あかずきんのおおかみ3
そうこうしているうちに、準備はすっかり整ってしまいました。
「さあおばあさん。最後は大仕事よ。このケーキにこれを載せて、完成!」
おおかみはきれいにデコレーションされたケーキを前に、あかずきんから手渡された砂糖菓子の飾りを見て戸惑いました。
赤い帽子を被った人形が二体です。一つは肩辺りまで覆っているケープのような形の帽子を被っていて、まるであかずきんのようです。もう一つはいまおおかみが被っているような、顔がすっぽりと隠れるほどの大きな帽子を被った人形です。おおかみが被っているのはおばあさんの借り物なので、こちらはおそらくおばあさんでしょう。それら自体は何の変哲もない砂糖細工ですが、ケーキにそれを載せるということにあかずきんは随分と重きを置いているようです。
本当はおばあさんじゃない自分なんかがそんな大役を任されてしまっていいのだろうか。おおかみはそう思いました。
「あかずきん、これはお前が載せたほうがいいじゃないかい?」
「いいの。このケーキもこのお部屋も、全部おばあさんと一緒に、私たちのためにつくったんだもの。だから、この大事なお人形さんは、おばあさんに載せて欲しいの」
「そう、かい」
そういってあかずきんがまたうふふと笑うから。
おおかみは切り株の形のケーキのどこに置こうかと真剣に悩んでいる振りをして、あかずきんから目を逸らしました。
そうして必死に逸らさなければ、もうずっとあかずきんから目が離せなくなりそうでした。
悩んだ末に、おおかみは既に載せられていたどこかで見たような小さな家の傍に、人形を並べておきました。
あかずきんと、おばあさん。ずっと寄り添っていて欲しいと思いながら。
そして、できればこのおばあさんが、おばあさんの格好をした自分だったら良かったのにと、そんな詮無いことも考えました。
「わあ……!」
「できた……」
完成したケーキに、あかずきんと二人揃って歓声を上げました。
「ありがとう、おばあさん。本当はおばあさんには休んでいて欲しかったけど、手伝ってもらっていてとても助かったし、何より楽しかったわ! こんなに可愛くケーキも完成して、本当にうれしい!!」
「こちらこそ、あかずきんを手伝うのはとてもたのしかったよ。とても、とてもいい思い出になった……」
「おばあ、さん……?」
あかずきんが不思議そうにおおかみを見つめます。
おおかみはもう今しか言うタイミングがないと思いました。
おおかみだってちゃんと分かっています。いつまでも、おばあさんのふりをしてはいられません。
もう、この時間をおばあさんに返さなくてはいけないのです。
心がきしんで、ぎしぎし嫌な音を立ててる感じがします。まるで嫌だ嫌だと駄々をこねているようでした。おおかみだって、あかずきんにもう笑ってもらえなくなるのは嫌です。
でも、いつか、いつかは、必ず終わりが来てしまいます。
それなら、準備が丁度終わった、今がその時ではないでしょうか。
勿論ばれるまで、黙っておくことだってできます。おばあさんとの約束を守るためにはその方がきっといいのでしょう。
何もそ知らぬ振りをして、あかずきんが気付くか、おばあさんが帰ってきてお役御免になるその時までおばあさんに成りすます。
そして、明るく優しいあかずきんに怖がられるか、幻滅されるか、怒られるか、嫌われるのでしょうか。
なんの覚悟もないまま、唐突に。
それを、おおかみは到底耐えられるとは思えませんでした。
だからどんなに辛くても、今、言ってしまわなければいけないのです。
「あかずきん、落ち着いて聞いておくれ。実はね……僕……」
「うん?」
喉がからからで、息も絶え絶えですが、それでもおおかみがあかずきんにきちんと自分の正体を告白しようとしたときです。
ばーーーーん、と、入り口のドアがすごい勢いで開いたのは。
「おう、あかずきん! ばあさん! 俺様のお帰りだぜ! ハッピーホリデーーイ!!!」
今にもヒャッハーとでも言い出しそうなテンションで戸口に立っていたのは、あかずきんと同じくらいの年齢の人間の男の子でした。
大きな荷物に、雪だらけで、むしろ雪の塊のようでした。
「あら、かりうど! あ、ちょっと! 雪だらけじゃない! もう! そこから動かないでよね!」
あかずきんとおばあさんの知り合いでしょうか。
あかずきんは怒ったようにかりうどに叫ぶと、拭くものを取りに隣室に駆けていきました。
かりうどは、勝手知ったる人の家とばかりに、あかずきんの言葉を無視してぽいぽいと荷物を置き、上着を脱ぎ、靴下まで放り出すと暖炉の前の安楽椅子にどかりと腰をおろしました。
「あー、疲れた。ここに座ると帰ってきたって実感わくぜー」
「もう、何勝手なこと言ってるのよ! 動かないでって言ったのに、床がびしょびしょじゃない!」
あかずきんはかりうどに持ってきた雑巾で床を拭くと、かりうどが脱ぎ散らかした洋服をかき集めてまたぱたぱたと走っていきました。
あかずきんはかりうどに雑巾を渡すつもりだったのでしょうか。結局かりうどに拭く物は渡されなかったので、自業自得とはいえ髪の先から雫が垂れてすごく寒そうです。
「おいおい、つめてーな、あかずきん」
心なしか暖炉に当たってない背中側が寒さで震えています。
(な、何、誰)
おおかみは、せっかくの決心がこのかりうどに邪魔されて言えなかった事に、またも残念で、ほっとした気持ちになりました。
あかずきんがかりうどの服を持ってどこかへ行ってしまった今、部屋にはかりうどとおおかみの二人だけです。
おおかみはあかずきんと居ることですっかりほどけてしまった警戒心を、きゅっと結びなおしました。
「俺様は、かりうど。んで、お前は、だれだ? ばあさんは、どこだ?」
暖炉の前の安楽椅子でゆれているかりうどが、静かな声を出しました。
そのまま椅子から立ち上がって、ゆっくりと近寄ってきます。
「な、なにをいうんだい。かりうど」
おおかみは、必死でおばあさんに似せた声を出しました。
あかずきんをすっかり騙せていた、あの声です。
「ばあさんは、そんなに作った甲高い声じゃねえ。ばあさんの髪は、黒くねえ。ばあさんはそもそもそんなに、でかくねえ」
全然駄目です。つらつらとおばあさんとの違いをあげ連ねられて、おおかみは確かに、ばれるよなとある意味納得しました。
体格も性別も年齢も種族さえも違うのに、すっかり騙せていたあかずきんがおかしいのです。
「んで、お前は、誰だ……?」
目の前に立つ少年は、おおかみを鋭い目つきで睨みつけます。
おおかみよりも頭半分低い位置から覗き込むように見上げてくる少年を前に、おおかみはこの温かな時間の明確な終わりを悟りました。
「お前は……狼!??」
少年の瞳が見開かれて、一瞬で腰に手が伸びるのに、おおかみは慌てて声を上げました。
「待ってくれ! 僕は確かに狼だが、おばあさんは殺してない!」
「…………」
「本当だ。おばあさんに少し頼まれておばあさんの振りをしていただけだ。証拠に、あかずきんも無事だったじゃないか」
油断なくこちらを冷たく睨み付ける瞳は、いままでおおかみがさんざん浴びせられてきた視線と同じ物でした。
あかずきんの楽しそうで温かな瞳との落差に、おおかみは冷や水を浴びせられたような気分になりました。
これが、おばあさんとおおかみの違いです。
「それが真実かどうか…………よく、わからねえが、お前は狼だ。今すぐ、出て行け。俺様も、聖夜に殺しなんてしたくねえ。次現れたら、その時は殺す。ここには、二度と、現れるな」
「…………わかった。頼む。最後に、あかずきんに会わせてくれないか」
もういちど、最後に一言でもいいから、あかずきんと言葉を交わしたくておおかみは必死に懇願しましたが、かりうどは首を縦には振りませんでした。
「だめだ。あかずきんが戻ってこねえうちに、早く行け!」
おおかみは、自分の服を掴むと、扉から走り出しました。
丁度部屋に戻ってきたあかずきんと目が合ったような気がしましたが、涙でぼやける視界にはそれが本物だったのかどうかの判断が付きません。もしかしたらおおかみのみた幻かも知れません。
もうおおかみには、どっちだって同じことです。
森に、雪が飽きることなく落ちてきます。
足首まで積もった雪にすべりそうになりながらも、速度を落とすことなく走り続けます。
気付けば、獣形態をとって、駆けていました。
速度を増しながら、森の中を疾走します。
人型でも、獣型でも、変わらず瞳からどんどんと雫が流れていきます。溢れる涙を置き去りにして、おおかみはひた走ります。
たまらなくなって、吠えました。心から、叫びました。
どうして自分はあの温もりを知ってしまったのか。
どうして自分にはあの温もりが与えられないのか。
とても辛い。辛いですが、知らなければよかったとは思いません。
おばあさんの頼みを引き受けたことの後悔など、一片もありません。
ただ、悲しい。ただただ、悲しい。今は、それだけです。
森を走る間に、空はどんどんと暗くなっていきます。
曇っていて夕焼けの出ないこの時期の空は非常に分かりにくいですが、もうすぐ夜が訪れるようです。
暗くて、寒い、夜が。
000000000000000000000000000000000000
「あれ、おばあさん? かりうど、おばあさんどこに行くって?」
あかずきんは、いきなり走って出て行ったおおかみに、困惑の表情を浮かべてかりうどを見ました。
かりうどはかりうどで、あかずきんの言葉に大きく目を見開きます。
なんの罪悪感も感じて居なさそうです。
「はあ!? おまえ、あれをばあさんだって言うのか? 冗談だろ!?」
あかずきんは、かりうどのその反応を見て、自分が居なかったときのことを正確に理解しました。
なるほど、かりうどと何かもめて、おばあさんは出て行ったのかと。
この体の心まで凍えそうな寒空の下を、追い出したのかと。
「かりうど、何言ったの」
「え、お前、あれはおばあさんの格好した狼で、何怒って……」
「今までいた、おばあさんに、何、言ったの」
「…………」
かりうどは小さく小さくなって、全てを話しました。
幼い頃から知るこのあかずきんという少女が、怒らせるとものすごく怖いことを良く知っています。
自分は何かその琴線に触れたようだと、分からないなりに言葉を選んで説明しました。
しかし、出て行け、二度と来るな、のあたりであかずきんはぶち切れました。
手の付けられない怒り様です。
「呼び戻してきて!! はやく、呼び戻してきて!」
「な、何言ってんだ! 俺様の反応が正しいだろうが!」
「あんたこそ何言ってんのよ! いいからさっさと頭下げて戻ってきてもらいなさいよ! じゃないとあんたこそ二度と、この家に一歩たりとも踏み入れさせないわよ!!」
言うなりまだ濡れているかりうどの上着をひっつかんで外に放り投げ、そのままかりうども放り投げました。
上着をかりうどに手渡さないあたり、あかずきんの本気度合いが伺えます。
そのまま閂を落とす音がしました。
「はああ!? ちょ、マジかよ!?」
押しても引いても扉はびくともしません。
「マジかよー……」
かりうどは諦めて、とぼとぼと歩き出しました。
外はひどく寒く、ほんのり温かい湿った上着は風でどんどん冷えていき、暖かい暖炉の傍に比べたらまさしく天国と地獄です。
「いやいや、だって狼だろ? あぶねーじゃん。俺様感謝されてしかるべきだろ。それをあのあかずきんのやろう……」
すこしずつ進んでいたかりうどの足がぴたりと止まります。
「いや、そもそも、あの狼の住処どこだよ……」
振り返ってみても、小さなお家の扉はぴっちりしまっていて、あかずきんの怒りが静まるまで声などかけられません。
「えーこれ森中虱潰し? 冗談だろー……」
遠くの方、東の方角で狼の咆哮が聞こえてきました。
「あー、あっちか? いやちょっとまて足早くね?」
狼への対応なんてあれでも甘いくらいだったと思う、かりうどですが、そこまであかずきんが怒るならばやっぱり自分が悪かったのかと考え考え、狼が見つかるまでには答えが出せるだろうかと寒さに震えながら森に分け入っていきました。