、助かった」
「一人でも倒せたんじゃないか? お前なら」
「まあ、結構余裕あったな。でも血だらけになるだろ。あかずきんの前で、それは流石に」
「……おまえも結構大概だよな」
茂みの中から火を噴いたばかりの銃をかかえながら、かりうどが姿を現しました。
あかずきんも木の陰から出て駆け寄ってきます。
「で、どうよ。人を守って戦うのは」
「……うん。悪くないな」
心配していましたが、あかずきんは満面の笑顔でした。
そのままおおかみに体当たりのようにしがみつきます。
「おおかみさん! ありがとう! もう駄目かと思ったわ!」
「いや、あかずきんが無事で、本当によかったよ」
「おうおう、俺様には感謝はないのかよ」
横からかりうどもにやにやと覗きこみました。
「うるさいわね! あんたなんておおかみさんの吠えた声がないと場所も分からなかったしそもそも私の危機に間に合ってないじゃない! 狩人の癖に!」
「あんだと? あの熊をしとめたのは俺様だぞ?」
「おおかみさんなら一人でも倒せそうだったけどね! かりうどと違って!」
「それは戦闘スタイルの違いってやつだろうが!」
おおかみにしがみついたまま目の前で繰り広げられるやり取りに、おおかみの目が点になりました。
あかずきんとかりうどは確かに親しいようですが、おおかみが少し心配してたような関係では全くなさそうです。
同時にかりうどがあかずきんが怖いといっていた一端も見えて、なんだか笑いがこみ上げてきました。
「はは、はははは!」
おおかみの目線より少し下でにらみ合う二人が、同時におおかみを見上げました。
それがまたおかしくて、おおかみは笑いが止まりません。
ばつが悪そうな苦笑いをこぼすかりうどと、今更手を離して恥ずかしそうに微笑むあかずきん。
この二人の笑顔は、おおかみのその手で守ったものです。
おおかみは、守るということの素晴らしさを今改めてかみ締めました。