あかずきんのおおかみ4
おおかみは自分の小屋の中で寒さに震えながら、毛布に包まっていました。
おおかみの住む家はおばあさんの家と違ってぼろぼろです。
暖炉なんて上等なものはついていないし、台所だって小さな火のつくコンロが一つだけです。
壁の木材もところどころが痛んでいるのでちょこちょこ隙間風が吹いてきます。
まあそもそもこの家はおおかみが建てたものではなく、文句など言える立場にないのは重々承知でしたが、それでもあんなふうに温かい家を知ってしまった今、一層家が寒く感じます。
(うう、寒い。おばあさんの家は隙間風なんて全然吹かなかったな)
おおかみの家は快適とは程遠く、深々と寒さが底から這い上がってくるようです。
おばあさんに飲ませてもらった温かいスープから始まった幸せな時間は、思い返すだけでもおおかみを温かい、幸せな気持ちにさせてくれました。
「煌々と燃える暖炉の前の席に、やわらかい毛布」
「野菜と肉と穀物のたくさん入ったミルクのスープ」
「温かくて、清潔な布団。思わず、まどろんでしまうような」
「聖夜の飾りつけられた、あたたかい室内」
「ツリーのてっぺんの飾り。あんなに間近で見たのは初めてだったな」
「果物の入ったスパイシーなホットワイン」
「はは、温かいものばかりだ。あの家はすべてがとても温かかったな」
「そんな家に、はじめは、強盗に入ろうとしたのか。限界だったとはいえ、僕、なんてことを……」
「おばあさん、怖かった。でも、優しかった」
「それから、あかずきんと過ごした時間」
「七面鳥を一緒に焼いたり、果物やナッツを刻んだり、あかずきんにお願いされたりしたな……」
「きれいなケーキを、完成させた。おばあさんとあかずきんの載ったケーキを」
大切な宝物を一つ一つ、呟きながら思い返します。
「それから、あかずきんの手。温かった」
初めて感じた、自分以外の温度。
それは、嫌われ者の自分には訪れることのないはずの、他者とのふれあいでした。
自分よりも少しだけ高い、あかずきんの温かい手の温もりは、交わした熱は、一つ一つが輝く星のように光る今日の思い出の中でも、ツリーのてっぺんで一番きらきらと光る、一等星です。
それはいつだっておおかみには遠いもので、うらやましく思いながらも、諦めて、遠目に眺めるしかないものでした。
当たり前のように自分はこのまま誰からも嫌われて、ひとりぼっちのまま朽ちていくものだと思っておりました。
半ば脅しのように押しつけられた役目でしたが、あかずきんとの時間はおおかみが今まで過ごしてきたどんな時間よりも、いえ、それらを集めて、それにこれからの幸福もすべてを足して、凝縮したような、とてもとても幸せな時間でした。
まだ、瞳を閉じればあかずきんの笑顔が浮かんできます。
それが消えないように、膝を抱えてまぶたに力を込めれば、うふふと笑う声も一緒に聞こえてきました。ぎゅっと握った掌のぬくもりも、瞳の中では鮮明に感じ取れます。
もちろんこんなところにあかずきんは居りません。居るはずなどありません。
かりうどに釘をさされたように、おおかみとはきっともう二度と会うこともないのでしょう。
ですが、瞳を閉じたままで居ればそんな現実など見えません。
まぶたの裏の世界には確かにあかずきんがいて、親しみのこもった声でおおかみにおばあさん、と笑いかけます。その世界はいつだって優しく、いつだっておおかみの味方です。
あの温かい部屋のベッドで見ていたように、おおかみには、それがたった一つの真実で、唯一でした。残った掌の温もりがこぼれ落ちないように、おおかみは真っ暗な世界で自分の拳を固く握りしめました。
それを思い出せている間は、まぶたの裏のあかずきんも優しく笑ってくれるはずです。
きっとこれからも、本人はおおかみの知らないところで成長していくでしょう。
おおかみの知らない誰かに笑いかけて、一緒にまた聖夜を祝うのでしょう。
ですが、それでいいのです。おおかみは、そう思いました。彼女がどこかで笑っていてくれるのならば、それで充分だと。
おおかみが感傷にひたっていると、なんの前触れもなく、とびらがガタガタと音を立てました。
一瞬で体を起こし、警戒の姿勢をとります。
やがてがたがたいう音が止まったかと思うと、扉が部屋のの反対側まで吹き飛びました。
「オラあ! やっと見つけたぞ、ゴラあ!!」
「!!」
おおかみが目をやるとそこには、外の寒さにがくがくふるえながら両手で自分の体を擦るかりうどが、たっていました。
片足を上げたままの状態で止まっているので、おそらく立て付けの悪い扉に焦れて蹴り開けたのでしょう。
扉がボロすぎて飛んでいってしまったようですが。
それにしても開け方といい、第一声といい、まるでチンピラです。
「ようよう、やっと見つけたぜ!」
「何、しに来たんだ」
「中に居なかったらどうしようかと思ったぜ! 表札位出しとけってんだ」
「僕が出したって仕方ないだろ」
「誰かが尋ねてくるかも知れねえじゃねえか!」
「嫌われものの狼だぞ? 殺されるためにご丁寧に表札付けるのかよ」
「…………」
「何しに来たんだ。お前に言われた通り、直ぐにあそこから離れた。もう二度と……」
もう二度と、あかずきんには会わない。
その言葉を自分から言うのは、おおかみにとってひどく勇気のいることでした。
それでも、あかずきんのために口を開こうとしたとき、なんとも微妙な表情をしたかりうどが目に入りました。
「なんだ、その顔」
「いやー、なんだ、その、とても言いづらいんだが」
いつも強気な眉を珍しく下げて指先をそわそわと遊ばせるかりうどはまるで叱られた子供のようです。
「えーと、ちゃんと事情も聞かずに追い出して、申し訳ありませんでした!」
腰を90度に折り曲げて頭を下げるかりうどに、おおかみは目が点になります。
「一体どういった風の吹き回しだ」
「とりあえず、頭あげていいか?」
「許す」
「あんがと。いや、そのな? あかずきんに怒られてお前を追いかけに来た訳なんだが、人に聞きつつ、たぶん、ここかなーってこの家にたどり着いてよ。だから目印ないかなーってしばらく家の回りを」
「おい、待て」
「ぐるぐるしてたら家のなかからなんか声聞こえてきてな?」
「マテマテマテマテ」
「壁にぴったりくっついてたらお前の独り言全部聞いちゃった」
(き、き、聞かれたあああ)
えへ、と可愛らしく頬に手をやってもかりうどでは全然かわいくありません。
おおかみはそんな物に構うよりも、あの恥ずかしい独り言を人に聞かれていたと言う事態に全身の毛が逆立ちます。
「お前、今まで、苦労してたんだな……」
鼻を擦りながらさわやかに、さすがの俺様も同情を禁じ得ないぜ、と肩を叩くかりうどに、いっそ殺してくれと呟きが固く閉じた口から漏れていきました。
なんだかどっと疲れたおおかみですが、もはやかりうどには敵意はなく、おおかみも少しだけ警戒心をなくして話を聞くことになりました。
「で、なんだよ」
対応がやさぐれてしまうのはもう仕方ないことでしょう。
「いや、あかずきんにな、お前とのやり取りを話したんだけどぶちぎれられてよ。まったくおっかねーぜあの女」
「は、あのあかずきんがか?」
「ああ、怒らせるとこえーよな」
親しげな様子であかずきんの怖さを語るかりうどに、おおかみはむっとしました。
おばあさんだったおおかみの前ではあかずきんはにこにこいつも笑顔で、怒った表情など見たことがありません。
共に過ごした年月を考えれば当然のことですが、よりにもよってこのかりうどにそれを語られるのに、腹が立ちました。
「そうか。僕はまだ怒られてないからよくわからないが」
「まあ怒らせない方が懸命だとおもうぜ」
つっけんどんにかえすおおかみをかりうどは気にした様子もなく
それがまた器の大きさを見せつけられたようでかえっておおかみの気にさわりました。
あかずきんとは親しいのでしょうか。
かりうどがあの家に入ってきたとき、文句をいいながらも当然のように動くその様は、二人の間の年月を感じさせました。
とても、自然でした。
おばあさんとしてあかずきんを偽っていたおおかみとはまるで違います。
「で、あかずきんにお前を連れ戻してこいと言われた。だから戻ろうぜ」
なんとなく、そういわれるのではないかと思っていました。
それはただの願望でしたが、あの優しいあかずきんならばおばあさんがいなくなった訳を聞けばそう言ってくれるのではないかと。
でも、それは駄目です。
ここでおおかみが戻らない方が、すごく都合がいいはずです。
「かりうどは僕がなぜ、おばあさんの格好してたのかは把握してるか?」
「いや? あのときはばあさんを殺して成り済ましてるのかと思っちまったが、お前を知った今となってはそうは思わねえな。遅くなっちまったが、事情とやらを聞こうか」
そこでおおかみはおばあさんとのやりとりを伝えました。
スープと引き換えに成り済ましを了承したことを。
「はーん、なるほどな。あのばあさんの考えそうなこった」
「んで、あかずきんに会って驚かれたか?」
「いや、問答はあったが普通におばあさんだと認識されたぞ」
「あー。なんか読めてきたなこれ」
なぜかかりうどはやけに納得して頷いてます。
あのあかずきんの騙されやすさは大丈夫なのかとかりうどに言いたくなりましたが、俺様に任せろとでもかりうどに言われたら癪です。
おおかみは何も言わないことにしました。
「さ、じゃあとりあえず家に戻ろうぜ。ここさみーし」
「お前は僕の話を聞いていたか! おばあさんが今のうちに戻れば僕とおばあさんの入れ替わりは済んで元通り、おばあさんもあかずきんも笑顔で今日を終われるんだ!」
おおかみの必死の言葉も、かりうどは腑に落ちないような顔をしています。
「うーん、多分大丈夫だと思うけどなあ」
「いいか、忘れているようだから言っておく、僕は狼だ! こんなにも鋭い牙も、固い爪も持っている、危険な狼なんだ!」
かりうどにむけて、鋭い歯を見せつけるようにむき出しにしてかりうどに迫り、その固い爪を肩に食い込ませます。
どちらも普通の人なら怖じ気づいて逃げ出すはずの、とても怖いポーズも、かりうどには通じません。
「んで、それが何よ」
「何って……」
かりうどは肩からおおかみの手を外すと、ぎゅっと掴みました。
「お前は牙と爪を持ってても、それを人間に突き立てない理性も持っている。傷つけないように、自分を律するだけのこったろ。俺様の大切なあかずきんとばあさんと、村をまるごと守ってくれよ、立派な武器を持つおおかみさんよ」
かりうどは、まあ知らずに知りもせずに狼というだけでお前を追い出した俺様の台詞じゃねえがな、と苦笑いしました。
かりうどの手も、あかずきんと同じように温かく、自分は生きていると全力でおおかみに主張してきました。
この熱を守る。人を、守る。
人とのふれあいをしらないおおかみに、守るためにたたかう、そんな選択肢はそもそも存在してませんでした。
かりうどの言葉がじんわりと心に火を灯します。
明るいあたたかな希望の火です。
「僕が戻って正体を明かしても、あかずきんは怖がらないだろうか」
「……あー、大丈夫なんじゃねーの、知らんけど」
「そこは絶対大丈夫だって言ってくれよ。戻る勇気が失せるだろ」
「はっは、怖がられたら俺様が援護してやんぜ。だから一緒に戻ってくださいお願いしますでないと俺様があかずきんにコロサレル」
「まさか」
「だからお前あいつの本性知らんからそんなこと……」
おおかみは軽口を叩きあいながらもう一度おばあさんに借りた服を着込みます。
いつの間にか随分気安くなったかりうどと連れ立って小屋を出ながら、雪の降る夜にむかっておおかみは足を踏み出しました。
生きていることを許されたような、軽い気持ちです。
真っ暗で凍りつくように冷える外ですが、心の明かりのお陰でおおかみは全然寒く感じませんでした。
(僕に、嫌われもののおおかみに、人を守るなんてできるだろうか)
(もし、本当に守れて、誰にも怖がられないそんな存在になったなら)
(あかずきんは一緒に居てくれるだろうか)
(もう一度、笑ってくれるだろうか)